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察する文化も終盤?

こんにちは。えすみんです。
私は接遇をテーマに研修することも多いですが、接遇とは簡単にいうと接客よりも相手を察した行動でお客様との関わりをすること。接遇ができると言うことは察する力も自ずと身につくのですが、今回は察すると言うことについて最近思うことを書いてみます。

察するとは接遇のこと

例えば、お客様が「この商品はもうないですか?」と質問をされた時、「すみません、今品切れなんです」と相手からの質問にのみ答えるのが接客だとすると、「すみません、今品切れなんですが、こちらも同類の商品で人気ですよ」とか「すみません、今品切れなんですが、近いうちに入荷します。いつ入荷するかお調べしてみましょうか?」とか質問に対してプラスアルファで答えることを接遇的接客と言えます。

このプラスアルファを答えることは、相手が求めていそうな事柄を雰囲気から察しながら返答しないといけないので、察する力とか、相手の気持ちを想像できる力、質問されるまでの相手の行動をみている洞察力などが必要になります。

人は、自分が言葉にできないことを察して、サービスを提供してれることはとても嬉しく思うものです。よく夫婦間でも「言わなくても分かってよ!」と喧嘩になる話題も聞きますが、察して欲しいと思うのも日本人らしさなんだと思います。

接遇しづらい世の中?


ただ、いくら察する力を極めようとしても、人々の多様性が広がって本当にいろんなことを求めてくる人が増えています。SNSを見ても、そんなことまで気になるの?!と思う発信や、人の発言にあれこれと揚げ足をとって喜んでいる人の投稿を見かけます。

先日もお昼の情報番組で、姑にあげたプレゼントを人にあげていたということの是非について話題が出ていました。SNSのなかった時代は、近い友達同士でこういう話題をして、ひどいねー程度の話題で終わっていたように思います。しかし、今はそれを世の中に問うような投稿ができて答え合わせをしています。

それぞれの考え方があるので、嫁の味方、姑の味方、双方への捉え方があるんだと思います。意見する人も他人のことですから、適当なことを言います。どっちが悪いと言う極論で、みんなであーだこーだと言い合うのを見て、中立のポジションの人たちは人に迂闊に何か言うと大変だ…と言う印象を持ってしまうのではないでしょうか。

そう言う印象を持ち、自分が働く立場で接客をする時、ちょっと気の利いたことを言おうかと思ったとしても、これも逆手に取られたら大変だと思って当たり障りのないことを言った方が得だと思うのも仕方がないと思います。しかし、そうすると単なる接客しかできず、接遇から遠ざかります。

接遇できれば稼げる

最初にも書きましたが、人は察して何かをしてくれる方が好きです。特に、昭和生まれ世代なんかは、思いを言葉で表現できる人が少ないので、言わなくても色々とやってくれる人を好み、そう言う方を評価する傾向が高いです。となると、接遇ができる方が職場では贔屓されがちになるのでできる方がやっぱり得です。

とはいえ、世の中の現状として接遇ができる人材が育ちづらいからこそ、できちゃう人はかなり優遇される人材といえると思います。先日も、あるIT企業の経営者とお話しさせてもらった際に、ITに必須なプログラムやコードなんて、じきにAIが作ってくれるから、そこ極めるより対人スキルが重要になるよねって話されていました。

対人スキルと言っても、単に相手の機嫌を取れるだけじゃいけません。今は、相手がどう言うことをしたいのかを汲み取り、新しいビジネスにつながる提案ができることが求められていると思います。それができるために接遇で必要な力は必須なのだと思います。

少し前は、日本は察しの文化で察することのできる人も多かったのかもしれませんが、それらはもう危うい状態のように思います。でも逆にそれができればとても必要とされる人材として強みにもなりうるからこそ、接遇研修は必要だなと思っています。

<SNSもやってまーす>
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