お金を稼ぐ事へ抵抗がある人へ

知り合いが人助けのためタロットを使いコーチングをするという事を始めました。

最初は無料でやっていたけども、とある人から「無料だと相手も真剣にならないから少しでもよいからお金をもらった方がよい」というアドバイスを受け、1回5千円ほどで行う事になり、それで私にもそれを受けてみませんか?という事で話がきました。

久しぶりに会う人だったというのもありますが、その人との会話は哲学的要素を多分に含み会話が楽しいので、喜んでそのお誘いを受けることにしました。

内容は素晴らしかったです。
私が今の事業で対し取り組んでいることに対し、精神的負担を取り除いてくれるような内容でした。

さて、そんな取り組みも終わり後は近況を語る会話をしていましたが、そこで今回のタロットを使ったコーチング、特にお金をもらってやることについて心境を語ってくれました。

それは、お金を頂く事に対する懸念でした。
自分はまだまだ練習中の身でそこにお金をもらう価値はまだない、という事。
しかし無料でやっていた時に相手も真剣に取り組んでくれていない、という体験も多かった。
だからお金をもらった方がよい、というアドバイスを受け入れる踏ん切りがついたのだけど、まだ抵抗はある。
また、現状は派遣という仕事をしていて片手間にしているが、将来的にはこれで経済的自立を図りたい、と思っている。でも営業や集客といった事が苦手・・商売というと何か違う。
そのような懸念を含む会話でした。

そこで以下の内容を伝えました。

営業は人助け、マーケティングや集客は困った人を探すために必要な取り組みです。
お金を払う事は大抵の人にとって「痛みを伴う」事でもある、という事です。資本経済の世界では「お金」=「命の代わり」という言葉にしていない意味付けがされています。

お金を払う → 命を削る事 → 痛みを伴う事

だから、あなたが無意識にビジネス、お金に対し考慮を持つような意味付けしてたことは当然ですし、大抵の人も同じです。

その前提で「お金を払う」という事を扱ってみましょう。
相手がお金を払う、という事は痛みを伴いながら取り組んでくれる、という事になります。痛みを伴う事から人は遠ざかります。痛いのはイヤですから。
でも、痛みを伴う事を選択した、という事はその必要を感じた事です。
タロットを使ったコーチングというものはあまり例がなく、あったとしてもそれを受けることで「痛み」以上の「何か得るもの」があるかどうかはやってみないと分かりません。そのうえで痛みを得るという選択をしたということは、お金を払った人にとってはとても勇気のいる行動に他なりません。
そして、その人にとって痛みを伴う価値があなたにはある、と思ってくれた、という事です。

そう思ったら、お金を頂く事で感謝が生まれませんか?自分に対する承認はありませんか?

感謝と承認があれば、その人に「本当に助けてもらえた」「本当に得るものがあった」という体験を提供する事をしたくなりませんか?
そうする必要がある、と思えてこないでしょうか?


後日その方から連絡をいただきました。

今まで自分は、人助けはしたい。でもそれを仕事とする事に抵抗を感じていた。相手に「本当に助けてもらえた」という事を提供したいのに、相手が支払った代償以上のものを与える事に対し、自分への承認が無かったから逃げていた。だから中途半端に取り組んでいました。

今その原因となるものが見えたし、相手の勇気も見えた。
相変わらず不安だし逃げたくなるが、相手は勇気ある行動をとっていて関わってくれていると思えば、そこから生まれる感謝を取り入れる方が私は得たいものなんだ、と知る事が出来ました。

今は言葉を思い返し、「逃げる」と「感謝」の不安定な中で取り組んでいますが、今までとは違う行動と自分への信頼が増しています。


そのような内容でした。

私が伝えられるのはここまでです。
言葉ではなく、発せられた言葉の背後にあるものをとらえて頂けたら幸いです。

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