障害者雇用ブログの小休憩 思考する遊び
小さい頃から色々と無駄なことを考えるのが好きで、ここまであちこち寄り道しながら生きてきたのだが、去年会社員になってあらためて頭から離れないことがある。
下記は学生でバイトにはげんでいたころに考えたことから派生したものである。
ちなみに、それこそ娯楽なので、にやにやしながら読んでいただけたら感無量である。
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働く、ことの対価として労働者に与えられるのが、給料である。
これは至極当然のことである。
ただ、働くためには、その会社のある場所にいかなければ話は始まらない。
つまり通勤とやらである。
通勤するためには、それなりの時間がかかるし、なにせ動くから体力も必要である。
働くためには、働く時間だけでなく、通勤のために移動する時間と労力も費やさなければいけないのである。
それだけ時間も拘束されるし労力も貴重な資源からひねり出すわけだから、労働者は給与のほかに、通勤の時間・労力のためのお給料ももらってもよいのではないだろうか?
もちろん、通勤手当(交通費)は当然である。
私が考えているのは、通勤にかかる「時間」と「労力」に値する対価である。
(・・一旦停止。ここで確認したいのだが、いたって軽い気持ちで読んでいただきたい。)
ラッシュにもまれて電車という密室・密集空間に果てしなく耐え、やっとのことで職場にたどり着く。
ぜえぜえと息を切らしているイメージである。
職場は、もはや業務の前のゴールであり、出社だけで得られる達成感はこのうえない。
仕事を終え疲れ切った帰りは帰りで、ようやくその日の業務を終えてほっとできるかと思えばそうではなく、同じく疲れ切った人々の雑踏の中で電車に食らいつき、必死の思いで家まで這いつくばる。
こんな通勤にも、その労力の対価として手当を払っていただきたいのである。
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さらにいえば昔からしっくりきていなかったのが、身だしなみとやらである。
この世の中の社会人たちは、身だしなみを整えるのは社会人としてのマナーだ、という思想を刷り込まれている。
私はマナーそのものには反対しない。
そうではなく、ここで触れたいのは、マナー維持にかかる時間とコストの負担者は誰か?である。
スーツとか化粧品とかヘアグッズにかかる費用は会社が払ってくれるわけではなく自腹だし、出社する朝は準備にそれなりの時間もかかる。
「マナーだ」と豪語し「ただし自腹を切って、準備にはプライベートの時間を犠牲にせよ」といったように、まったくもって論理上、納得のいかないことがこの世の中にまかり通っているのである。
これは心の底から納得できることなのか?
いやいや、そうはいくまい。
(・・・私個人は身だしなみを整えるのが嫌いなわけではなく、これはあくまで机上の空論である。エンターテインメントだと思って読んでいただきたい。)
出社して仕事をするために、事前に化粧品をそろえ、スーツを新調する。
髪型やオフィスカジュアルな私服の流行も、気合いを入れてファッション雑誌やアプリで日々チェックせねばならない。
出社日の朝起きてからは、顔を洗い、着替えて思わぬ方向にぴょんとはねた髪の毛をワックスで力ずくで抑え、破れないように細心の注意を払いながらストッキングをはいて家を出る。
この会社と自宅を行き来するために会社員はお金と時間と労力を注ぎこんでいるわけだから、そのぶん堂々と賃金を要求しても会社は文句を言えないのではないか。
なぜ業務以外にも手当てを?と思われるかもしれない。ああ、いいだろう。
この論理を正当化したものがある。
それは、在宅ワークである。
在宅ワークのときは、もちろん通勤する必要はないし、何よりあえて極論をいえば、顔を洗う必要はないし髪をセットする必要も化粧に手間をかける必要もない。
着替えずパジャマのままでお仕事を始めても、上司から「社会人としてのマナーがなってない」とは言われない。
通勤のストレスもないし、午後にパウダールームに行って落ちかけた化粧を直す必要もない。
しっかりと業務をこなし、メールやWEBミーティング(カメラオフ)でコミュニケーションをはかって情報を共有し、与えられた職務をまっとうすれば、充分なのである。
むしろ、会社は業務用の給与のみを払っているのだから、そのほかのことを言える立場にはおかれていないだろう。
(・・・私は在宅でも顔を洗うし歯も磨く。ここに書いていることは、娯楽のための空論である。ただし、パジャマは実行犯である。部屋着兼用といっておこう。)
在宅ワークであれば、業務自体に給与が支払われていることになる。
業務=給与である。
だから在宅ワークのときこそ、給与の理論が成立するのである。
これをふまえ、あらためて出社の場合の給与を考えてみたい。
出社するために、マナーとやらのねっとりとした信仰心につきまとわれ、皮肉にもボランティアで時間とお金と労力を費やして、自宅と会社を行き来する。
この血のにじむようなコストと労力にも、会社からの対価が支払われて然りではないだろうか?
ぷんぷん!激おこ!
と思いながら、出社日の朝、鏡の前でファンデーションを顔面に全力で叩きつけている。
(・・なお、本人はこうやって色々考えるのを楽しんでいる)
(ちなみに、大阪のおっちゃん達が帰り道に缶ビールをひっかけながら電車に乗るのは、私のこの論理と同じである。
通勤労力の対価を会社が支払わないのなら、もうプライベートの時間をとことん謳歌すれば良いという、常識の一歩上を行く先駆者として、むしろ尊敬に値する。・・・ただし仲良くなりたいかどうかは別である)
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人生とは、無駄に頭を使ってこそ、より一層楽しめるのである。
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