はじめに
私たちは誰しも、クリスチャンと名乗ることができます。
しかしその全員が、聖書の定義するクリスチャンであるとは限りません。
聖書は、どのような人が本当のクリスチャンであると教えているでしょうか。
ご一緒に確認してみましょう。
クリスチャンとは何か
クリスチャンとは何か、それは聖書にはっきりと書かれています。
何も難しいことはありません。
キリストの弟子、それがクリスチャンです。
弟子でないというなら、クリスチャンではありません。
弟子となる方法
では、どのような人が、キリストの弟子となるのでしょうか。
これもはっきりと書かれています。
何もかも捨てて主に従う者、それが弟子であり、クリスチャンです。
このことを、教会は正しく教えているでしょうか。
真理の道がそしりを受ける
これらの聖句を紹介すると、必ずこう叫ぶ人たちが現れます。
「救いは恵みによると書いてある!」
「おまえは、家も財産も、着替えも食べ物も、全部捨てているのか!」
まずはこのことを覚えてください。
それは私にではなく、主に対して叫んでいるのです。
一体なぜ、主の言葉を否定するのでしょうか。
教会で、違う教えが語られているからでしょうか。
一体、何を恐れているのでしょうか。
何もかも捨てて主に従うことは、クリスチャンにとって不幸なことでしょうか。
主に買い取られ、主のものとなる。これを恵みだと思わない人がいるのですか?
これは恵みによるのであって、行いによるのではありません。
私たちの体も、持ち物も、もはや自分自身のものではないのです。
すべては王のために使われるのです。これはなんと感謝なことでしょう。
本当のクリスチャンとなるために
今、本当のクリスチャンとなるために、聖書の真理を回復しましょう。
私たちは、間違った教えのために、あまりにも真理からずれてしまったのです。
世を愛するなら、本当のクリスチャンではありません。
御子に従わない人は、永遠の命を持たないばかりか、神の怒りを留めるとあります。
また、戒めを守らない人は、本当のクリスチャンではありません。
この戒めとは、神と隣人への愛を教える律法、十戒です。
新しい戒めとは、愛によってこれを全うせよということです。
この戒めが思いの中に収められ、幕屋や神殿となった人、それが本当のクリスチャンです。
思い出してください。
幕屋や神殿に収められたのは、十戒だけです。
これはモーセ律法とは明確に区別されます。
ですから、神の律法である十戒に違反する人は、本当のクリスチャンではないと教えられているのです。
神の民
自分が神の民イスラエルであることを否定するなら、その人はクリスチャンではありません。
注意してください。
ユダヤ人というくくりが、今も神の目に存在するという教えは、人間の教えであって、聖書の教えではありません。
ユダヤの民族的救いという話を聞いても、騙されてはいけません。
中東イスラエルの建国を見ても、惑わされてはいけません。
それらはすべて、サタンの罠であることを覚えてください。
「もはやユダヤ人もギリシヤ人もない」という聖書の言葉こそ、真実です。
自分がイスラエルであるという認識を疑うなら、本当のクリスチャンにはなれないことを覚えてください。
おわりに
聖書のいう、本当のクリスチャンの定義を、あなたは受け入れられたでしょうか。
かつての私は、これを受け入れられず、偽クリスチャンとなっていました。
聖書の教えよりも、教派の教えを上に置いていたからです。
あなたはどうでしょうか。
何もかも捨てて従うほどの価値は、キリストにはない、そう思うでしょうか。
はっきり言いましょう。
それは、復活を信じていないからです。
もし私たちが、この世で自分を使い尽くして、死んだとしても、そこに待っているのは、復活です。
このことを、心から信じられるでしょうか。
主はそれを証明し、弟子たちはそれを信じました。
だからこそ、初代教会の人々は、生き方が変わったのです。
信じるなら、私たちも変わることができます。
「行いは無関係だ」「従うのは苦しい生き方だ」「十戒を守るなら律法主義になる」
それらはすべて、人間の教えです。私たちを堕落させるためにサタンが吹き込んだ、嘘、偽りです。
主の歩みを見てください。彼は行い、従い、守ったのです。
この方が歩まれたように歩むこと、それが求められているのではないでしょうか。
今、サタンの嘘から脱出して、主の御旨に飛び込みましょう。
そこに待っているのは、喜びと、充実と、永遠の命です。
もう、死なないために働くという、獣の生き方をする必要はありません。
生まれ変わって、本来の生き方を取り戻すのです。
今日、間違った教えをすべて手放して、聖書に立ち返りましょう。
正しいのは、いつだって聖書だからです。
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