だれかに預けるから、わかること
すこし時間が経ってしまいまいたが、高埜志保さんとの写真展が終了しました。オンラインでの写真展という始めての試みでしたが、見てくださった方、配信で出演してくださった方、写真展の告知をしてくださった方、そして高埜志保さん、ありがとうございました。
たぶん、オンラインでの展示というのはよっぽど何かない限り(今回はそのよっぽどがあったわけですが)今後は自主的にはやることないと思います。コロナ禍での開催というネガティブな要素がありつつも、ここまでポジティブに楽しくできたのは志保さんと一緒にできたからだと思います。
いつになるか分からないけど、こんどはリアルの場で志保さんと展示をしたいと思ってます。それまで、自分もしっかり頑張ろうと思います。
ここからは、私の作品について話そうと思ってます。
今回の展示では展示作品のフィルムのスキャンとプリントを自分ではなく、第三者に委ねてみることにしました。
それは今回の写真展のテーマとは関係がなく、私個人の挑戦というか自分と向き合うためでもありました。
いつもはフィルムのスキャンは自分の自宅にあるスキャナーでスキャンし、プリントはサイズが大きくなければ自分のプリンターでプリントします。
ただ、ここ最近、「自分の写真という”自分”というのはどこにあるんだろう?」という疑問をずっと持っていて、その答えを知るための第一歩として、よく私の写真は「色が特徴的 」と言われることが多いので、その部分を誰かに委ねてみるのはどうだろうと思い、実験的に試してみました。
お願いしたのはお友達のぼーちゃんことたなかちはるちゃんです。写真屋さんに長く勤めていて、スキャンの技術ももちろんあるのですが、ぼーちゃん自身の写真も私は大好きだし、何より私のことをよく知っている人だと思うので、お任せお願いしてみました。
正直な話しをすると、いただいた写真は私がスキャンしてレタッチしたときの写真とほぼ同じものもあれば、まったく違った色味なものもありました。
このまま展示用のプリントに進めるかどうか悩みもしましたが、私が伝えたい意図もあったので、違うなと思った写真だけ色味の補正をしました。
ただ、やっぱり、自分の撮ったものをいったん誰かに委ねるということはして良かったなと思います。
左がスキャンしてもらった写真、右が私がそのあとに色を補正した写真。どっちが正解とかではないんですが、それぞれどう感じるんだろう。
私は微妙な差なのですが、全体の色にすこしだけピンクを入れたかったのと(こういう言い方であってるのかな?)、後ろの木の色をどうしてもあの色にしたかった。
その理由は私と被写体の子の関係性だったり、被写体の子自身の印象、私が見ている世界というものになってくるのですが、(たとえばピンクを入れたいというのは”恋”の要素が入ってたのだよ…とか)そういうものがまだ言語化できないし、コミュニケーションをしながらアウトプットできるまでいけてなかったなぁと言うのが正直なところです。
ただ、そういう言語化できていないところが、「自分の写真という”自分”というのはどこにあるんだろう?」の答えなような気もして、そこをしっかり追求していくのは大事なのかなと思いました。
なので、自分らしい写真を追求していく一つとして誰かにスキャンを委ねるのはこれからもたまにお願いしてみようかなぁと思います。
あと、個人的に、誰かのフィルム写真をスキャンしてみたいなぁとも思いました。その誰かのフィルムを預かることで、その作業のどんな部分を大事にしているのか、改めて知ることができそうで。なので、お知り合いの方で預けても良いよって方は良かったらぜひお預けください…!
あと、これは今回のスキャンをしてもらったからというより、その前からずっと思っていたので、改めてなところがあるのですが、「フィルム=画素数の低い写真、ざらついている写真」というんですかね、そういうものがフィルムらしさとか、エモさとか、よく言われているんですが、これは私はまったく思っていなくて、フィルムだからこその美しさってそこではないと思っているので、やはり自分で画質も決めてスキャンするのが今のところは自分らしい写真になるのかなぁと思っています。
とにもかくにも、今回の私の実験にお付き合いくださったぼーちゃんには感謝しております。こんな見せ方もあるんだとか、たくさん勉強になりました。また、懲りずにお願いできたら嬉しいです…!
最後まで読んでいただいてありがとうございます。写真展が続けられるようにサポートしていただけるとありがたいです…!