見出し画像

【無料配信】【5月5本目】暴走するキャンセルカルチャーとは

〝正しさ〟を武器に集団で相手を〝こらしめる〟行為

キャンセルカルチャーとは、正しくない行動や発言をした相手を抹殺レベルで干そうとする運動のこと。判断基準となる〝正しさ〟は、ポリティカルコレクトネス(ポリコレ)で判断されます。

企業を対象とする場合は不買運動。
イベントならば開催中止運動。
有名人を対象とする場合は存在否定。

賛同する人間が増えれば増えるほど強力な武器となり、相手をビビらせ、謝罪に追い込めます。いわば、正義の名のもとに集団でこらしめる行為、といえるでしょう。


キャンセルカルチャーの実例

不買運動

画像1

開催中止運動

画像2

存在否定

画像3

SNSの普及に伴い、我々は気軽に意見の共有を図れるようになりました。自分と同じ考え方の人同士で語らうことは(日常でそれが満たされていない人ほど)魅力を感じるものです。

特に、政治的な話、人権に関する話は、近所の人や知人友人と行えば煙たがられる事も多いため、匿名中心のツイッターは重宝されます。そして今日もどこかで、保守vsリベラル、オタクvsフェミニストと、陣営同士の大きな対立が発生しています。


醜悪さ極まるキャンセルカルチャー

今、ツイッターでは「五輪中止」が毎日のようにトレンドとなっています。五輪なんてやってる場合か、感染拡大したらどうするんだと。このキャンセルカルチャーは既に大きな流れとなっており、聖火リレーの中止や、国会前でのデモに発展しています。

立憲民主党の枝野党首も、「五輪を開催したら日本は変異株の展示会になる」と発言して物議を醸しました。

しかし、五輪中止派にとって、正義性を獲得するためには大きな障害があるんですね。

それは、アスリートの存在。

感染拡大する〝かも〟という程度の正義では、一生に一度の舞台を奪われる〝アスリートの涙〟が持つ正義性には敵わないんです。

そこで五輪中止派は、今回の五輪で最も注目を集めるであろう、この選手を利用することにしました。

画像4

池江璃花子

池江璃花子はスター選手でありながら、白血病と発覚しながら、圧倒的な苦しみの中、戦い、克服し、一度は諦めかけたオリンピックへの道を手繰り寄せた、まさにヒーローです。

五輪中止派は彼女に対し「オリンピックはやるべきではないと言ってください!」「代表を辞退してください!」と圧力をかけたのです。

画像5

僕も流石に目を疑いました。病気と戦い、ライバル選手と戦い、過去の自分とすら戦い五輪を目指した池江選手に、五輪反対を叫べと言う。

当然、この行為は大きな反発を招きます。報道各社は、卑劣な行動は慎むよう促し、東スポでさえも中国人のコメントとしてこう伝えました。

池江が難病の白血病を克服し、東京五輪代表を獲得したことは中国でも知られている。中国のネット上では「日本人は頭がおかしいのか」「まったく理解できない」「こんなに頑張る少女をどうして大事に扱わない」と、批判の声が上がっている。

正義性の獲得に失敗した中止派は焦り、「私達をこのような行動に走らせたのは、そもそも五輪賛成派が池江璃花子を担いだから」というトンデモ理論を展開しました。

池江璃花子は五輪を目指して闘病生活を耐え抜いた。五輪賛成派はそれを応援した。この構図に糞尿をぶっかけ、五輪辞退を迫った挙げ句、「糞尿をぶっかける行動に追い込まれた、私達は被害者だ!」とやったわけですね。


なぜキャンセルカルチャーは暴走するのか

キャンセルカルチャーは、運動する当人らは〝正義〟の側にあると確信しています。正義の旗を振りかざして連帯するのは、麻薬的な快感をもたらしますし、〝怒り〟を原動力にしていますから、快感も倍増ですよ。

正義の名の下に連帯することも、怒りのまま汚い言葉を吐き散らすことも、それらを仲間から「いいね」されることも、日常では味わえないですからね。物語の主人公にでもなったかのような高揚感です。

この快感がある以上、キャンセルカルチャーは止まりません。以下のツイートを見ていただきたいんですけど、池江璃花子に暴言を浴びせた人は一人二人じゃない。

凄いでしょ。この人達、自分の正義を1ミリも疑ってないんだよ。

キャンセルカルチャーの嵐に見舞われた池江は「苦しいです」と言うしかなかった。


五輪を中止へ追い込むべく、選手を利用する悪党がいる

五輪反対派の攻撃は今も続いています。名のある人権派弁護士に至っては、池江璃花子の声明文に対して、電通傘下のマネジメント会社がシナリオを書いたかのような世論誘導を行いました

被害者を加害者のように扱うのだから凄まじい。証拠なんて無いから「そうではないようだ」と濁すことで法的な責任が及ばないようにしています。

選手はたまらないよね。五輪を中止したい気持ちは分かるけど、重ねてきた努力を無駄にしたくない、あの晴れ舞台に立ちたい、でもそれを言ってしまったら五輪反対派から攻撃を受けてしまう。

アスリートの葛藤を一顧だにせず、匿名で、スマホ片手にポチポチするだけで正義感を満足させたい人達がいる。

彼らはもうオリンピックを楽しめません。笑顔のメダリストや、頑張るパラスポーツ選手を見ても憎しみしか湧かない。五輪反対は〝呪いの言葉〟なんですよ。

人権を叫びながら人権を踏みにじるキャンセルカルチャーには、ふざけんなボケ! お前は悪党だ! と言いたくなりますわね(感情論)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?