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【美術展】皇室のみやび 第3期(後期):近世の御所を飾った品々1/2@皇居三の丸尚蔵館

第3期の前期に引き続き後期にもいった「皇室のみやび」。ギャラリートークが無理せずに行ける日に設定されていた上に、「源氏物語」関連の屏風が前期と違うものが展示されている。行かない理由がない。
ギャラリートークは主に「浜松図屏風(はままつずびょうぶ)」と「源氏四季図屏風」について。

「浜松図屏風」海北友松(かいほうゆうしょう)1605年(桃山時代)
人を配すると屏風の大きさが分かりやすい

茶色に見える部分が波。銀が使われているので描かれた当時は銀色。時を経て酸化してしまう。銀色だったらまさにきらめく波間が映えたことだろう。

「源氏四季図屏風」円山応挙 江戸時代(18世紀)
「源氏四季図屏風」右隻
「源氏四季図屏風」左隻

光源氏が愛妾たちのために造営した「六条院」の庭園を描いたもの。
右隻から左隻にかけて、春、夏、秋、冬が描かれている。

右隻の「春」は紫上へ
右隻「夏」は花散里へ
左隻「秋」は秋好む中宮へ


左隻「冬」は明石の君へ

この円山応挙による冬の景色、松に雪を見て、三井記念美術館にある国宝「雪松図屏風(ゆきまつずびょうぶ)」を思い出した。あれが国宝なら、これも国宝に!と思った。

「三井記念美術館」HPから「雪松図屏風」


「源氏物語図屏風」狩野永岳(えいがく) 江戸時代(19世紀)
右隻、右から「紅葉賀」と「澪標」
第7帖「紅葉賀」と言えば、光源氏と頭中将の青海波の舞と、それを複雑な思いで見る源氏の想い人・藤壺の懊悩の場面なのだが、何故にそれが描かれていないのだろう。
右隻の第14帖「澪標」には光源氏と花散里
「源氏物語図屏風」左隻には右から(右隻から続き)「澪標」と「松風」
第14帖「澪標」

この帖で光源氏は「住吉詣」をするのだが、これを描いているのだろうな。
”住吉の海岸の松原に、おつきの人びとの袍(ほう)(上衣(うえのきぬ))が花や紅葉を散らしたかのように数えきれないほどみえる。”

ちょうどこのとき、明石からも明石の君とその母たちが住吉詣に来ていたが、源氏の華やかな一向に気後れして参拝をみあわせる、がこの場面かな?
左隻の「松風」は内容通りのドストライクで、明石の君と明石の姫君
光源氏が明石の地にある時に、明石の君との間にできた「明石の姫君」との初の対面の場。

5月1日に五島美術館で別の「源氏物語」を楽しんできた。五島美術館の源氏は国宝のそれである。国宝を見る度に私の中で勝手に分類するのが、
由緒正しい名人が作成したそれはそれは「美しい」美術品か、
作者は不明ながら、よくぞこの時代まで当時の物が現存しました系か。
五島美術館の国宝は物としては絵具の剥落も目立ち、紙の状態もよくない、そうであるからこの国宝が経た幾多の年月に思いを馳せる美術品。

三の丸尚蔵館の屏風絵2双は、江戸時代の人がどんな風に源氏物語を愛で楽しんだかが伝わる、私にとっては国宝級の美術品だった。

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