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救われる者は少ない

はじめに

「救われる者は少ない」そう聖書が教えているのを知っているでしょうか。

ルカの福音書
13:23 すると、ある人がイエスに、「主よ、救われる人は少ないのですか」と尋ねた。
13:24 そこでイエスは人々にむかって言われた、「狭い戸口からはいるように努めなさい。事実、はいろうとしても、はいれない人が多いのだから

このとおり、救われる人は少ないのです。

神様の力が足りないからでしょうか。
それとも、神様が救われる人を少ししか選んでいないからでしょうか。

これはとても大切なことですので、きちんと聖書から確認してみましょう。

神様のせいではない

神様の力が足りないから、救われる人が少ないのではありません。

マタイの福音書
19:23 それからイエスは弟子たちに言われた、「よく聞きなさい。富んでいる者が天国にはいるのは、むずかしいものである。
19:24 また、あなたがたに言うが、富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい」。
19:25 弟子たちはこれを聞いて非常に驚いて言った、「では、だれが救われることができるのだろう」。
19:26 イエスは彼らを見つめて言われた、「人にはそれはできないが、神にはなんでもできない事はない」。

このとおり、神様は全能であり、神様に救えない人はいません

では、予定説を唱える人々の言うように、神様が救われる人を少ししか選んでいないから、救われる人が少ないのでしょうか。

いいえ。

テモテへの手紙 第一
2:4 神は、すべての人が救われて、真理を悟るに至ることを望んでおられる

このとおり、神様の御心みこころは、すべての人が救われることです。
実際、しゅは、全人類の罪のために、自らの命をささげてくださいました。

テモテへの手紙 第一
2:6 彼は、すべての人のあがないとしてご自身をささげられたが、それは、定められた時になされたあかしにほかならない。

ヨハネの手紙 第一
2:2 彼は、わたしたちの罪のための、あがないの供え物である。ただ、わたしたちの罪のためばかりではなく、全世界の罪のためである

このように、神様の側に落ち度はありません。
カルヴァンの予定説は、(どんなに有名であろうとも)聖書に反する教えであることを覚えてください。

なぜ少ないのか

ではなぜ、救われる人は少ないのでしょうか。

イエス様はこう言っておられます。

マタイの福音書
7:13 狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこからはいって行く者が多い。
7:14 命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見いだす者が少ない。
7:15 にせ預言者を警戒せよ。彼らは、羊の衣を着てあなたがたのところに来るが、その内側は強欲なおおかみである。
7:16 あなたがたは、その実によって彼らを見わけるであろう。茨からぶどうを、あざみからいちじくを集める者があろうか。
7:17 そのように、すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。
7:18 良い木が悪い実をならせることはないし、悪い木が良い実をならせることはできない。
7:19 良い実を結ばない木はことごとく切られて、火の中に投げ込まれる。
7:20 このように、あなたがたはその実によって彼らを見わけるのである
7:21 わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。
7:22 その日には、多くの者が、わたしにむかって『主よ、主よ、わたしたちはあなたの名によって預言したではありませんか。また、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの力あるわざを行ったではありませんか』と言うであろう。
7:23 そのとき、わたしは彼らにはっきり、こう言おう、『あなたがたを全く知らない。不法を働く者どもよ、行ってしまえ』。
7:24 それで、わたしのこれらの言葉を聞いて行うものを、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができよう。
7:25 雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけても、倒れることはない。岩を土台としているからである。
7:26 また、わたしのこれらの言葉を聞いても行わない者を、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができよう。
7:27 雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまう。そしてその倒れ方はひどいのである」。

これが聖書の教えです。

救われる人が少ない原因は、人々が聖書の教えを捨て、にせ預言者に従うことを選ぶからです。

彼らは行いを否定し、多くの人を滅びに至る広い門へと入らせます。
そのために、人々は不法を働く者、すなわち律法に背く者となり、天の住人となれないのです。

収穫は多いんじゃないの

すると、「収穫は多いんじゃないの」と思われる方もいるかもしれません。

マタイの福音書
9:37 そして弟子たちに言われた、「収穫は多いが、働き人が少ない

確かに、収穫は多い──はずでした。
けれど、働き手が少なくて、収穫が得られないのです。
にせ教師がはびこって、真の働き手がいなくなってしまったからです。

多くの人が招かれているのに、実際の収穫は少ない。これは聖書の一貫した教えです。

マタイの福音書
22:2 「天国は、ひとりの王がその王子のために、婚宴を催すようなものである。
(途中省略)
22:14 招かれる者は多いが、選ばれる者は少ない」。

その少なさは、しゅが次のように懸念されるほどです。

ルカの福音書
18:8 ──人の子が来るとき、地上に信仰が見られるであろうか」。

実際、多くのクリスチャンが、救いは神の予定によるものと思い込まされ、行いを否定し、安息日と十戒じっかいけがしています。

この期間がこれ以上続くなら、救われる人は一人もいなくなってしまうでしょう。
これは聖書が教えていることです。

マタイの福音書
24:20 あなたがたの逃げるのが、冬または安息日にならないように祈れ。
24:21 その時には、世の初めから現在に至るまで、かつてなく今後もないような大きな患難が起るからである。
24:22 もしその期間が縮められないなら、救われる者はひとりもないであろう。しかし、選民のためには、その期間が縮められるであろう。

この状況こそが、大患難であることを覚えてください。
救われる人は非常に少なく、多くの人が、サタンのいた毒麦に従っているのです。

この事実に目を向けて、真理に立ち返りましょう。
私たちは目を覚まし、一人でも多くの兄弟を助けなくてはならないのです。

おわりに

救われる者は少ない、これは聖書が何度も語っていることです。

その原因は、にせ教師たちにあります。
彼らは神の言葉に混ぜ物をしたにせの教えを持ち込んで、それを神学と称し、教壇から語っているのです。

背教は、もう起こっているのです。

その手始めとして、ローマに小さい国が現れ、時と律法を変えることが預言されていました。

ダニエル書
7:8 わたしが、その角を注意して見ていると、その中に、また一つの小さい角が出てきたが、この小さい角のために、さきの角のうち三つがその根から抜け落ちた。見よ、この小さい角には、人の目のような目があり、また大きな事を語る口があった。
(途中省略)
7:25 彼は、いと高き者に敵して言葉を出し、かつ、いと高き者の聖徒を悩ます。彼はまた時と律法とを変えようと望む。聖徒はひと時と、ふた時と、半時の間、彼の手にわたされる。

この預言のとおり、ローマに現れた世界一小さな国、バチカンによって、安息日と十戒じっかいは変えられ、教会は彼の手に渡されました。

彼が持ち込んだ日曜礼拝は、次第に効力を発揮し、ついには聖書を上書きするまでになってしまいました。

「安息日は終わった」
十戒じっかいも終わった」
「行いは無関係」
「救いは神の予定による」
「クリスチャンは全員救われる」

本当に聖書はそう言っていますか?

今一度、真理に立ち返って、聖書を学び直してみませんか?
正しいのは、いつだって聖書だからです。

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