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【読書感想文】「いい人」になれない自分を責めるな!『上馬キリスト教会ツイッター部の キリスト教って、何なんだ?』

今回紹介するのは、MARO(上馬キリスト教会ツイッター部)著『上馬キリスト教会ツイッター部の キリスト教って、何なんだ? 本格的すぎる入門書には尻込みしてしまう人のための超入門書』です。

本書は、一人のクリスチャンである著者が、キリスト教の基礎知識(キリスト教が辿ってきた歴史やカトリックとプロテスタントの違いなど)、クリスチャンとしての生活、教会がどんなところなのか、聖書のストーリーなどについてゆる〜く解説する1冊。

宗教にまつわる本ではありますが、堅苦しさなどは一切なく、口語で現代風に書かれているため、かなり親しみを持って読めます(著者の表現がおもしろくて笑いが漏れる瞬間もありました。キリストと『ワンピース』のルフィの共通点とか笑)。

●清く正しく美しく生きれなくていい

書き方だけではなく、中身もめちゃくちゃ面白かったです。個人的にいいなと思ったのは、「「いい人」なんてこの世にいない」という節。

この節は「クリスチャンの方、またはクリスチャンではないけれども教会に通っているという方、はたまた教会や聖書とはまったく関係ない方でも、自分が「いい人」でないということに苦しんでいる方はいませんか?」という問いかけで始まります。そしてそれに対して、著者ははっきりと「いいんです、「いい人」なんかじゃなくて。」と言い切ります。その理由が以下。

聖書には「義人(正しい人)はいない。一人もいない」と書かれています。人は誰もが罪を犯す存在であり、清く正しくなんて生きられない存在なのだと、とっくの昔から言っているわけです。
クリスチャンとそうじゃない人の差は、自分がそんな罪深い存在であること、「いい人」なんかじゃないということを神様の前で公に認めているか否かという、ただそれだけなんです。
くだけた言い方をすれば、「俺は悪い奴だー!」と宣言して、神様の前でそれを告白した人がクリスチャンであり、その集合体が教会です。

MARO(上馬キリスト教会ツイッター部)著
『上馬キリスト教会ツイッター部の キリスト教って、何なんだ?
本格的すぎる入門書には尻込みしてしまう人のための超入門書』より

この部分を読んだとき、「聖書にそんなことが書いてあるなんて意外…!」ととても驚きました。クリスチャンではない私からすると、「利他的で清く正しく美しい人にならないと、キリスト教の信者としてふさわしくないと思われたりするんじゃないか」という思い込みがあったのです(著者が最初に言った通りですが)。

また私自身も、憧れる著名人たちの本やYouTubeや教えに触れて、「誰かのために行動できる人間にならなきゃいけない」と自然に思い込んでいましたし、その理想像になかなか近づけない自分自身に対して苛立ちを感じることがたくさんありました。

でも聖書にはっきりと「正しい人なんていない」と書かれていることーー1000年以上にわたり読み継がれてきた“あの”聖書が「人間なんて正しくなくて当たり前」と言っていることーーを知り、憑き物が落ちたような気持ちになりました。全世界の何億人もの生活を支えてきた聖書がそう言うのであれば、「まぁ自分が正しくなれないことを責める必要はないんだな」と思えたんです。

●すべての仕事を一人で背負い込む必要はない

また、「全部の仕事を背負い込まなくていい」「越えられない困難は神様に頼る」という話もとてもおもしろかったです。

この話にはノア、アブラハム、ヨセフ、モーセといった聖書の偉人たちが出てきます。「聖書の偉人」と聞くと、みな清く正しく美しい人物で、努力したからこそ栄光を手にし聖書に名前を刻めたのでは?と思う方も多いかもしれません。しかし著者によれば、みな行き当たりばったりで、神様の祝福を受けて物事をやり遂げたのだと言います。具体的には「神様、私は限界なので後はお願いします」みたいな祈りをして成功した人たちなのだとか。笑 

でも著者はその聖書の偉人たちの態度を否定せず、むしろ肯定しています。

※注:以下は著者が自身の父親と一緒にプラモデルを作った思い出に触れたあとの文章。

神様が与える「自分では超えられない困難」は、この「手伝ってもらわないとできないプラモデル」みたいなものです。そんな困難を与えるとき、神様は「これ、きっとお前には難しいから、一緒に作らないか?」と言っているんです。そこで「嫌だ!自分だけで作る!」と断ったらお父さんはがっかりしてしまいます。
人生は、神様と一緒に作るプラモデルです。それはとても複雑で難しいプラモデルですが、神様が用意した完璧なプラモデルですから、「パーツが足りない」なんて事態はないんです。神様と一緒に丁寧に作っていけば、必ず完成するんです。

ですから、本当に辛いこと悲しいことに出会ったら「越えられない試練はないんだから越えてやる!」と思うよりも、素直に「神様、僕には越えられません。助けてください」と告白してしまう方が、いいんです。強がらなくていいんです。

MARO(上馬キリスト教会ツイッター部)著
『上馬キリスト教会ツイッター部の キリスト教って、何なんだ?
本格的すぎる入門書には尻込みしてしまう人のための超入門書』より

「困難を与えるとき、神様は「これ、きっとお前には難しいから、一緒に作らないか?」と言っているんです」。ここを読んだとき、私は「そ、そうなのーーー!!??」と驚きました。なぜなら昔からずっと「1人でなんでもできるようにならなきゃいけない」「問題は自分1人で解決しなきゃいけない」「頑張らないと神様に認めてもらえない」と思い込んできたから(人事を尽くして天命を待つという言葉もありますしね)。だから「実はみんな、最初から神様に頼っていい状況にある」というキリスト教の教えを聞き、私の中の常識がひっくり返っちゃったんです。

でもまぁ確かに、何でもかんでも「自分の責任」と背負っていたら生きづらくてしょうがないですよね。だからこそ「自分でできない時は大きな何かにすがってもいい、人間にはすがれる権利がある」と著者は言っているのかなと思いました。そしてクリスチャンの人たちは正式に神様やイエス・キリストや聖霊にすがれる特権がある人たちなのかなとも思いました。私はクリスチャンではないですが、「誰かどうにかして〜」と思えるくらいのゆるさ?は身につけたいです。

…余談ですが、個人的に最近は仕事の方でトラブルがあったり環境変化があったりして、「自分がちゃんとやらなきゃ」と思い詰めていた時期でした。だからこの本に出会えて「背負い込むな」というメッセージをもらえて、少し肩の荷が降りた気がします。


著者曰く、聖書は文章の意味を理解するのがかなり難しく、聖霊の力を借りないと読み進められないとのこと。本書はそんな難解な聖書の教えをわかりやすく説き、そこから得られる導きを読者に与えてくれる優しい・易しい本です。この本を読むだけで、私は勝手に救われたような気持ちになりましたし、少し自己肯定感が上がったような気がしました。キリスト教に興味がある方はもちろん、「毎日生きるだけで大変…」というお疲れモードの方にもぜひ読んでほしいです。

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