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道具に付いた傷。

「最初の傷はショックでしかない。」

道具を使えば傷がつくことは避けられない。かと言って大事に仕舞い込んでしまうのも、道具の目的からは外れてしまう。

‘A ship in port is safe, but that's not what ships are built for.’
「港にいる船は安全かもしれないが、それは船が作られた目的ではない。」
Grace Hopper

もちろん、せっかく手にした道具を仕舞い込むなんてことはないので使いながらも最初のうちは大事に扱っております。筆記具であれば 1 本挿しのペンケースなどに入れたりして。しかし、それでも傷はつくものです。どんな道具でも最初の傷はショックでしかありません。布で磨いたりして小さくならないか悪あがきをするものです。その日 1 日は後悔や軽減策などその道具のことばかり考えたりします。

「傷が増えると、扱いが雑になる。」

それもやがて落ち着きます。いずれ第二第三の傷がつくからです。傷が何十となった頃には傷はもう気にならなくなります。購入当初は 1 本挿しのペンケースなどで過保護に扱われていた筆記具も、この頃には仕切りもない大袋的なペンケースに雑多に放り込まれます。我ながらひどい変化です。

しかし、この頃が道具として最も価値が発揮されている時期とも言えます。大事にしすぎて使うことを躊躇したり、過保護に扱うことで使用するのが面倒になっていたりするのは道具の目的から言えば残念なことです。むしろ、傷はあっても機能が満足している限りにおいて、雑多に扱えども気軽に使っている頃の方が道具としての目的を果たしていると考えられます。

「傷がある方を好きになる。」

ヘッダーに用いた写真の 2 本の筆記具は 15 年以上前、ほぼ同時期に購入した全く同じ製品です。ちょっと背伸びして買った Perfect Pencil なのですが、手前の方は手帳のお供として外出先や職場で高頻度で使っていたもの。後ろの方は自宅で割と大事に扱われていたもの。当然ながら前者の方が傷だらけです。

ここまで傷だらけになるとむしろ好きになります。好きな方は更に利用頻度が高まり、一方で傷の少ない方はより使わなくなるので年月の割には綺麗なままになります。(最初から 1 本で良かったのではないかとも思うのですが、気に入ったものは大抵複数手に入れてしまうのです。)

しかし、なぜ私は傷だらけの方を好きになるのでしょうか。

「道具についた傷。」

かなりの傷がついた頃に気づきました。傷が多い方はそれだけ、その道具が目的を果たして来たのだと言うことに。当初はショックだった傷、この多数の傷のいずれか一つがそれなのだとは思いますが、それがついた時とは全く異なる感情が湧いてきます。感謝であり信頼です。こうなると他の人にはボロボロの道具に見えたとしても、私にとっては私の道具そのものなのです。だから、私は傷のある方をより好きになっているのだと思います。

わざと傷をつけるようなことはしませんが、過保護にもしません。それくらいの距離感で道具と付き合えると、道具の目的を最大化できるのではないかなと考えるようになりました。そして、前よりも傷だらけの道具が増えていくのです。少し扱いが雑になりましたから。

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