言葉にすること
心の中にある思いを言語化することは、頭の中をすっきりさせるのにとても役に立つかもしれません。
もやもやするとか、なんとなくすっきりしない気持ち、この正体が一体何なのかを客観的にみられるようになるからです。
そもそも、そういった苦悩とか、胸のざわつき、落ち着かない感覚について、私はあまりちゃんと観ようとはしていませんでした。
ですから、どこかその部分には蓋をして、楽しんだり、喜んだりする人生だけが良いような気がしていたのです。
ただ、聖人と言われる人がみんなお花畑のパーティタイムの人生だったかというとむしろその真逆で、苦悩の中から悟りを開き、泥水の中から蓮の花を咲かせる人生だったというのは言うまでもありません。
ですから、苦悩を見ないようにしたり、それがない人生を選ぼうとしたりするのは、むしろどこか不自然というかアンバランスな気がしてはいます。
苦悩のない人生を送りたいと思う人も多いでしょう。
SNSで人が楽しそうな生活を投稿しているのを見ると、うらやましくなったりもしますが、それらは生活の一部を切り取ったものに過ぎず、その裏にはだれにでも苦悩があるということです。
ですから、私は人生において楽しさなどの感情もあれば、悩み苦しむ思い、これらのすべては、環境のせいでも、自分のせいでもなく、
『人間に与えられた標準装備である』
という風に考えるようになりました。
機械などでもそうですが、必要な装備をすべて持っているだけですから、誰かにあって誰かにない、ということもありません。
また、生まれた時から標準装備として持っているものでしたら、それをなくそうとしたり、持っていることを嫌がる必要はありません。
そう考えると、苦悩はあっていいものですし、なくすことはできないもの。
悩んだり苦しんだりする時間も『あぁ、今私は悩んでいるのだな』などど客観的にみられるようになります。
ただ、標準装備であっても、その機能が強く働きすぎている時があります。
そもそも苦悩が強くなる時、そこにあるのは期待ではないかと私は思っています。
人生に、毎日に、自分に、相手、社会、すべてに対して期待の気持ちが強くあるとき、その多くは怒りや苦悩に満ちたものになっていくような気がします。
『なぜ私が期待した通りになっていないのか。』
その思いが、怒り、憤怒、絶望、悲しみ、そして強い苦悩に繋がっているかもしれません。
例えば、愛の思いが強い人は、平和な世界になっていないことに、愛が強い分人より怒り、悲しみ、絶望するかもしれませんし、
人生に対して期待の気持ちが大きければ、望むように出来ていない自分を責めてしまったり、悔しかったり、残念に思う気持ちが強く出るでしょう。
私は何にも期待しませんと言われると、なんだかすべてを諦めて、がっかりしているのかなと思われるかもしれないのですが、実はそうではないように思います。
それは、私が望むレベル、例えばこうあって欲しいとか、こうあるべきと思うことをやめて、もっと自由でいいですよ、ということではないかと思うのです。
前回投稿で過程について書きましたが、
体重を5㎏減らしたいと考えた時、その過程を考えて何とかダイエットに繋げようとするでしょう。
食事を減らし、運動をして、いろんなことを試しながら、結果に繋がるように頑張ると思います。
ただ、その時に思うように体重が減らなかったらどう思いますか。
こんなに我慢して頑張っているのに!
結果を求めて、苦しんでいればいるほど、その通りにならなかった時の絶望感や怒りは計り知れません。
身体をコントロールすることが出来るはず、という期待が、結果が出なかった時に自分に対して怒りやいら立ちを生んでしまうのです。
そもそも人間の身体がそんなにも思い通りに行くのであれば、老化だって止められるはずですし、体重の増減も思いのまま、病気だって自分の意志でなったり、治したり、死も克服できるでしょう。
ダイエットも同じで、あれだけ頑張ったのに全然痩せなくて、むしろダイエットをやめた途端にするする勝手に痩せた、ということもあると思います。
これは『私には体重を減らすことが出来る』と思い込んでいることが根底にあることによって、期待が膨らんでいることにあります。
ですから、叶わなかった時の苦悩は、期待していない時よりも大きくなってしまうことを如実に表しています。
私には体重をコントロールすることはできないとわかっていれば、なんとしてでも体重を減らそうとしなくていいですし、結果が出ないことにいら立ちを覚えることはありません。
ただ、何を食べて、食べないかはコントロールすることはできるのです。
ですから、出来ないことをコントロールすることはやめて、出来ることをすればいいのです。
すべてにおいて苦悩の原因は、出来ないことを出来ると思い込んで、期待してしまっていること。
確かに努力すればできることも増えていくでしょう。
成長と共に知識が増えたり、経験があると、何でもできるような気になります。
ですが、過去を変えるとか、相手を変えるとか、実はできないことの方が多い気がします。
ですから、出来ないことを出来るように頑張るのではなく、今自分に出来ることを高めていけばいい、ただそれだけなのかなと思います。
それは自分の中にある固定概念を一旦壊して、幻想のように高くなってしまったハードルを軽く跨げるぐらいの高さにすることでもあります。
朝起きたらカーテンを開けられた。
これができるから、それを毎日行うようになった。
出来ることを見つけて、高めるというはこういうことだと思います。
心がもやもやから苦悩の話になりましたが、もやもやしているなとか、苦悩しているときに、そのもやもやの原因は何なのか、また、今出来ることを紙の書いたりしていくといいかもしれません。
そのうち、今何かに期待しすぎていたり、コントロールできないことを何とかコントロールしたり、動かないものまで動かそうとしている自分に気が付くでしょう。
私もまだまだ、動かない岩を一生懸命持ち上げようとしていることが多くありますが(笑)
皆さんはいかがでしょうか。
今日もお読みいただきありがとうございます!
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