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日記:適応障害、その後

適応障害で休職して1ヶ月が経った。本当は5月から復職する予定だったんだけど、今もまだ療養中。

というのも、4月末に産業医面談を行って復職という診断になったのだけど、面談直後に猛烈に復職が怖くなってしまったのだ。産業医には言わなかったけど、ちょうどその時胃腸の調子が悪くて薬を1種類増やしていたところだったし、なぜか1ヶ月休んでも休養した感じがあんまりなかった。なので産業医面談後に人事に相談して、復職を延期してもらうこととなった。


でもこれは本当に正解だったと思う。なぜなら5月に入ってから、超元気になったから。

休職し始めた頃は、家に引きこもってゲーム実況を見ることくらいしかできなかった。noteも書けなかったし、本も読めなかったし、筋トレもできなかった。

でも5月に入った今は、ブログも書けるし、本も読めるし、筋トレも軽いものならできる。なんなら苦手な掃除もやりたいと思える(だって部屋が汚れるんだもの笑)。ちょっと前まで敬遠していたものが、5月になって少しずつできるようになってきた。ここ数日は「そろそろ働きたいな〜」と思えるようになってきている。

こんなに元気なら、産業医面談の時に復職するって言えばよかったかな、と思う時もある。でももしあのタイミングで復職していたら、また無理をしてすぐに休職していたかもしれない(体調的にも万全ではなかったし)。今好調だと思えるのは、あの時に思い切って休職を延長したからだ、きっと。


ところでなんで5月になってから調子が良くなったのだろう?と考えたんだけど、理由としては

  • 4月中に実家に入り浸ったから

  • 気温が上がったから

  • 運動を再開できたから

あたりが考えられるかなと思う。

特に実家に入り浸れたのは大きかった。なぜなら、誰かと一緒に生活をすることで、無理にでも自分の生活リズムを変えられるから。

うちの家族、というか母はかなり活発な人だ。1日1回は必ず車で外出するし、週3回フラダンスの稽古に通っている。家でもずっと踊りの練習をしている。60代半ばくらいまで飲食店を経営していたのもあり、体力・気力と共に私よりもある気がする。

そんな家族と一緒にいると、私も必然的に動きたくなってくる。実際実家にいる時は、毎日のように運動をしたり、掃除をしたり、花木の世話をせっせとしていた。「一人で暮らしていても何も変わらないのなら、他人と過ごして無理矢理にでも自分の生活リズムを変えよう」と思っていたのだけど、その考えがいい方向に転がっていった。



あと、母親にいろいろなところに連れて行ってもらったのも大きかったと思う。私の地元は田舎なので、どこに行ったってマイナスイオンたっぷりの自然に行き着く。それによってだいぶ癒されたし、自分の地元の魅力を再発見できて楽しかった。

つまりは「遊んだ」ことが復調につながったのだと思う。休職中に遊ぶなんて、と顰蹙を買うかもしれないけど、遊びは治療の一種だと私は思っている。家に引きこもってネットを見てたってメンタルは良くならないし、「楽しい」「心地いい」と思えることに触れていかないと、生活も心もどんどん縮こまっていってしまう。だから遊べる時は遊ぶ「遊び中心精神」で生きていかないと、たちまち心身を病んでしまうのではと思った。

実際、私が適応障害になった原因の大部分は、おそらくうまく休めなかったこと=うまく遊ぶ時間を確保できなかったことだ。「体調悪いから休みたいけど、休んだらなんか申し訳ない」という気持ちの延長線で、病気になってしまった。

だから今回の休職を踏まえて、一回「遊びこそが人生だ」くらいの気持ちでいきたいと思う。それで仕事に支障が出たら変えればいい。でも個人的には、それくらい肩の力を抜いた方が仕事もうまくいくんじゃないかな、と思っている。メンタル疾患を再発させずに、細く長く仕事をやるためには、仕事に100%突っ込む方式だと失敗する気がするから。


てなわけで、6月から復職できるよう、適度に遊びながら残りの2週間を過ごしていきます。ではまた。

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