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分かってたって出来やしないって分かってた

頻繁に投稿してしまう。
こういう時はあまり心に余裕がない時だと分かってきた。
あまり悩みもなく、自分なりに楽しくやれている時はnoteを書こうとも思わなかったりする。

昨日今日の僕をまとめると
会社でトラブル→休日返上で謝罪と対策→昨晩深夜に謝罪に対する返事があったのでさらに謝罪→それに対しての返信を待ち続けるだけでスッキリとしない今日だった。

個人的にはどんな人にも悩みはあると思っているから、別に私が可哀想だとか、私だけが辛いとかそんな事は考えない。辛さにもレベルがあるかもしれないけど、それも図る事はできない。だけど少しだけ切り替えが上手で、物事を割り切って考えて、考えすぎずにあっけらかんと出来たらどれだけ楽なんだろうと思う事は多々ある。

私はどうにも仕事の事で心がブレる事が多い。ブレるという意味では上振れもあって、最高にぶち上がることもあるけれど。

まず私は自分自身の事ではあまり悩まないところがある。たぶん私自身がどうなりたいみたいな事が全くないからだと思う。ワンピース的に言うなら富も名声も力も必要だと思わない。欲がないのだ。
しかしそれが家族のこととなると話は変わる。
親の老後も心配だし、妻に貧乏な思いはさせたくないし、子供が出来たら裕福ではなくても、たまにの外食と無理のない範囲の旅行と、本人がやりたい事くらい追わせてあげたい。要は金の心配はある。
だから自分が任せてもらえた事はやり切りたいし、頑張った暁にはそれ相応の評価をしてもらえれば嬉しい。

今のところのものの捉え方はそんなところだ。
じゃあなんで仕事の事で悩んだり苦しんだりしてしまうのだろうか。
たぶん僕は失敗が恐ろしく怖い。あまりにも怖すぎる。
自分のせいでということがあまりにも怖いのだ。
昔からそうだった。怒られる事が嫌いで、怖くて、何かに逆らう事が出来ない。30歳を超えた今でも、まだ幼稚園の時に2回だけ先生に怒られた記憶が鮮明に思い出される。
1度目はプールのあとに全員のロッカーに麦茶が置いてあった時。何も聞かされていないから普通に飲んでしまったら、みんなと一緒にいただきますをしてからでしょと怒られた。
2度目はヤンチャで大嫌いだったクラスの男の子に絡まれ、振り払っただけでその子は大泣きをし、暴力はダメだと怒られた。
どちらも私は何も悪くなかった。今思えば先生も20代前半の若い女の子。善悪の判断はつかないし、自分の目で見えていることしか信じないから仕方ないと思うが、今も覚えているくらいにはトラウマになったのだろう。

何故そんなに怒られることや失敗が怖いのだろう。
それが絶対悪だと幼少期から思っているからなのか。
人からの評価が怖いのか。有能でないといけないと思っているのか。プライドなのか。自己否定されたくないのか。自分が間違っている事を認められないのか。どうしたらいいのだろうか。

そんな自分探しをしていると完璧主義とかいう言葉も出てくるが、僕はまるでそうではない事は分かってる。何かで1番になれたこともないし、なれれば嬉しいけどなったところでそれを自分が誰よりも認められないのだと思う。
じゃあ完璧主義を目指してること自体が気持ちいいのだろうか。そういう意味では日々少しずつでも成長はしていたいからそれは否定できない。
では失敗や怒られる事が何に繋がるのか。
そう簡単に年収が下がる事はないと思うし、それならそれで外で生きていく事も不可能ではないと思っている。
最悪東京から離れても、幸い手に職な仕事をしているだけに死ぬほど金に困る事もないだろう。

僕は何が怖くて、何に怯えて、悩んで苦しんでいるのだろうか。

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