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タイプライターの美。

「はじまりは道具としてよりも機械として。」

英文タイプライターと言う道具自体は子供の頃に大人の一部が使ってはいたものの、その当時ですらすでに時代遅れ感のあるレトロな道具になり始めた頃でした。なので、私がそれなりの年齢になった時にはもう実用の道具ではなく、アンティークショップで装飾用で売られるものになっておりました。そんな道具ですが、持っております。

我が家には 10 年ほど前に迎えました。存在そのもののエレガントさだけではなく、フォントの美しさにも魅入られて道具として使って見たかったのです。そして、それ以上に機械の仕組みとして関心があって分解してみたかったのです。生産性ツールではなく、工業系男児の玩具としてですね。それで Brother JP1-193 というモデルの動かないジャンク品を 500 円で見つけたので買ってみました。

いざ分解してみるととても面白い機械でした。タイプライターとしては当たり前のことではあるのですがまず電源が要りません。今の時代だとキーボードで文字を打つと文字が印刷されると言う体験を電源なしに行えることが新鮮に思えます。印字に必要な動力を全て人間がキーを押下する際の運動エネルギーで賄っています。1 文字タイプするごとに紙を左に 1 文字分ずらすための動力は、事前に人間が紙を固定している部分のバネを伸ばしていたエネルギー少しずつ開放することで得ていました。

つまり、いずれも筋力が動力源になっている。機械はそれを適切に文字列を組むための動きに変換してくれている。複雑な機械ではありますが、とても合理的。サイズとしてもとてもコンパクトに収まっており、人間とのインターフェイスであるキーボード部分と、印字する部分。外見的にはほとんどその 2 つの要素だけになっており、それぞれを機能させる機構部分はとてもひっそりとその背後に控えているのでした。機械としてとても美しい道具になっていると思います。

「直し方は機械が教えてくれる。」

分解して眺めるだけでもう 500 円分は楽しんだので、破壊してしまうことも覚悟の上で直しみることにしました。問題の多くはキーボードや活字のあるハンマー部分などに不適切な力が加わって変形したもの。それに多くの場所でサビによって機構が動かなくなっていたものでした。一部の変形が直せそうになかったのでその部品が健在な同じ機種を探すことにしました。ラッキーな事にどうもこのモデルは 1960〜70 年代に割と売れたモデルだったらしく、探せば安価で見つかるものです。色違いの 2 台目は 1,500 円で買うことになりました。機構は 1 台目同様に完動では無く、外見の傷みもあったので最初の 500 円は出来過ぎでした。

予定通り 2 台目のタイプライターから外見の良好な 1 台目にいくつか部品を移します。部品点数も多く、変形を直しながらの修理だったので 1 週間くらいかかりましたがとりあへずは動くようになりました。それからもいくつかのキーは押すと戻らないなどの不具合はありましたが、油を注したり変形具合を調整したりして最終的には全てのキーがスムースに機能させることが出来ました。

電子機器と異なり、機械の不具合はとてもわかりやすく、部品の動きやその表面に出来た傷、或いは部品同士が起こす音などを観察すればどう直すべきかが伝わってきます。このように機械の直し方は機械が教えてくれるのです。そして、これは全ての部品がその目的に忠実、かつ装飾なく機能のみを追求した外見を持ってくれているからできるのです。これが機械の良いところです。

余談ですが、部品を抜かれた 2 台目も結局は 1 台目から取り除いた変形した部品を修正して組み込むことでこちらも完動品になりました。都合、我が家では 2 台の色違いの Brother JP1-193 が使える状態にあります。

「道具としてのタイプライター。」

銀河鉄道の夜でジョバンニが印刷所で活字を集めて回るくだりを読んでから、印刷物の背後にある印刷技術というのは興味と憧れの対象でした。どこかで誤って印刷から遠いところで働いてしまってはいるのですが、今でもこの世界に対する敬意は色褪せません。タイプライターは小さな印刷所です。自分の指で活字を操って文章を作っていきます。アルファベットと数字だけに限られますが、ジョバンニよりは効率が良い道具です。それが手元にあること自体、喜びでしかありません。

ですが、正直なところ道具としての利用頻度は高くはありません。だからこそこの道具が廃れたのでしょうが、いくら憧れようとも英文のみをタイプするニーズが私の暮らしにはあまり無いのです。せいぜい、便箋のフッターなどのアクセントとして使うことがある程度です。ただ、その代え難く美しいフォントはタイプするたびに見惚れます。規則正しい等幅フォントは今でも IT の裏方の人々にはお馴染みですが、それが一切のジャギーがない滑らかなセリフフォントで描かれるのは IT の世界には無いエレガントさです。古典的な道具ではありますが、このフォントの美しさの代替品はいまだ存在しません。

「文字幅を揃えると言う発明。」

日本語に馴染んでいる我々には不思議に思えるかもしれませんが、タイプライターと同時に欧米人は文字幅を揃えると言うことを発明しました。本来、アルファベットは文字によって文字幅が異なるものです。しかし、タイプライターはその動作原理上、文字の幅を揃えざる得ませんでした。これは技術的な制約です。そこで彼らは Monospace と呼ばれる固定幅のフォントを発明することで解決したのです。

全ての文字で同じ幅と言うのは彼らの文化圏に於いては非常に大きな違和感を与えたはずです。長い歴史の中で前例がないものですし、何よりタイプライターが整った文書を作成するための道具であったことで自己矛盾すら孕んでいたように受け止められたと想像致します。

結果としてはこの固定幅フォントは受け入れられます。そのための工夫が皆さんがタイプライターといえばこのようなフォント、という先入観を持たれている通りのセリフフォントです。セリフフォントは書き始めなどに大きな装飾のカギが付いているフォント。日本語で言えばゴシック体に対する明朝体のようなものかもしれません。このカギつきのセリフフォントによって本来は字幅の狭い “I” のような文字でも他の文字との間に違和感を与えない程度の余白で記述が出来る様になっています。カギ飾りの無いサンセリフフォントのタイプライターを見かけないのはこの文字と文字の間の空白の問題を解決出来ないからだったのではないでしょうか。

一部、特にタイポグラフィーに拘る美術や出版の業界からは批判的な意見もあったようです。美術としての美しさに於いては、確かにそれらの意見に同意するところがあります。セリフフォントによる Monospace はあくまでも工業的都合から生まれた妥協案に過ぎません。しかし、私は美術とは異なる視点でこの解決手法を美しいと感じております。

タイプライターの存在意義は芸術性ではなく生産性にあります。その生産性を追求する過程で、文字幅一つ妥協すれば先に進めるところまで工業技術が発展しておりました。そこで、Monoscpace と言うブレイクスルーを起こしたことでタイプライターが製品化されたのです。製品を作る上で、工業技術としての工夫だけではなく、文化に対する破壊行為とも取れる全く新しい文字組みを提唱していたのです。

それから、タイプライターはビジネスの場だけではなく、作家や記者にも愛用されてきました。Monospace のセリフフォントはプロフェッショナルたちに受け入れられ、20 世紀に発展する情報化社会の基礎になったと私は考えます。もし、あの時期に Monospace が生まれず、タイプライターの登場が遅れていたらどんな世の中になっていたでしょうか。

このように工夫に富んだ Monospace のセリフフォントの生い立ちと存在意義は私には美しく思えます。そのフォントで描かれた文字はそれだけで読ませるチカラがあるようにも思えます。そういう文字が必要な時、それがたとえメッセージカードの数文字であっても、そういう時は重いタイプライターを引っ張り出してきてタイプしたいものです。

「タイプライターから現代のキーボードを再認識する。」

筋力が全ての動力源になっているのでキーが同じ配列であっても IT に於けるキーボードとは作法が異なります。IT のキーボードもかつてはクリック感がしっかりしてある程度のチカラが求められましたが、タイプライターのそれにはクリック感はなく、代わりに数センチに及ぶ長いストロークと活字を紙に捺す圧力が求められます。アナログ機器らしく、その圧力は印字に反映されます。弱々しいタイプは薄く、力強いタイプは黒くそして深く印字されます。そして不安定なタイピングをしようものなら、それさえも文字に表現されてしまいます。そしてバックスペースキーはありません。あるのは単なるバックキー。戻れるけど消せないのです。

このような道具ですからここでは速さもさることながら、確実かつ安定と言う能力が求められます。気軽なタイプと言うのもは今も昔も存在しなかったのでは無いかと思います。さておき、違いは確かにあり、慎重にならざるを得ませんが共通点はそれ以上に豊富です。違和感はあっても現代のキーボードに慣れた我々には扱いやすい道具と思います。そして、その共通する部分では現代のキーボードの用語の由来をタイプライターの動作から理解することができます。

「Shift キーを押すと Shift する。」

まずは小文字の入力から大文字の入力に変える際に同時に押す Shift キー。その名前は目的 (大文字にする) ではなく動作 (Shift する) から生まれていることがわかります。ではどこが Shift するのか。これは IT 機器をいくら眺めても理解出来なかったでしょう。しかしタイプライターは実際に物理的動作として Shift するのです。活字が載ったハンマーには各キーと機械的に 1:1 の関係で結ばれております。その一つ一つのハンマーには上下に 2 種類の活字がついています。上に大文字、下に小文字です。Shift キーを押すと、用紙送りの機構ごと活字 1 個分だけ上に Shift します。結果、Shift を押さなければ下の活字、Shift 同時なら上の活字を打てるのです。用紙送り機構全体を持ち上げる動作ですので他のキーに比べると Shift キーは重いです。Shift させていること、すごく実感できます。

「改行コードは Microsoft 方式。」

次に改行。IT の裏側に携わる人であれば LF / CR / CR+LF の問題は経験があろうかと思います。それもタイプライターならば体感できます。

LF は Line Feed で行送り。タイプライターにはレバーとして存在しており、このレバーを倒すと予め設定した行幅だけ行が送られます。ただ、これは紙が 1 行分だけ送られる動作なので文字の左右の位置は変わりません。

CR は Carriage Return。Carriage の意味は鉄道の客車だったり荷車だったり、まぁ何かを運ぶものなのでここでは紙を運ぶ用紙送り機構そのものが Carriage なのだと考えました。それを元の位置へ戻すので Carriage Return。具体的な操作としてはぐいっと用紙送り機構、Carriage そのものを左から右へ押してやる動作になります。このもっともタイプライターを象徴する所作が CR だったのです。これは単体では行は同じまま文字の位置だけが紙の左端へ戻されるだけです。なので CR だけして文字を打つと同じ場所に文字が重なります。

では次の行に移りつつ、文字の位置を左端へ戻したい時、つまり一般的な改行はどうするか。前述の LF と CR の操作を同時に行うのです。と言ってもそれほど複雑なことではありません。LF を操作するレバーは Carriage に載っているのでレバーを倒し、そのままレバーごと Carriage を右までぐいっと押してやれば CR+LF の操作が完了します。この仕組みを考えた人はすごいなぁと思います。機械的には全く異なる動作をする 2 つの機構。これをキーひとつ押したら実現するように一つの機能として纏めるのが困難だったのでしょう。代わりに、人間の一連の動作の中で、とてもシンプルに 2 つの機構操作が行えるようにデザインされております。

IT の世界では現在の mac OS (Ver. 10〜)や Unix の改行は LF、旧 Mac OS (Ver. 〜9) の改行は CR、そして Microsoft の DOS や Windows の改行は CR+LF と、改行させる際にコンピュータに与える内部的な指示が異なる問題があるのですが、タイプライターに最も忠実な解釈をしたのが Microsoft であり、せっかく先進的なコンピュータなのだから CR を指示したら LF の動作もすれば良いじゃないか (旧 Mac OS)、あるいは LF を指示したら CR の動作もすれば良いかないか (現 mac OS) と言う優しさ溢れる解釈をしてくれた人々がいたりしたのです。まぁ、各メーカーがまだ標準化などと言う崇高な思想を持たなかった時代ですので、単に独自路線を追求した弊害のようにも思えます。

このように改行ひとつでもタイプライターの機構を通じてよく学べます。この Shift と CR+LF の機構は私がタイプライターで最も好き、かつ敬意を感じる部分です。

蛇足を言えば、右の Shift キーの上にあるキー、これは Return キー (Mac & Unix) か、それとも Enter キー (Windows) なのか、と言う違いも存在したりしますが、前者はタイプライター通りの名前であり押すとどういう動作をするのか、つまり動作がそのまま名称になった例。後者は入力すると言う目的が名前になった例です。いずれかが間違いというわけでは無いのですが、タイプライターで言えば Return 以外の何者でもありません。なぜなら、Enter キーを押す以前に全ての文字のキーが印字機能を持っており、都度 Enter されているからです。

「タイプライターの美。」

外見の美は見る人の感性次第のところがありますが、タイプライターの全ての部品が機能美を備えている点については割と広く合意が得られるのではないかと思っております。キーがハンマーと連動して印字される最も基本的な動作ひとつとっても何度も繰り返し押してみたくなる魅力に溢れています。加えて Shift キーで大文字、小文字を切り替える機構であったり、CR と LF のそれぞれ独立した 2 つの機構を人間が一連の動作でまとめて行えるようにしてある配慮など、どれもタイプライターが利用者にとって使いやすさ、表現の自由度、それに道具としてコンパクトになるようデザインされていることがわかります。このように配慮に富む優れたデザインは触れていて本当に嬉しくなります。

タイプライターはこの後、僅かな期間は電子化されて機能を高めましたが、それも含めて間もなくパーソナルコンピュータに駆逐されました。コンピューターは確かに多機能で、タイプライター以上の利便性があることは疑いようもありません。しかし、そのハードウェアはソフトウェアを頼り、ソフトウェアはハードウェアを頼り、いずれの領域もどこかで責任を他方になすり付けている感が拭えません。タイプライターはソフトウェアが存在しない道具です。全ての部品が共通の目的のために、責任逃れすることなく能力を発揮し、他の部品と調和している点が美しいと感じるのです。

最後に、私がタイプライターを使用する上で欠かせない尾河商会さんのリンク先を紹介させてください。おそらく、この店の存在無くしてタイプライターを現役利用して行くことは困難だと思います。なぜなら、インクリボンの入手が困難だからです。

尾河商会
URL: https://www.ogawa-shokai.com/
Twitter: @ogawashokai

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