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整理の心理

三月に入るからと、突然家を整理したい気持ちがむくむくと湧き上がり、昨日は一日かけて、断捨離をしていました。

もともと荷物は少ない方と自負していましたが、全くそんなことはなくって(笑)現実から目を逸らして、クローゼットに押し込んでいるだけでした。

家じゅうの物を一旦外に出して、とにかくゴミ袋に仕分けるのを全くの無表情で行っており、

中には、一瞬ゴミ袋に入れるのを躊躇するものもありましたが、男気出して捨てました。

結果的に、軽トラック一台分ぐらいはゴミ袋に仕分けをして、あとはそれぞれのゴミの日に出すだけになっています。
結構物にあふれた生活していたんだなと。

ゴミ袋に物を捨てるだけの機械と化した私は、
ひたすらゴミをゴミ袋に入れ続けるを繰り返し、今ひどい筋肉痛なんですけど、心はすっきりしていますので、今日は整理の心理について書いてみようと思います。

いざ仕分けして、まじまじとビニール袋を眺めていた時、とても多かったのが100均で購入したプラスチックの入れ物でした。

その時は必要で購入していたものも、ライフスタイルが変わったりすると使わなくなっていたものもたくさんあったのです。

それなのに、またどこかで使うだろう、と思ってとっておいた物が多くありました。

後は、人にもらった洋服や人が作ってくれた雑貨とか、せっかくいただいたのにと、捨てにくいものもたくさんありました。

が、自分の好みに合わないものについてはお礼を言って処分させてもらうことにしました。

捨てられない、という気持ちの奥にあるのは、それらはゴミではない、という心理が隠されているなと思ったのです。

普段ゴミ箱に、躊躇せず入れているものをゴミではないとは思わないでしょう。

これはゴミです。

という認識が働くから、ゴミをゴミ箱に無表情で入れられるんだと思います。
そして、そのゴミを捨てるときに、捨てることに一瞬戸惑ったり、まだ使えるのではないか、と捨てるのをやめることはしないと思います。

特に、キッチンの生ゴミなんかは、残しておくどころか、むしろ早く捨てたいとか、思いますよね。

ですので、今持っているものを、これはゴミです、
という認識にすると、一瞬心に迷いが出てひるむんです。

なぜなら、頭の中では自分の持ち物ですから、それを捨てる必要はないですし、ゴミではないのです。

ですが、処分するとなった瞬間に、今までは、
持ち物=自分の物、だったのに、
持ち物=処分対象のものやゴミ

という認識に頭を変えないといけないので、それで脳内が混乱するというか、何となく抵抗が生まれてくるような気がしました。

中でも、思い入れがあるものや、頂いたものとか、捨てるというよりかは、自分の手元から離れていくさみしさや、相手の気持ちを考えると処分するには心が痛むみたいなこともあると思います。

いつかは使うだろうととっておいて、結局永遠に使っていないものも多くありますよね。

自分の物を処分するということは、過去や出来事、思い入れや選択の結果を、自分自身が否定するみたいな気持ちになるんじゃないかと思うのです。

なぜなら、その荷物を購入することやいただくことを強制されたわけではないのですから、不要ならいつでも処分することはできたのです。

だから、自分を否定するのではなくて、肯定したい気持ちが働くから、すでに不要な物であっても処分しにくいって言うのはそういうことではないかなあと思いました。

ただ、不要なものを処分した後に、
あれって本当に必要だったっけ?
って改めて考えると、全く生活に影響しないというか、不都合がないということにも気が付きました。

不要なものをゴミ、と捉えると処分しにくくなるので、自分とは合わなくなった、という風に見方を変える方が処分しやすいのかな~と、今回の断捨離では思いました。

今日もお読みいただきありがとうございます!







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