オカリナの虜 えんじろう
えんじろうが「好き」を追求するために学んだことを忘れないように、健忘録として記録します。
オカリナと生きたいと願ったえんじろうのライブや創作活動の様子や、その時の心境などを綴ります。
ミュージシャンにとって演奏する瞬間は、準備を整えて待ちに待った開花の瞬間。こちらの演奏予定から、お好きな演奏に足をお運びください。
今回はえんじろうのオカリナ自慢!それも予め予定している5月22日「浜名湖れんが館」に出演予定の楽器たちにスポットを当てます。 それは作家さんへの敬意と感謝から始まるというお話でもあり、22日の意気込みを伝える記事でもあるのかも(笑)って笑ってる場合じゃないよ。 ライブについて詳しくは下記をご覧下さい。ちょっと切ないことに、まだ余裕でご予約できますからね。 6本の精鋭たちえんじろうが演奏するときには、100本以上ある多岐にわたるメーカーの中から数本から十数本を選んで演奏して
タイトル画像をご覧になって、これが何者かすぐに分かりましたでしょうか?徒歩で活動される方ならお馴染みかと思います「押しボタン式信号」です。 今回は視覚障害者と押しボタン式信号の関係について書いてみます。 弱視者の歩行と白杖移動中の自分の足元写真なのですが、えんじろうは視覚障害者と入っても中心5%ほどは視力がありますから、全く見えないわけじゃありません。その中心も0.1には届かない視力なので、それほど見える方でもありません。 よって怖いからというのと、周りの人にもそれを伝え
ずっと前からこの格言は僕の中にあったのですが、とっさの時に忘れてしまうんです。格言をというよりも実践することをです。つい先日そんな体験をしてしまったので、改めて記しておこうと思います。 というわけで、今回はえんじろうの大切にしている格言の1つをご紹介しましょう。 他人の行動に期待するなこれにつきます。悲観的な言い回しに聞こえるかも知れませんが、己の依存に対する戒めでもあり、同時に無駄に鋭い心をすり減らさないための鉄則です。 実は「他人に期待」することは悪いとは思っていませ
ちょっと間が空きましたが、本日は「喜びっていうのは人工物なのかも知れない」と感じたお話をしてゆきます。 よく表現として「幸せ探し」や「幸せを手にする」なんてものがありますが、最近のえんじろうはこの言い回しは違っていると感じるようになりました。ではどうぞ。 幸せなんて物はない!僕は不幸な人生を歩んでいて、幸せなんてものを見たことがないという話で貼りません!言いたいことは「はい、これ幸せです」という感じでパッケージされてそこらに置いておけるものではないという意味です。 何かの
最近野生の花に触れ合う機会が減ったので、通りすがりの駅で懐かしいドクダミの姿を見るだけで、幸せになる。 みんな元気で良かったと。
えんじろうは怒っています。普段は大好きで尊敬しているとか言っているくせに、その対象である小鳥にちょっとだけ怒っています。 同時にこれが、この自分勝手な気持ちもまた人間という生き物の考え方だとも感じ、落ち込みかけたりもして。 突然の発電量低下ここのところ数日前から、良いお天気にも関わらずソーラーパネルの発電量がこれまでの半分程度という状況が続いていました。もちろんソーラーパネルが原因なのか、ケーブルなのか、P2001ことPちゃんの入電機構なのか。可能性は多岐にわたるので絞りき
なんか久しぶりの友と再開するたびに、この手の内容を思い綴ってきたと思うのですが、やっぱりそう思うのでまた書きます。 緩やかな打ち合わせ土曜日、7月のオカリナ発表会「わたしとオカリナ 2024」に出演していただくギターの井手寛和氏が、我が家に来訪されました。 当日のスケジュールや演奏予定曲などを決め、楽器の配置なども確認し合ってゆきました。 打ち合わせ自体は割とスムーズに決まっていったので、残った時間は雑談を楽しんだりしていました。そんな雑談の中にも共通の機材に関するお話や
現代ではインターネット環境さえあれば、大抵のことを自力で知りべて学ぶきっかけが得られます。ちょっと前までは人に訪ねたり書籍を探したりして当たりを引けばという感じだったのに、本当にすごい時代だと感じます。 ただしもちろんネットの情報は書籍や信頼できる人よりも遥かに怪しげなものが多いので、そこを間違うと間違った知恵を「みんながそう言ってるから」という意味不明な思い込みで信じてしまうことになるので、危険といえば危険ですね。 えんじろうは昨日でCD音源の制作がようやくひと区切りつき
皆さんこんにちは。春爛漫の週末の朝ですが、えんじろうは土日も朝から新たなCD「3つのオカリナがうたう 名曲の宝箱 第2弾」の製作をがんばっています。 今は収録作業の真っ最中!12曲×3パートなので、36テイクを少しずつ収録しているのですが、そんな昨日に事件は起こりました。 今回はそんなえんじろうが生まれて初めて味わった「思考と魂のぶつかり合い」のような体験談です。 きっかけは痛恨のミスこちらのオカリナは息が結構いるのですが、それでかなりの高音やロングトーンが入ってくるパー
今日はなんと、えんじろうがまだひらがなではなく本名を略した漢字表記でその名を名乗っていた頃に書いていたブログの記事をお届けします。 代表曲のひとつ「カナリヤ」を実際にお世話させてもらっていた当時の話題でした。いつも曲紹介では遠い過去の人ごとのような言い回ししかできていないカナリヤのお話が、当時実際に向き合っていた頃の立ち位置で話している記事はちょっと斬新でした。 18年も前に書いた記事ですが、ぜひどうぞ。 記事を書いたのは2006年5月14日となっていた。当時のえんじろう
今回は音心とえんじろうという2つの顔で演奏した「まんまカフェ グース」さんでの演奏報告でございます。 お天気と花粉到着したのは13時台、心地よい昼下がりと言った時間でした。実はえんじろう自身は、この頃外出時に雨に降られてしまうケースが多く、あれーという日々だったのです。しかし音心で現場に向かうこの日は、バッチリ良いお天気に恵まれ、うれしいなと思いました。 この日のグースガーデン(勝手に命名)は、春らしいくっきりしたカラーのお花たちがピカピカと咲いていました。 空の青と地
収録曲順を再検討することで、計算上2枚に納めることに成功。 ついでに表計算ソフトで1時間以上を分で表示する方法も学べました。ただでは起きないって感じでちょっとした冒険のような感じでした(笑)それで住んで良かったです。
新譜CDの制作は進んでおります。そんな中気がつけて良かったこと。 伴奏CDの合計収録時間を計算してみたら、2枚組に収まらないことが判明。さてどうする?対処法は思いつきましたので、あとはそれでうまく行くか再計算するのみです。 昨日眼科に行ってきた目とともに、頑張ってます。