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立野正裕 精神のたたかい―非暴力主義の思想と文学

「黄金の枝を求めてーヨーロッパ思索の旅・反戦の芸術と文学」の2年前に上梓された本書。この本で言及されている数々の文学作品の中で、私はヘミングウェイの「武器よさらば」(1929年)に不思議に惹かれた。さらに「誰がために鐘は鳴る」(1940年)を読んだ。私は、こちらをメインに据えて卒業論文を書いた。

先生とこの本に出会わなかったら、私の卒論は全く別のものになっただろう。

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私と本書との出会いはちょうど二十歳くらいの時だった、と思う。
その当時は知識も経験も圧倒的に不足しているので、読んだところで簡単には理解が及ばない。何度も何度も繰り返し読み、やっと少しだけわかったと小さな手応えを感じられればよいほうで、目を滑らすので精一杯なことも多々あった。

それでもここに書いてあることがどれだけ自分が現代を生きていくために必要か、物事を考えるうえでの礎になるか、精神の支えになるか、ということは直感的にわかった。
だから大学を卒業したあとも、何年かに一度は通読し、この力強い論考の数々に再び勇気と気力をもらい新たに日々を暮らしていこうと活をいれるのだ。

長きにわたる自民党政権下で、私たちの日本国憲法はGHQからの押し付けだと思い込まされている人は老若男女問わず多いのではないか。だが、本書の巻頭に収められている著者と大西巨人による対談の中で、「日本国憲法は押し付け憲法ではなく自前である」とキッパリ言い切られている。その中で大切な第九十七条をつねに念頭におきたい。

この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。

日本国憲法には「非暴力」の思想を現した第九条があるわけだが、その「非暴力主義」の思想が本書にあつめられた論考に一貫している。

人間は殺さなければ殺されるという論理ではなく、発砲そのものに抵抗をおぼえる生き物であるということがこれまでの戦争で証明されているということ(第一部第一章「処刑された兵士の墓」)。

天皇を頂点とする強固な封建的ヒエラルキー構造、つまり日本社会の縮図である軍隊の中で、敵を殺さないと言い切る下級兵士を描き出した大西巨人『神聖喜劇』論(第二部第二章「兵士の論理を超えて」)。

いかに物事を批評的にみるかをアメリカの知識人の姿勢から学ぶ、第三部。

もちろん世界の文学案内や映画案内としても本書は有効である。出版から14年が経とうとしている今なお読むべき書として、これからの読者にもすすめたい。

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