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私たちは今も異邦人なのか

はじめに

神様の目から見て、私たちは今も異邦人なのでしょうか。

確かに、聖書は私たちのことを「異邦人」と呼びます。
割礼を受けている人々と区別するために、そう呼んでいるのです。

しかし、神様の目に、私たちは今も異邦人なのでしょうか。

これはとても大切な問題ですので、聖書からきちんと確認しておきましょう。

あなたの先祖はアブラハムですか?

まずは質問させてください。
あなたの先祖はアブラハムですか?

多くの人が「違います」と答えるでしょう。

では、質問を変えます。
あなたはアブラハムの子孫ですか?

今度は「はい」と答える人もいるでしょう。
聖書がそう教えているからです。

ガラテヤ人への手紙
3:7 だから、信仰による者こそアブラハムの子であることを、知るべきである。

ガラテヤ人への手紙
3:29 もしキリストのものであるなら、あなたがたはアブラハムの子孫であり、約束による相続人なのである。

このとおり、あなたが本物の信仰者であるなら、あなたはアブラハムの子孫です。

まずはこのことを覚えてください。
イスラエルとなるために、血筋は関係ないのです。

ローマ人への手紙
9:6 ──なぜなら、イスラエルから出た者が全部イスラエルなのではなく、
9:7 また、アブラハムの子孫だからといって、その全部が子であるのではないからである──

大切なのは、本物の信仰です。
本物の信仰があるなら、あなたはアブラハムの子孫です。
そして子孫であるなら、先祖はアブラハムです。
割礼があろうとなかろうと、あなたはイスラエルとみなされるのです。

ガラテヤ人への手紙
6:15 割礼のあるなしは問題ではなく、ただ、新しく造られることこそ、重要なのである。
6:16 この法則に従って進む人々の上に、平和とあわれみとがあるように。また、神のイスラエルの上にあるように

自分をイスラエルだと認めない人々

「私はイスラエルです」そう言うと、
「置換神学」「代替神学」と言って、馬鹿にする人たちがいます。

もしくは、「それは霊的イスラエルのことであって、本当のイスラエルは別にいます」と言う人たちがいます。

彼らはユダヤ人こそが今も神の民イスラエルだと教えられているからです。

しかし、それは聖書の教えではありません。

ローマ人への手紙
10:12 ユダヤ人とギリシヤ人との差別はない。同一の主が万民の主であって、彼を呼び求めるすべての人を豊かに恵んで下さるからである。

ガラテヤ人への手紙
3:28 もはや、ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男も女もない。あなたがたは皆、キリスト・イエスにあって一つだからである。

コロサイ人への手紙
3:11 そこには、もはやギリシヤ人とユダヤ人、割礼と無割礼、未開の人、スクテヤ人、奴隷、自由人の差別はない。キリストがすべてであり、すべてのもののうちにいますのである。

ショックなことかもしれませんが、まずは聖書の教えを信じましょう。

ユダヤ人と異邦人の区別は、もうありません
「ユダヤの民族的救い」という話は、ある一派が教える神学の一つに過ぎないのです。

キリストに従わなかったユダヤ人について、聖書はどう言っているでしょうか。

使徒の働き
3:22 モーセは言った、『主なる神は、わたしをお立てになったように、あなたがたの兄弟の中から、ひとりの預言者(イエス)をお立てになるであろう。その預言者があなたがたに語ることには、ことごとく聞きしたがいなさい。
3:23 彼に聞きしたがわない者は、みな民の中から滅ぼし去られるであろう』。

彼らはもう、民の中から断たれているのです。

それでも「血筋による」と言い続けますか?
「自分はイスラエルではない」と言い続けますか?

そうであってはいけません。
聖書の言葉を、私たちは素直に受け入れる必要があります。

マタイの福音書
21:43 それだから、あなたがたに言うが、神の国はあなたがたから取り上げられて、御国にふさわしい実を結ぶような異邦人に与えられるであろう

中東に建国されたイスラエルは、聖書のイスラエルではありません。
私たちを惑わすためにサタンが建国した、にせのイスラエルです。

どうか今、目を覚まして、自分がイスラエルであるという認識を回復してください。
この回復がなければ、あなたは神の約束を投げ捨てることになるからです。

イスラエルへの神の約束

自分をイスラエルだと信じる人には、次の約束が与えられます。

ヘブル人への手紙
8:10 わたしが、それらの日の後、イスラエルの家と立てようとする契約はこれである、と主が言われる。すなわち、わたしの律法を彼らの思いの中に入れ、彼らの心に書きつけよう。こうして、わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となるであろう。

これは「新約」と呼ばれる、聖書の中で最も大切な契約です。
そしてこれは、イスラエルの家と立てる契約だと書かれています。

自分をイスラエルだと認めない人や、心に律法が書かれることを拒絶する人には、この契約は与えられません。
そのために、多くの人がこの恵みを失っているのです。

異邦人

自分がイスラエルだという認識を持たない人は、今も神の目に異邦人です。

この「異邦人」という言葉には、もう一つの意味があります。
それは、「異教徒」すなわち「神の教えを受け入れない人々」という意味です。

あなたはそうであってはいけません。

エペソ人への手紙
4:17 そこで、わたしは主にあっておごそかに勧める。あなたがたは今後、異邦人がむなしい心で歩いているように歩いてはならない

聖書はこう言っています。

エペソ人への手紙
2:12 またその当時は、キリストを知らず、イスラエルの国籍がなく、約束されたいろいろの契約に縁がなく、この世の中で希望もなく神もない者であった。
(途中省略)
2:19 そこであなたがたは、もはや異国人でも宿り人でもなく、聖徒たちと同じ国籍の者であり、神の家族なのである

イスラエルの国籍がなかった私たちが、今やその国籍を持ち、約束されたいろいろな契約にあずかると聖書は教えてくれているのです。

それなのに、ああ、なんと言うことでしょう。
多くのクリスチャンが、この恵みを拒絶しているのです。

その理由はただ一つ。
人間の教えを、聖書の教えよりも上に置いているからです。

異邦人が教会を踏みにじる

異邦人が教会を踏みにじることは、聖書に預言されたことでした。

ヨハネの黙示録
11:2 聖所の外の庭はそのままにしておきなさい。それを測ってはならない。そこは異邦人に与えられた所だから。彼らは、四十二か月の間この聖なる都を踏みにじるであろう。

「聖所」「神の宮」「エルサレム」などは、預言的に教会を指すことを覚えてください。

このように、イスラエルの認識を持たない「異邦人」が教会を踏みにじることは、すでに預言されていたのです。

その期間は、三年半、四十二か月、千二百六十日などの日数で表現され、
「異邦人の時」とも呼ばれています。

ルカの福音書
21:23 その日には、身重の女と乳飲み子をもつ女とは、不幸である。地上には大きな苦難があり、この民にはみ怒りが臨み、
21:24 彼らはつるぎの刃に倒れ、また捕えられて諸国へ引きゆかれるであろう。そしてエルサレムは、異邦人の時期が満ちるまで、彼らに踏みにじられているであろう。

これは未来に起こる出来事ではありません。今がそのときです。
今がまさに「大患難時代」なのです。

この預言のとおり、イスラエルとしての認識を持たない「異邦人」が今、教会を踏みにじっています。

このような人たちは、しゅの日にどうなると教えられているでしょうか。

エゼキエル書
30:3 その日は近い、主の日は近い。これは雲の日、異邦人の滅びの時である

もう異邦人でいてはいけない

「こうして、わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる」
この恵みを今、しっかりと受け取りましょう。
新約を受けて、神の民イスラエルとなるのです。

聖書によれば、私たちは間違いなくアブラハムの子孫であり、イスラエルの国籍を持つ者です。
この認識がなければ、決して聖書を正しく読むことはできません。

そうです、私たちは、聖書を自分の先祖の話として読む必要があるのです。
実際、コリント教会の人々はそうしていました。

コリント人への手紙 第一
10:1 兄弟たちよ。このことを知らずにいてもらいたくない。わたしたちの先祖はみな雲の下におり、みな海を通り、
10:2 みな雲の中、海の中で、モーセにつくバプテスマを受けた。
10:3 また、みな同じ霊の食物を食べ、
10:4 みな同じ霊の飲み物を飲んだ。すなわち、彼らについてきた霊の岩から飲んだのであるが、この岩はキリストにほかならない。
10:5 しかし、彼らの中の大多数は、神のみこころにかなわなかったので、荒野で滅ぼされてしまった
10:6 これらの出来事は、わたしたちに対する警告であって、彼らが悪をむさぼったように、わたしたちも悪をむさぼることのないためなのである。

今、コリント教会の人々と同じように読めたでしょうか。
現代教会において、このことはすっかり隠されています。

私たちの先祖もまた、バプテスマを受け、キリストの霊を受けたのです。
にもかかわらず、大多数は神の御心みこころかなわなかったので、滅ぼされてしまいました

これらの出来事は、私たちに対する警告だとはっきり書かれています。
イエス様の教えもまったく同じです。

マタイの福音書
7:21 わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。

この聖句の続きを読んでみてください。
「行いは不要」だとか「救いを失うことはない」という現代教会の教えが、いかに間違っているか、はっきりと分かるはずです。

今は異邦人の時です。異教徒の時神の教えを受け入れない人々の時なのです。
その道を整え、まっすぐにすることは、私やあなたがやるしかないのです。

その手始めとして、まずは覚えてください。
あなたはもう、異邦人ではありません。キリストのものであるなら、アブラハムの子孫です。選ばれた種族、祭司の国、聖なる国民、神につける民なのです。

ペテロの手紙 第一
2:9 しかし、あなたがたは、選ばれた種族、祭司の国、聖なる国民、神につける民である。それによって、暗やみから驚くべきみ光に招き入れて下さったかたのみわざを、あなたがたが語り伝えるためである。

おわりに

私たちを異邦人でいさせるために、サタンは様々なうそを神学に混ぜ込んでいます。

これに対抗する武器はただ一つ、御言葉みことばの剣だけです。

今、異邦人に踏み荒らされた教会を、御言葉みことばの剣によってまっすぐに立て直すときに来ています。
しゅの来臨に備えて、道を平らに整えるのです。

このブログを信じる必要はまったくありません。
人の教えをすべて取り去って、聖書を信じてください。
正しいのは、いつだって聖書だからです。

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