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なんばグランド花月の本公演を見た話

春のラフフェスを見るために2年ぶりに大阪に行った。よしもとの女になってからは初めての大阪。そりゃあもうふがふがしながら、ワンチャンを逃さず行けるものにはすべて行く!!!と鼻息荒く息巻きながら大阪に乗り込んだ。

今回の大阪遠征のラインナップ。我ながら最高の布陣。


計6ステ。本当にどの公演もおもしろくてたのしくて涙が出るほどめちゃくちゃに笑った。何度眦を拭ったことか。そんな中、おもしろすぎて涙が出る、のとは違う涙を流した公演があった。そう。

なんばグランド花月 本公演。

初めてNGKに入った。寄席を見た。なんかもう、もう、本当にすごかった。ただただすごかった。聖地だった。重みが全然違った。圧倒された。すごかった。すごかった!!!!!!
まずもう、着いて正面の看板見た時点で「ああもうこれあかんやつやん!!!!」と胸を打たれた(早ない?)わたしはトットちゃんがこの世の漫才師の中でいちばんすきなので、ここに「トット」の看板が並んだら…!と思っただけでまず泣いたよね(早いて)そんな日が来たら(来る)(言霊)あの看板を見るためだけに大阪に行くし、手彫りで自分でストラップ作ってご近所さんに配りまくるわ(やめとこ?)
名前だけでも気圧されるような、荘厳さすら感じる美しい看板。劇場スタッフの方々の品格のある佇まい。階段の白さすら目に眩しく、神々しかった。「日本最高峰の笑い」がここにあることを、劇場に入るまでの間だけでまざまざと見せつけられた。ここは、格が違う。そして中に入って目にするレトロさの残る設備に吉本興業の歴史を感じ、これまでどれほどの人たちが、ここに立つために計り知れない努力を重ねてきたのかと、そこに想いを馳せるだけでぐっと心が揺さぶられた。

寄席が始まった。土曜日の昼の2回目公演でセンキューソールドアウト。満席のNGKは、ステージから見たらきっと壮観なんだろう。
出囃子が流れて、バックスクリーンにコンビ名と写真が映し出された。それまでに獲得した賞レースのタイトルも並べられ、NGKの舞台に立つに相応しい、実績のあるコンビであることが誰にでもわかるように提示される。2組目のアインシュタイン、3組目の見取り図の時に、そこでわたしはこれまで感じたことがなかったものを体験した。写真とコンビ名がバックスクリーンに出た時の“会場のどよめき”である。客席からの「おおー!」という感嘆の声が、2階席にいたわたしにもはっきりと聞こえてきた。

若い世代で(今回はわたしもこっちに入れさせて)芸人を追っかけて劇場に通っている人たちは、まずそんな声は出さない。目当てがそこだから。出てくると知っていて足を運んでいる。そう考えると、その感嘆の声は、今回の公演こそが目的で、ただ純粋にNGKの昼公演を見に来ていた人たちから聞こえてきたことになる。わたしは東北の育ちで、土曜日の昼?の新喜劇とか、そういう文化で育っていないので、いわゆる「オタク」以外の人たちがお笑いのチケット購入に至る動機のようなものはよくわからないのだが、たとえば「春休みだし家族みんなで新喜劇見に行くか!」というご家庭とか「お父さん新喜劇連れてってよー!」とお願いしたお子さんとか「ばあさんや、久しぶりに新喜劇でも観に行こうかの」という提案をした老夫婦とか、そういう方たちの購入があっての「完売御礼」だったんだと思うんですよ。
だから、その状態でのあれってめっちゃすごいことだと思うの。あの「おおー!」というどよめきには、彼らが努力を重ねて手に入れてきたいろんなものが、ぜんぶ現されているような気がする。だってあの「おおー!」のあとに続く言葉は、プラスのものにしかなりえないじゃん?
おおー!知ってる!(=知名度)
おおー!楽しみ!(=期待)
おおー!見てみたかった!(=希望)
おおー!待ってました!(=実績)
おおー!見れてラッキー!(=評判)
言葉にはされない感嘆の奥にあるものを、彼らはこれまでの積み重ねで全部自分たちのものにしてきたのだ。それだけの重みがあるどよめきだった。

この公演でいちばんどよめきが大きかったのはかまいたちで、アインシュタイン、見取り図の時の「おおーー!」よりも、何倍にも大きく聞こえた。あの、バックスクリーンに名前が出てからのほんの一瞬で、客席から望まれ、迎え入れられる感覚。これもまた、彼らの努力の賜物なわけで、その客席の感嘆の大きさにまた感動し涙を流した。そのあとのやすともさんに至っては、出囃子が流れたら全員が手拍子を始め、おふたりが出てきた時にはどよめきを超えた「ひゅ〜〜〜!」に「いえ〜〜〜〜い!」で返してくれるという、まるで次元の違う客席との掛け合いを見た。すごかった。あんな風にあたたかく客席の全員から迎えられて、ここがホームです、ここがわたしたちが生きている場所ですって、ふたりでマイクの前に立つだけで示せるの、本当にかっこいい。

わたしはこの春でよしもとの女になって3年目、くらいの歴の浅いファンなので、アインシュタインも見取り図もかまいたちも、若手の頃の下積み時代のことはよく知らない(今でもまだ下積みだと彼らは思っていそうだけれど)それでも、今日聞いたあのどよめきに「こうなるだけの努力をずっとずっとしてきたんだもんね。今までめちゃくちゃにがんばってきたんだもんね」と、いたく瞳が潤んでしまった。そしてまた、勝手に想いを馳せて泣くのである。

トットちゃんがNGK立った時にもこのどよめきが(以下略)

わたしはコロナ禍になってからトットちゃんを好きになったので、トットちゃんがNGKでネタを披露しているところをまだ見たことがない(毎月本公演には出演されています!!!)(わたしが見たことがないというだけの話)だから、あのどよめきが起きているのかもわからないし、まだもう少しかなという気はしている(忖度なし)コロナ禍で、NGKですらお客さんがいなかったとよく聞いたし、もしかしたらまん防が解除されたタイミングで、あのどよめきもやっと戻ってきたのかもしれない。あれがない日だってもちろんあるだろう。でもわたしは、いつかトットちゃんを見るために行くNGKの本公演で、完売御礼の満員の客席から、トットちゃんに向けられた今日のかまいたちのような大きな大きなどよめきを聞きたい。そして、そこに至るまでに積み重ねられた果てしない時の流れと、決して表には見せないおふたりのたゆまぬ努力を、感嘆の奥から感じ取って咽び泣きたい。ぐずぐずに泣きながらゲラゲラ笑ってトットちゃんの漫才が見たい(きっっっしょ!)それが聞けたら… トットちゃんのために向けられたあの感嘆の「おおー!」が聞けたら、わたしはもういつ死んでもいい。いつかトットちゃんの漫才を見るためだけにNGKに行こう。あの舞台に立っているトットちゃんを、この目で見たい。

あの大舞台に堂々と立っていた芸人たちは、全部が全部、全員が、紛うことなく“本物”だった。マイクひとつで、己の身ひとつで、老若男女問わず、その場所にいる全員を笑わせる。会場が揺れる。本当にかっこよかった。死ぬほどかっこよかった。あの場所は、本物たちに会える場所だった。行ってよかった。

なんばグランド花月には、本当に「日本最高峰の笑い」があった。あんなにも笑える場所がこの世にあったとは。あれは日本の誇りだ。あの場所でしか体験できない「日本最高峰の笑い」を、たくさんの人に感じて欲しいなと思った。

お笑いは、いいぞ


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