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3話 3月9日(水) 【短編映画『夜間(企画・プロデュース 久保田徹朗)』公開中】

「歓迎会、余興どうします?」
「恋ダンスでいんじゃない?」
「いや、ブーム去ってません?」

全面ガラス張りの窓から東京タワーが見える高層ビルの25階は、定時の18時を過ぎると雰囲気がガラッと変わる。

引き出しの中から食べかけのお菓子を取り出し、今にも床に滑り落ちるんじゃないかと心配になるほど椅子に深く腰掛け、パソコンの画面をジッと見つめる者が繁殖する。

僕のデスクがある島は、来月に迫っている会社の歓迎会トークで盛り上がっていた。

僕が十年以上も前から推していた源さんは、今ではすっかりお茶の間の人気者となり、誰しもが知る存在となっていた。『ばかのうた』がリリースされた頃は、誰がドラマの主演を担って、ガッキーと結婚すると思ったか。源さんの話になると、僕は少し鼻が高い。

東京のそこそこ有名な大学を出た僕は、IT企業の営業職として働き、そこそこな生活を送っている。この “そこそこ” という言葉が僕にピッタリだと気付いたのはだいぶ前の話だと思う。でも本当はそこそこというより、それ以下の生活なのかもしれない。

残業代がきちんと出るこの会社では、管理職以外のメンバーが、 “親の監視の目がない子ども” のごとく遅くまで会社に残り、自由気ままに時間を過ごす。

管理職以上は給与に固定残業代が45時間分含まれているから、「お前らも早く帰れよ!」なんてテンプレートを言い残して帰っていく。社会人になりたては「だったら仕事を巻き取って」と吐くに吐けないストレスを抱えていたが、いつしかそんなのもバカらしくなった。

今は「都心の一等地で夜景を眺めながら、お金をもらっている」と考えるようにしている。

とはいえ、朝から連続でアポが入っていたせいか、頭が動かない。完全に思考停止。そんな時にお世話になる会社のルールがある。それは「定時後はイヤホンを装着しながらの作業OK」というものだ。僕はそんなルールを拝みながら、いつも音楽を聴いて自分の世界に入り込む。

僕はSpotifyのプレイリストを開き、慣れた手つきで再生ボタンを押す。いつものようにシャッフル再生を選んだが、僕はSpotifyが提案してきた曲にドキッとした。

それは源さんの『くだらないの中に』だった。心地よいイントロが流れ始めた途端、僕の意識はあの街へと移る。

今から十年以上前の3月11日。僕はまだ傷がひとつもない『くだらないの中に』のCDを、あの人に貸すはずだった。貸して、しばらく経ったら、返してもらうつもりだった。「どうでした?」「どの歌詞が好きですか?」なんて質問を重ねながら、楽しく話すつもりだった。

歌詞といえば、僕は『くだらないの中に』の中によくわからない歌詞があった。歌詞というか、タイトルにもなっている。

くだらないの中に愛が 人は笑うように生きる

なんとなくわかるようで、この歌詞の意味が、この感情が、しっかりと理解できていなかった。だからその人に聞こうとしていた。ただ、あの日から僕たちはそんなごく普通のやり取りができなくなってしまった。

仕事に集中するために音楽を聴くのに、いつしか僕の頭は彼女で埋め尽くされる。時が経てば、その人が僕の頭を占領する範囲は減って、やがて退散してくれるのだと思っていたけど、それは浅はかな考えだった。この曲と彼女の関係は地層のように積み上がり、一方的な思い出として蓄積されていく。

その地層を何百年、何千年後かに研究する人が現れたとしたらなんて思うだろう。ネガティブな言葉で片付けられないことを祈る。

そんなことを考えていると、本日最後の「お疲れ様でしたー」という言葉が曲に重なる。振り返ると、二つ下の後輩がやつれた顔でこちらに視線を送っていた。

「あっ、お疲れ」

僕はイヤホンをしたまま軽く右手を挙げると、彼は何事もなく去っていく。その様子を見て、僕が発した「お疲れ」のボリュームはちょうどよかったのだと安堵する。

周りを見渡すとオフィスには、僕以外誰もいない。人がいる場所を察知して自動で電気がつく仕組みのこのオフィスは、まるでステージの中央にスポットライトを当てたように僕を照らす。

大声を張り上げても誰も反応しないのか、実験してみたくなるのと同時に、真っ暗なオフィスは僕を一層孤独な気分にさせ、命名し難い不安の波が押し寄せる。いつも思うが、あの時の光景とどこか似ている。

僕はあの日、逃げる途中でどこかに携帯を落としてしまった。数日前に待ち受け画面を変えたばかりの黒の折りたたみ式携帯。『くだらないの中に』のCDジャケットが気に入って、待ち受けにしたばかりだった。

今考えると、あの携帯には僕の「好き」がとことん詰まっていた。もちろんあの人が写った写真も、あの人が勝手に撮った写真も。全部フォルダに入っていた。

今、目の前にあるスティーブ・ジョブズが発明した無機質なスマホには、あの時以上の「好き」が詰まっているだろうか?

昔は人が持つ携帯を見るだけで、その人の趣味嗜好が一瞬で垣間見えた。だけど、僕のスマホはどうだろう。

ジョブズがiPhoneを発明して携帯の個性化にブレーキがかかったように、カバーも何もつけていない僕のiPhoneは、家電量販店にあるスマホと何も変わらない。

でもあの時、手元に「好き」が詰まった携帯が残っていたら、どうなっていたんだろう。僕は家族を差し置いて、彼女に連絡をしてしまっていたかもしれない。そして一生あの携帯に頼って、叶うはずもない幻想を抱いてしまっていたかもしれない。

当時は「こんな日が来るならば、彼女の電話番号を暗記しておけば……」と悔やんだ。何度も何度も目にしたはずの番号なのに。僕は電話帳に登録した時点で、完全に安心しきっていた。どうあがいても思い出せない自分に腹が立って仕方がなかった。

大切な人の11桁は覚えておくべき。それは今の僕にとって教訓となっている。だけど、あの時携帯を無くして、そして11桁が思い出せなくて。それでよかった。今はそう思えるようになった。

仕事も終わったし、そろそろ帰るか。最後にメールBOXを覗いて仕事を終えようとした瞬間、僕の手が止まった。

先日資料ダウンロードのために登録した、ある企業のメルマガ。その差出人に、僕が片時も忘れることのなかった4文字を見つけた。

(作:須賀原優希 / 企画・プロデュース 久保田徹朗)


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