1日の最後に
寝るときに、いつも布団の中で今日1日のことを考えます。
今日という当たり前の日が、どれほど感謝に満ちたものだったのかを味わう時間です。
毎日が矢のように過ぎていき、気絶するように眠ってしまうこともあるのですが(笑)
寝るときにいろんなことを思い返すと、感謝しかないって思うのです。
自己啓発本を読むと、感謝すること、ゆるすこと、これらを持つことで生きやすくなったり、人生を豊かに生きられるようなことが書いてあります。
こんなに簡単なことで、素晴らしい人生が開かれると誰もがわかっているはずです。
ただ、どんなにわかっていても、こんな簡単なことが実は一番できないから困る。
感謝の仕方、ゆるし方、本当に教えて欲しいのは、その方法なんだけどなって私はずっと思っていました。
少しでも不満が出れば、感謝の気持ちは湧きませんし、嫌なことをされればゆるしたくてもできない。
本当の意味での感謝することや、ゆるすっていったいどういう意味なのでしょうか。
私の場合は、まず自分に対して感謝の気持ちを持ったり、自らの行いを私がゆるせないことには、周囲にその気持ちを持つことはできないと感じました。
結局のところ、まずは自分に対して感謝したり、ゆるすことが出来ないで、周りの人に同じようにはできなかったからです。
とても地道な行いにはなりますが、どんな状況であっても、一人でぶつぶつと私自身に対して、
『ありがとう』『愛しているよ』『大好きだよ』と言い続けたところ、胸の奥からじわじわと感謝の気持ちが湧いてきたり、どんなことを思っても、また失敗しても、自分を責める気持ちが薄れてきました。
苦手なことがあったとして、それが上手くできないから生きにくい、みたいなことがあったとします。
今までは、できない部分がフォーカスされるような出来事があれば、そのたびにダメな自分を思い出し、ゆるせなかったりしていたのですが、今はあまり気にならなくなっています。
感謝できないとか、ゆるせない時って、そのダメだなと思う自分にひたすら光を当ててしまっているんですよね。
ですから、スポットライトを浴びているときの私は、そのダメだなと思う時の私なんです。
そうやって、それ以外の出来ていることに光が当たっていないことがよくありました。
私の中でその『できない私』がマインドセットされてしまっていたのでしょう。
感謝するとか、ゆるすというのは、寛容になって我慢するとか、相手のことを理解しましょうというよりかは、光を全体にあてて、一部ではなく全体を把握するようしましょうということではないかと思うのです。
身体を例えにするとわかりやすいかもしれません。
身体の一部で気になる箇所があるとします。
みんなどこかしらは、そういう部分があるでしょう。
ここでは右腕がとても気になるとします。
私の右腕は、私が望むような動きをしないし、憧れのあの人のように細くて長くないと思っており、私はそんな右腕に感謝もできないし、ゆるすことが出来ないと思っているとしましょう。
その時に、右腕が気になる私は、ずーっと右腕だけを見ているのです。
わかりますか?
歩くときも、寝るときも、仕事をするときも、ずっと右腕だけを見張っていて、厳しい目線を向け、感謝するどころか出来ないことをゆるせないでいます。
ずっと見ていては生活しにくそうです。
ですが、ほんの少し目線を変えてみれば、他の部分は一生懸命働いてくれていて、命を繋いでいることに気が付きます。
しかも、右腕だって、私がダメな右腕だとマインドセット設定しただけで、十二分に働いてくれているとします。
それなのに、右腕から目を離せなくなっているんですよね。
その目線は、とても狭く、低い視点で物事を見ています。
全体を見るということは、視点を狭く、低くするのではなく、大きく、高くすることですから、マインドセットを変えて、今までスポットライトを浴びていた私の一部だけを見るのをやめることです。
それは神さま目線になるようなものでしょうか。
動物の動画をみるのが好きなのですが、かわいい猫や犬の動画をみていると、こう思います。
鳴いても、喜んでても怒っても可愛い。
喧嘩しても粗相しても、とにかく何をやっても可愛くて仕方がない。
もはやいてくれるだけですでに癒し、みたいな感覚になります。
その目線で自分を見るのです。
始めはそうは思えなかったり、恥ずかしいかもしれませんが、一人の時にぜひこっそり行ってみてください。
あなたは素晴らしい人だよ。
いつも頑張っているね。
ありがとう。
愛しているよ。
だいじょうぶだよ。
あなたが大切な人に向けたい言葉を、まずは世界で一番大切な自分に向けて、声をかけ続けてみるんです。
その言葉は、心に響き、伝わります。
その波紋が広がるように、自分から周りの人へどんどん広がっていくんです。
いろんなことに感謝が湧いてきたり、ゆるすということは、何かをしてもらってとか、何かをされたことに対してというように、他者からの影響とか、どこか知らない遠いところからやってくることではなくて、
自分の中から、外に外に向かっていくものだと私は考えています。
必ず発信は私からなんです。
ですから、その発信内容を変えていくことで、感謝とゆるしにつながると考えています。
いかがでしょうか。
これは原因と結果を同時に行うということでもあります。
今までは結果の方で生きていました。
これからは原因の方で生きてみるのはどうでしょうか。
今日もお読みいただきありがとうございます!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?