なぜ夏はいつも「終わり」を意識してしまうのか
今日も東京はとても暑くて、それはどうやら2つ同時に近づいてきている台風の影響もあるみたいなんだけれど、雲はもくもくと夏雲で、こないだ「秋がきたかなあ」って思ったのは気のせいだったのかもしれないって思うぐらいな、そんな暑い日だった。
帰り道、ふと見上げた月はもうすっかりと満月に近づいていて、こないだ済州(チェジュ)で見た時はあんなにも細かったのに(たぶん、1日目の月だった)、着実に時間は流れていることを痛いぐらいに教えられる。
夏ってどうしていつも、終わりを意識しちゃうんだろう。
秋は終わるとかそんなこと考える間もなくあっという間に過ぎて気づいたら冬になっているし、冬の終わりは春が近づいてるなあっていうわくわく感が勝るし、春は終わりって言うか夏の始まりって感じだし、でもなんでか夏は、いつもどこかに「終わり」の存在があって、そしてそれがなんだか切ない。森山直太朗の夏の終わりがBMGに流れそうな。
決して夏が特別好きなわけでもないし(一番好きなのは春)、浴衣や花火は好きだけど、暑いの苦手だし、蚊に刺されるのもやだし、湿気にも弱いのに、一体全体この切なさは、どこから来るんだろう。
そんなわけで、なぜだかノスタルジックな気持ちになりがちな今日この頃。でもまだ夏は続くし、楽しい予定もたくさんあるし、しっかり満喫したい!という所存です。
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