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【前編】カミングアウトはできなかった話


中学3年生の夏休み。その日わたしは、当時好きだった男の子の家に遊びに行っていた。好きだった、と言っても、この上なく一方的なものだった。なぜなら、一度は付き合ったけど、向こうに「好きな人ができたから」と、フラれたあとだったから。

同じ部活の同じパート。2年間はただの友達だった。何でも話せるような関係で、あの頃のわたしは、まっすぐに「男女間の友情は成立する」と、その子を根拠にそう思っていた。それくらい、仲が良かった。
3年生の春になって、ある日突然好きになった。もう、その子のことしか見えなくて、わたしはその子と家庭を築いている未来まで易々と想像できていた。わたしの運命の人は、この人だ。わたしは絶対、この人と結婚して、しあわせな家庭を築く。そう信じていた。それくらい、一気にその子を好きになって、それ以上なんてないほどに好きだった。告白をして、OKをもらえて、ずっと一緒にいようね、なんて言うから、うん、って答えたのに、あいつの「ずっと」は思っていたよりもずっとずっと、短かった。春に始まった恋が、夏休みを迎えた頃には終わっていたくらいには、短かった。おい、お前の「ずっと」どうなっとんねん。

それでも、好きだった。だって毎日部活で顔合わせんだよ?嫌いになんかなれなくない?だからわたしは、気が済むまで好きでいようと思っていた。
そんな状態で迎えた夏休み。向こうから「勉強教えて。明日うちで宿題しよ」と誘われた。断る理由なんてない。宿題一緒にやるだけだし。勉強教えてあげるだけだし。と思いつつも、普段着ないようなかわいいワンピースを着て、ワンピースには似合わない学校指定の白いヘルメットをきちんと被って(チャリ乗る時は必ず着用って校則で決まっていて、違反すると部活動停止になるからみんな必ず被っていた)(ド田舎あるある)彼の家(もちろん実家)まで浮き足立って遊びに行った。

期待してなかったと言ったらうそになる。思春期の男女が、親のいない家の部屋でふたりっきり。何もなければないで、それでいい。宿題を一緒にしよう、と。勉強を教えて、と。その役割に自分が選ばれたことだけでも、舞い上がるほどうれしかった。宿題を一緒にやって、だいすきな人との夏休みのたいせつな想い出になるだけでいい。そう思っていた。まぁ結果的に、なにか、はあってしまったのだけれど。
悪いことをしてしまったかのような罪悪感と共に家に帰った。彼のことが好きで好きでたまらない。もう本当に、あの時のわたしは彼以外の人など見えなかったし、見ようともしなかった。

うちの吹奏楽部は、夏休み明けの定期演奏会が終われば3年生は引退となる。高校は別々。彼と一緒に同じ場所で過ごせる時間はもう長くはない。だからわたしは、夏休み明けに、迷わずもう一度告白した。やっぱりどうしても好き。やり直したい。もう一回付き合って。「考えさせて」と言われた。数日後、明確な答えをなかなかくれない彼に痺れを切らして、返事を聞いた。今でも、一言一句覚えている。彼の声も、トーンも。「今でも覚えている あなたの言葉 肩の向こうに見えた景色さえも」プリプリのMを地でいっている女。それがわたし。

「答え…?答えは、ノー」

意味がわからなかった。なんで?じゃああの日のことは何だったの?定期演奏会の練習をしていた町のホールの廊下に蹲ってぐるぐる考えて、ようやくわかった。ああ、そういうことか。わたしの気持ちは、利用されたのか。性への興味、関心がいちばん深まる時期に、簡単にさせてくれそうな自分に惚れている女がいる。だからわたしが選ばれたのか。その日の少し前に、わたしと別れる時に言っていた「好きな人」とはうまくいかなかったということも、聞かされていた。ああ、だからか。そういうことか。すぐには立ち上がれないほど、傷ついていた。

でも、それを思い知ってもなお、それでもわたしは好きだった。どうしても嫌いになれない。何をされても好き。本当に好き。彼だけが好き。でも、中3の男子なんて、そんなことがあったらまわりからからかわれるだけなんだろう。いつまでもわたしが好きでいたことで、もしかしたら嫌な想いをしたのかもしれない。季節が移ろいで、金木犀の香りがし始めた頃には、好きになるまでの2年間が、お互いに何でも話せるくらいに仲の良かった友達だったことなんてまるでぜんぶ嘘だったかのように、避けられていた。
中庭を挟んだ向かい側の教室に、彼がいた。距離は10mもないくらい。相手が誰なのか、見えないような距離ではない。彼は教室のベランダにひとりでいて、わたしはただ、その向かい合った教室の窓越しに、挨拶のような、それくらいの軽い気持ちで手を振った。女の子同士が友達を見つけた時に手を振りあうような、それくらいの、ごく軽い感覚で。
でも、それを見た彼は、手を振ってきた相手がわたしであることを認識したとたん、苦虫を噛み潰したような顔をしながら、親指を下に向けた右手を、首元から下に振り下ろした。自分の心が裂けていく音が聞こえた。
今でも、金木犀の香りを嗅ぐと、あの時のことを思い出して不安定になる時がある。一時期よりはだいぶ平気にはなったけど。でも、あれからもう27年も経ったのに、これを書いている今、涙が止まらない。信じられんな。ほりなつくんがこの世に生まれてからの、“ほりなつくんの人生まるごと”の時間よりも長い時間が流れているのに、それでもまだ、昨日のことのように涙が出る。彼はきっと、その日の夜にはそんなことをしたことも忘れて、あったかいお布団で寝たんだろうに。

それでも、それでも、嫌いにはなれなかった。でも、迷惑かと思ってたから、バレンタインは渡さなかった。なのに、友達づてに「あいつ期待してたみたいよ」とか言われたから、帰ってからクッキーを焼いて、次の日に渡した。2月の中旬の、受験生が、よ?あまりにも健気で、この上なく愚かで、利用されていると知りながら、いとも簡単に踊らされていた馬鹿な女のアカウントがこちらです。ホワイトデーは、なんにもなかった。そうだね。知ってる。君は、わたしのことがきらいだもんね。

ねぇ、これ中3で履修するの、難しすぎない?

大人になった今なら、気持ちの整理の付け方はある程度もうわかっていて、かなしみも苦しみも、しかたないとか、どうしようもないとか、そういった気持ちの割り切り方は、スキルとして身につけている。今なら、わたしでもちゃんと割り切れるよ。
でも、あの頃のわたしはまだ15歳だった。中学3年生の夏から卒業までにあったことは、15歳のこころで受け止めるには、辛すぎた。自分でどうにかできるようなできごとでは全然なくて、その傷と向き合うことがわたしにはあまりにも痛すぎて、わたしは結局、その傷から目を逸らして、痛みなんか感じていないフリをしながら、逃げることしかできなかった。逃げてばっかりだったな。わたしは。



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