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「帰ってきたなあ」の街

京都について、新幹線を降りて、発した第一声は「帰ってきたなあ」だった。

きっと誰しも、「帰ってきたなあ」と感じる場所があるんじゃないだろうか。なんとなく落ち着いたり、居心地がよかったり、道端に懐かしい思い出が転がっていたりする場所。


転勤族として育ったわたしには、そういう場所がいくつかある。

祖父母や両親が住む和歌山もそうだし、かつて住んだ埼玉や奈良、チリ、コスタリカ、今住んでいる東京。そして、大学時代を過ごした京都も、「帰ってきたなあ」の街の1つ。あと、3週間ぐらい居着いてしまったグアテマラのアンティグアもそうだし、夫の実家のある札幌も、最近この中に仲間入りしそうな気配。

以前は「地元」というものに憧れていた時期もあった。どの場所も長くて4・5年で移り住んできたわたしには、「地元」と呼べるものがないからだ。そして、幼馴染と呼べる人もいない(大人になってからSNSでつながった友達もいるけれど、それでもやっぱり、小さい時から一緒の幼馴染、という存在はいなくて、ちょっとうらやましい)。そんなこともあってわたしは、居場所を求めて、あちこちにやたらと「帰ってきたなあ」の街をつくりたがるのかもしれない。


そして最近、「帰ってきたなあ」という場所は、街だけでなく、コミュニティーにも言えるんじゃないかと思うようになった。

例えば今回、京都に行ったのは、大学時代に所属していた団体でとってもお世話になった大学職員さんの還暦祝いだったのだけれど。その職員さんが当時(10年以上前)、わたしの同期に、「何年たってもどんな時でも、この団体は、みんなにとって帰ってくる場所だから」と言っていたそうだ。その言葉どおり、10年以上たってみんなそれぞれ大人になって、家庭を持ったり仕事をしたり各地でそれぞれの人生を歩んでいるけれど、こうして集まってみんなの顔を見ると、「帰ってきたなあ」と心から思った。数年ぶりのメンバーも多いけれど、きっと会う頻度とか距離とかそういうんじゃなくて、ここに自分が所属しているんだ、という安心感だったり、心のよりどころみたいな存在に、このコミュニティー自体がなっているんだなって。


4月から参加しているオンラインサロン「旅と写真と文章と」も、すっかりそういう場所になっている。ついこないだ、しばらくぶりのメンバーが「ただいま」と投稿していて、それに対して自然と「おかえり」と返した。みんなが。もしわたしが何かの理由で少し離れたとしても、戻ってきたら「ただいま」って、言える場所だなあってその時思った。まだ5か月弱だし、オンラインだし(実際にあったメンバーもたくさんいるけれど)、それでも「帰ってこれる場所」は存在し得るのだというのは、今年の大きな発見。主宰の伊佐さんを筆頭に、みんながつくっているその空気が、たまらなく好きだ。


きっとこれからもわたしは、あちこちに「帰ってきたなあ」の街を増やしていくのだろうし、「帰ってきたなあ」のコミュニティーも増やしていきたい。そして大切な人たちにとって、いつだって「ただいま」と言えるような存在でありたい。

そんなことを考えた、平成最後のお盆休み。

#旅と写真と文章と #平成最後の夏
#エッセイ

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