Facebookのグループを作成しました。よければ参加ください。

【はじめのご挨拶】
突然ですが、グループを作成することにしました。
お付き合いくださる方は、よろしくお願いします。
総宗会HP
https://raikouji0216.wixsite.com/my-site-1/総宗会

【仏教を再興する会】
https://m.facebook.com/groups/1888459308276375/?ref=share

既存宗派界は限りなく落ちました。
未だかつてここまで落ちたことはなかったでしょう。

わたしは一般人から出家しました。
なぜわざわざ僧侶界に飛び込んできたかといえば
・そもそも過去世の感覚や記憶があり、僧侶としての自覚がはじめからあったこと。
・そしてその自覚に基づいて、幼少期から世を憂い、その原因として仏教や宗教界の劣化を憂いてきたこと。
などが大きくあります。

皆さんはこの時代、
過去世の感覚や、過去世そのものについて
よく分からなくなってしまっているかもしれませんが
列記とした事実です。
少なくとも仏教徒であるならば、
まして僧侶であるならば、当然のこと。

その当たり前のことを無視して、
本当に生まれ変わっているということを
よく味わわないまま、僧侶が僧侶をしている。
仏教の根幹を無視して、僧侶をしている。
仏教界が歪んで当然です。

たましいはあります。
生まれ変わっています。
宗教は事実です。仏教は事実です。
(※喩え話や方便が多大に含まれますが)

その中身が損なわれたような寺社であって
よいわけがありません。
感性が薄まってしまったこの時代、
もはや何が本当か見失われていますが、 
本物の教え、厳然たる事実があります。

中身のある寺社を再興せねば、
世から大切なことがますます遠ざけられ
世もさらに濁悪していきます。
世の精神的な方面の責任は、
本来生き方を説くべき宗教者が担っているのです。

形だけでも引き継がねば、
壊れてしまうほど、仏教は衰退しました。
それはあたかも、
意識不明のまま、身体だけでも繋いで、
また意識が回復するのを待つようなもので、
劣化した中身の失われた寺社でも、
繋いでいくことは大切なことでしたが、

いつまでも意識不明、
中身が失われたままならば、
脳死してしまったも同然です。
寺社の「命」を担っているのは、まさに
わたしたち、今ここに生きている者、なのですよ。

末法に入って、2052年で1000年を迎えます。
かつて仏教界が劣化していた時期、
新しい宗派が勃興してから、
また1000年が経過しました。
その間にまた膿が随分と溜まりました。

先日、友人との会話で
まともな人はあまり表へ出ようとしない傾向にあり
自己中心的な人ほど表へはびこっていく、
という話題になったのですが、それではいけない!
であるならば、
まともな人ほど表へ出ていかないと!
まともな人ほど意識して動かないと!

もう放置していてよい局面は遠に過ぎました。
喩えば幕末、幕府が劣化しきっていて、
西欧に占領されかねない限界間際の日本のように。
これ以上、精神の方面が劣化してしまっては、
仏様に申し訳がたたない。
何のために大乗仏教があるのでしょうか。
わたしたちは一体何を学んでいるのでしょう。

わたしは、生まれ変わりの記憶や感性が強いので
よくわかりますが
生命は全て生まれ変わりを繰り返して成長していく過度にあるし、
世界も成長していく過渡にある。
その要となるのが、仏教や諸宗教であり、
親である神=仏が見守っておられて、
この家庭を育てられている。
私達はその兄弟姉妹のようなもの。

そこにおいて、
精神面を担う「当番」になっているのが
わたしたち僧侶などであり、
一緒に頑張る在家などの理解できる兄弟姉妹がいて
この世界がよく成長していく流れにある。
そこに実は根源の喜びがある。

見てみてください、この今の仏教界などを。
ほとんどのところで、本物の中身が全くありません。
もはや形骸化した形ばかりが遍満しています。
故に若い世代はついてこない。
自分で考える教育の時代になったがために、
それに気付いてしまったのです。

よく檀家さんが喜んでいればいい、
ということを言う僧侶がいます。
それは全く違います。
これは商売でも同じことがあります。

まず、僧侶が軸におくべきは、仏法です。
仏さまと、真理そのものと、その教えです。
これが根底の前提です。

檀家さんが喜ばれること、が軸ではないのです。
むしろ檀家さんの喜びは、仏法からよく外れる。
というより、そのために仏法があるのでしょう。

衆生はまだ眼くらき、輪廻の海にある存在で
そこから成長して出ていくために仏法がある。
より深い喜び、安楽を明かすために仏法がある。
衆生の喜びを基準にしていてどうするのでしょう。

目の前の人が喜んでいたら何でもいい、
というのは全くの間違いであり、
大変危険な勘違いです。
もしそうであるならば、
例えば子育てにおいて、
子供が喜ぶことばかりをしていては
その子供は成長しないでしょう。
これと同じことです。
喩えはいくらでも出てきます。

真実の喜び、を見つけ出したのが悟りの意義、
仏の意義です。
それを伝えるのが、僧侶の役目です。

目の前の子供が喜びをときに勘違いしている。
それをちゃんと導いてあげる、
本物の喜びに導いてあげる、
それが僧侶の役目、仏教の役目です。

であれば、僧侶がちゃんと、
真実の喜びを知らなくてはならない。
知らないから、
仏教から外れたところへ流れてしまう。
由々しき事態です。

その勢力があまりに拡大しすぎました。
もはや治療不可能なほどに全身転移している
ような状態ですが、そこで利他に燃えるのが
僧侶として生きている使命でしょう。

皆さん、ちゃんとこの状況を見ないと!
見てください、仏教界を。
本物の命ごと震えるような中身は
一体どこへ行ってしまったのでしょう。
説かれていることも、
あまりに希釈されてしまって、
もはや元の深みが消滅してしまったような
世俗の道徳程度のことばかりではないでしょうか。
もしそれでいいならば、
仏教など必要ないのです。
世俗の道徳よりさらに上のことを明かすから
仏が存在し、仏教が存在するのです。

…と、熱い気持ちを述べてしまいましたが、
私はこのような気持ちで、
身を捨して僧侶をしております。
黙っていてよい局面は遠に過ぎました。

最近、
総宗会というものを発足しました。
https://raikouji0216.wixsite.com/my-site-1/総宗会

発会宣願文
https://note.com/enman1204/n/n6eae5b57ca4b

心ある僧よ、燃えよう!
https://note.com/enman1204/n/n1795af7a7587

共志者について
https://drive.google.com/file/d/1VOvZSKn-s3NLhyLcnQltMP_-lpKFVsFU/view?usp=drivesdk

もし、志を共にしてくださる方がありましたら
是非共に、心を燃やして使命を果たしましょう。

こんな時代になって、
自分の人生が楽しくて、それが何でありましょう。

世の全ての人が幸せでいられる世にするために。
未来の弥勒下生の際の理想郷に導くために。
自分がまた生まれ変わってくるこの世をよくしておくために。
先祖たちが努力して作ろうとしてくれた世をよく繋げるために。

今、世をどうにかしましょう!
そのために、こころの方面を養うために存在する仏教界、寺社をどうにかしましょう!
本物の中身ある寺社を増やして、ひっくり返していきましょう!

神仏は必ず味方くださいます。
神=仏=親の心のまにまに、
必要なものを必要なタイミングで与えられます。
(※この動画のときに最後に確信しました。
https://youtu.be/wz0XiLmOGBc?si=RmYywlvwXlZ1_0Zv)

何卒、よろしくお願いします。

また共に志してくださる方は、
共有/シェアなどにご協力いただいたり、
経済的なご協力をしてくださったり、
フォローやコメント、
法話•講演の縁をつくっていただいたり、
色んなことでご協力いただけると幸いです。

世をどうにかしましょう。
私は先頭きって、明るい未来へ向かって、
産道を押しつぶされてもくぐり抜けていきます。

圓満(大倉圓寂) 拝

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