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子どもは古くならない

おはようございます。
子育てを応援する楽しく遊ぶichigoです。
今日も子どもをお手本にいきる私のnote。どうぞ、よろしくお願いします。

昨日、noterさんとコメントのやりとりが数回ありました。
嬉しかったなぁ・・・。
『子ども』の幸せを願わない親って、探す方が難しいの思うのです。
=みんな子どもの幸せを思ってる!
そんなおかぁさんと話ができるのは、嬉しい限りなのです。

そんな満足したところで、今日noteは、糸井重里さんの本のなかの文章から思うこと。
を書きたいと思います。

こどもは古くならない

この本の題名を見たときに・・・どれだけ私が心ときめかせたか??
きっと、私のnoteを読んでいただいたことがある方なら、想像がつくと思います。

さすが糸井さん。言葉使い!!
私の心を掴んで離しませんでした。

子ども好きにはたまらない・・・。

そんな表現が多数出現するがこのエッセイです。

がんばる 一生懸命という言葉赤ん坊にいらない。というか、そういう言葉はない。がんばろうと思わなくてもがんばってるし、がんばらない時はがんばらない。
(中略)
赤ん坊は、ただ生きているのだ。
それをまた僕なんかは、かっこいいなどと言いたがる。
(中略)
力を抜いたらずっと赤ん坊になれるようなそういう「赤ん坊術」があるなら、毎日、それをやって生まれ直したいものだ。

娘さんに娘さんが産まれた時も言葉を集めたものなんですよね。だから、子どもからたくさん受け取ってる。文章がたくさん載っています。
ニヤニヤしちゃう。

私は、保育士で『子ども』が人生を大きく変えてくれたきっかけを作ってくれて、それを『保育』という人間学を通して、真理を身につけて。
「あぁ!そうか」
とか
「なんだ!そんなんだったんだ〜!」みたいなもので『今』の私の一部は出来上がってる。
ような気がしています。

でも、それってなんら特別なことではなく・・・・・。
きっと子どもに触れてしまったら、みんな気づくんですよ。

「あぁ、ここが原点」とか「ここへ帰っていくんだな」みたいな感覚になるんだろうなと・・・。

おかぁさんって存在が『責任感』を手放したらどうだろうか?

これは、子どものいない私の戯言ですので、不愉快に思われた人がいたら、申し訳なのですが・・・。

『しっかり育てないと』
『私がこの子を守っていく』
だから、全てを捧げます!

みたいな責任感って、子どもにとってどうなんだろうなって。
もし、責任感で『自分を犠牲』にしている感じがあったら、子どもはその姿を見たいのかな??

でも、自分より確かに『タイセツなもの』に間違いない。わけで・・・。

うーーーーん。
でも、やっぱり『犠牲』は違う気がする。

もっと、軽やかで、もっと生き生きした物のような気がするのです。
子どもがいることで、家族がもっと豊になる。
大人だけでは気づかない視点が入ることで、もっと幸せになるイメージです。
(そういう家庭をたくさん見てきたような気がします。)

それって・・・

『共に』って感覚じゃないかな??。
確かに未熟で産まれてくる赤ん坊には、未熟な分、大人の忘れ去った『素晴らしいもの』を持っています。

それは大人になると、見えなくなる力。

それを信じて、それを見ていく。
そして、見えなくなっていくことも成長の一つであり、いずれ自ら気づいていく。
その過程を『共に』過ごそう!

みたいな。

一緒に『今』をつくっていく。そして、足したり、ひいたり、かけたり、割ったりを楽しんでいくのが『子育て』だったりするのかぁ??
なんて、思ったりしました。

いやぁ・・・この本。
本当、ニヤニヤしちゃういます。

新しい朝は、希望の朝。
今日も素晴らしい出会いが皆さんを待っています。
いってらっしゃーい。
また明日。





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