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ルポ・大企業人事~20代で年収1000万超え、勝ち組確定の企業を辞めます~

「大企業で幸せに働くには、人の心を捨てる必要があります」
大手IT企業に人事として入社しながらも数年で退職、現在は小さな出版社で編集者として勤務するAさんはこう語る。

今回は、将来を約束されたはずの若者が、とある大企業から退職に追い込まれるまでの苦悩の日々を追った。

管理職候補として入社

Aさんの会社員人生は順風満帆に始まった。都内の有名私立大を卒業したのち、大手IT企業へと入社。就職人気ランキングにも毎年顔を覗かせる、誰もが知る一流企業だった。1年目で配属された部署は人事。昇進、異動などを掌握する、出世には一番の近道とされる花形部署だ。

「就職活動の際は業界はしぼらず、給料が高くてネームバリューがある会社を受け続け、内定をもらったうちの一社に入社しました。1年目から人事に配属されるのは稀で、会社もそれなりに私に期待をしていたのだと思います」

人事部では新卒採用や研修の運営を任されることになったAさん。人事という業務にそれほど関心はなかったが、期待された通りの働きをこなし、人事評価も全社員の上位20%以内に入るほどだったという。与えられた仕事をそつなくこなし、申し分のない給料をもらい、30代前半には管理職になるというキャリアビジョンを描きながら日々を過ごしていた。

突如押し寄せる社内改革の波

安定したAさんの会社員生活に激震を与えたのは、社長の交代だった。
外部のコンサルティング会社で実績を上げ役員を務めていた男が、突然社長に就任したのだ。

「新社長が就任した経緯は、一般社員には詳しく説明されませんでした。創業者がほぼ一代で育て上げた会社でしたが、高齢となった彼が後継者として、また、成熟しきってやや停滞した会社の起爆剤として招聘したのだと思われます」

外部からやってきた新社長は自らの実力を示すために社内の抜本的な改革に着手、彼が最初に目をつけたのが人事制度だった。Aさんが在籍していた会社は年功序列制が色濃く残る、良くも悪くも極めて日本企業的な制度を採用していた。
新社長はこれを一新し、成果主義による報酬体系を導入することを試みた。
もちろんこの改革は時代に即したもので、いずれは実行せねばならないことだった。しかし、新社長の決断はあまりに拙速で、それゆえに多くの軋轢を生むこととなった。

年功序列を廃止し、若手に報いる実力主義の制度を導入するといえば聞こえは良いが、改革の裏では不利益を被る社員もいる。
「実力主義の報酬体系によって若手の給料は相対的に上がりますが、今まで年功序列によって昇給してきたベテラン社員の中には給料が下がる者も多数存在しました。そういった社員の声を代表する労働組合からの反対を受けながらも制度改革を断行したことで、社長の配下である我々人事部は批判の矢面に立たされることになりました」

40代で1,300万円ほどの年収があった非管理職社員が、制度改革後には800万円程度、入社数年目の社員と同程度の年収まで下げられる例もあった。
人事部の中にももちろん、給料が下がる社員がいたという。
しかし、人事部は社長の命を受け、制度改革を実行する立場である。
「抵抗を続ける労働組合と、改革を急ぐ社長の間で板挟みとなり、人事の中にも心を病み休職する社員が出ていました。労働組合との協議の際、「人事は全員死んでしまえ」と暴言を吐かれたこともあったそうです。


前職の話をするAさんの表情は硬かった

社長の命令に「ノー」は許されない

新卒採用と研修を担当していたAさんも改革の波を受けることになる。
これまでAさんの会社では新入社員は入社後三ヶ月をかけて研修→配属という流れをとっており、その年の新入社員も同様の流れで研修を行う手筈だった。

4月のある日、研修の一環で、社長からの事業レクチャーが行われることになった。レクチャー終了間際、新入社員を前に、社長から「君たちはいつから配属されるんだっけ」という問いが発せられた。
気後れして発言しない新入社員に代わってAさんが「三ヶ月間の研修を経て、7月に配属されます」と答えると、突如社長が激怒した。「どうしてそんなチンタラ研修をやるんだ。早く現場に配属してそこで仕事を覚えさせる方が新入社員の成長につながるはずだ。今すぐ人事は今年の研修スケジュールを見直して提出するように」

すでに研修のスケジュールは固まっており、今から配属時期を早めることなど到底できない。
新入社員のまえで社長から直々の叱責を受け、困り果てたAさんは部長に泣きつくことにした。
その時部長から発せられた言葉を、今でも忘れることができないという。
「社長の命令にノーということはできない。いつまでにできるか、どうやったらできるか、それを考えるのが人事の仕事だ」

この頃から、Aさんは会社でのキャリアを見通すことができなくなった。
「もともと「成長」や「変革」といった意識の高い言葉が苦手で、のんびり働けて給料の高い日本企業に入社しました。制度改革に追われて残業が100時間を超える月もあり、望んでいた会社員人生からどんどん遠ざかっていく絶望感を日々味わっていました」

気づいたら、会社を辞めていた

Aさんが会社を辞めたのは入社5年目の春、社長交代からちょうど1年が経過した頃だった。
「採用業務を担当する社員として、他業界を含めた様々な会社の求人をチェックするのがルーティーンになっていました。
たまたま、学生時代に興味があった出版業界の求人を見ていて、「未経験可・編集部への配属」という文字が目に飛び込んで来たのです」

小さい頃から読書に親しみ、就職活動中も漠然と出版業界への憧れがあったというAさん。しかし、先行きが不透明で一部の大手出版社以外は待遇も恵まれていないため尻込みをし、履歴書を出すことすらしなかったという。

しかしすでに仕事へのモチベーションを失っていたAさんは、藁にも縋る思いでこの求人に応募をした。
大手企業というネームバリューがあり、普段の仕事で面接慣れしていたAさんはとんとん拍子で選考を通過し、あっという間に内定を得ることができた。
退職を伝える際も、驚くほどあっさりと受け入れられたという。
「上司も同僚も人事ですし、社員が辞めることに免疫がついていたようです。応募してから約三ヶ月後に退職していますが、この時期の記憶はあまりなく、気づいたら今の職場で働いていました」

こうしてAさんは、新たなキャリアをリスタートすることになった。
本を読むことが仕事になっている点は嬉しいというが、前職での待遇は望むべくもないし、大手企業に勤める大学の同級生に社名を伝えるのは気後れする。

「大手企業というブランドを失ったのは確かです。逃げたと言われればそれまでだし、もう少し辛抱していれば、社内異動を願い出ていれば、と思うこともあります。辞めたことを後悔する日が、そう遠くない未来に訪れるかもしれない。それでも今の会社の求人を見つけた瞬間、救いの手を差し伸べられたような気がしたのも事実です。今は自分が選択した道が正しかったと信じて、地道に日々働いていくしかないと思っています」


四ツ谷:1996年生まれ。学術書編集者。出版社3社を経験。YMOを心から崇拝しているので、最近は傷心気味。生粋のシティボーイ。署名は(四)。



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