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弱い自分を認める強さ -インターンを振り返る(1)-

えぽっくがどんな会社なのかをお伝えする「インターン生あおちゃんのえぽっく日記」、5回目にして最終編になります。私が1月でえぽっくのインターンを終了することになるからです。

最初は「オンラインインターンの方法」についてお話ししようと思っていたのですが、How to記事なら私でなくとも書けるので、少し方向性を変え、約半年間えぽっくでどのように悩み、壁にぶち当たり、越えようとしてきたのかを赤裸々に、それこそ日記のように綴っていくことにしました。
社会人の方にとっては、「自分も若い時はこんなことがあったなぁ」と懐かしくなる記事かもしれません。
会社とのであいは恋愛だ」と比べとても泥臭い中身になると思いますが、よろしければお付き合いください。


「自分にしか出来ない仕事があるはず」

遡ること半年前。スポーツジムのスタッフとして働いていた私は、誰もいないプールサイドを監視している時「私は何を監視しているのだろう」と思い、1年半続けていたバイトを辞めました。ちょうどその時期は、自分で古着屋を営む同級生や、バイト先で「お客さんがいない時間は勉強にあてなさい」と言われている後輩の話に影響され「自分にしか出来ない仕事があるとしたら、この時間がもったいない」と思っていたのです。
その勢いで、ずっと気になっていたえぽっくのインターン「ひきだし」に応募しました。

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「好きなことで生きていく!」

9月。「ひきだし」を終了した後の達成感と興奮が続くまま、若松さんに「えぽっくでインターンをさせてもらえないか」と交渉しました。えぽっくではインターン生を、しかもオンラインで受け入れることは今までなかったにも関わらず、この状況下でも出来ることを、仕事として与えてくれました。そしてえぽっくに関する記事の作成や、地域おこし協力隊に関する業務を任せてもらうことに。「地域」や「人に魅力を伝えること」が好きだった私は「これが『好きなことで生きていく』というものか!」と、舞い上がっていました。
週3日、1日6〜7時間勤務でのオンラインインターンが始まりました。


「ダメだ、もうダメだ立ち上がれない」


10月。えぽっくが協力隊や市役所とどのような関係なのかよく理解していないまま「協力隊募集記事を作成して欲しい」と頼まれ、取り掛かりました。結果から言うと、私が書いた最初の記事は「ひどい」の一言につきるものでした。文章の前後関係が取れておらず、読み手への思いやりもなく、どんな人に来て欲しいのかあやふやで「とりあえず書けば良いのだ」という私の卑しさがひしひしと伝わってくるような記事だったと思います。若松さんからは「読み手とのコミュニケーションが取れていない」「仕事に向き合ってください」と注意を受け、人一倍プライドが高かった私は「自分が思っていた以上に何も出来ない」事実にただただ泣いていました。
その後、気を取り直し「とりあえずどんなところか知るために、茨城に行ってみよう」と現地視察に。そこで役所の方から「協力隊の応募が1枠10人は来るようにお願いしますね!」と言われ「これは仕事としてやらせてもらっているんだ」と初めて責任の大きさを自覚しました。そしてまた、帰りの電車で泣いていました。
10月はこんな調子でずっと泣いていました。インターンをして「泣いちゃう自分が嫌だ」と思っている子がいたら「私もそうでした」と肩をさすってあげたいです。

10月27日。「目の前のことしか見えてない。視野が狭い。余裕がない。」と若松さんから再び注意を受けました。図星を刺され、ほぼ逃げるようにして若松さんとのミーティングを終えました。
授業やゼミ、資格の勉強、サークル、ひきだし記事の編集作業などと並行してインターンを進める中、睡眠時間は短くなり、ストレスは溜まっていき、気づけば圧倒的な孤独感の中にいました。「自分の力でやり切らないと」と思い込み、周りに頼る選択肢など、言葉の通り頭の中にありませんでした。「辞めようかな」。そう思ったと同時にもう1人の自分が言いました。
「またこのパターンか」。

習い事、部活、受験。私は「辛い」と思ったものにはそれ相応の理由をつけて逃げてきました。「次のレベルにいくと体罰を厭わない厳しいコーチになるから辞める」「体調不良が続くから、部活辞める」「受験勉強のスタイルが合わないから推薦で行く」。そして今まで逃げてきた自分を「別にこれで良い」と肯定しながら、それらを乗り越えてきた人たちに憧れていました。「辞めたらまた、憧れるだけの自分になるんじゃないの?今が変わるタイミングなんじゃないの?」

ダメだ、もうダメだ立ち上がれない そんな自分変えたくて今日も行く


大好きな曲「明日も(SHISHAMO)」を聴いて「あぁ、インターンに戻ろう」と、若松さんに連絡を取りました。

この日から「逃げない」決意をし、出来ない自分を認めるよう決めました。

「分からないことをきちんと分かっているのが大事なのよ。分かってもいないのに分かっていると思いこんでるのが、一番よくない。」
                 (また同じ夢を見ていた/住野よる)


自分が出来ないことを分かっていることが大事です。それを分かっていないのに「分かっている」と思い込んでいるのが、一番よくないのです。こんなにも単純なことができるようになるまで20年かかりました。そしてえぽっくは、それに気付かせるために厳しい言葉とともに心から向き合ってくれました。感謝してもしきれません。

この続きは次回に。記事に関するコメントや「スキ」をお待ちしています!


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