第1176回「良い方向へと導くもの – 戒 –」

プラムヴィレッジとは、どんなものかというと、プラムヴィレッジのホームページには、

「ティク・ナット・ハンの創設したプラムヴィレッジ(すもも村)は僧侶、尼僧、一般の在家修行者たちのために開かれた仏教共同体です。」

と書かれています。

更に「フランスに亡命したティク・ナット・ハンにより、1982年に南フランスに開設されました。

現在ではベトナム、日本などのアジアをはじめ、ヨーロッパ諸国、イスラム教の人など、200人以上のブラザー、シスターと呼ばれる僧侶、尼僧が暮らす、ヨーロッパ最大の仏教僧院です。

この共同体は、世界中から何千人もの宗教、宗派を超えたリトリート(瞑想会)参加者を迎えています。」

と書かれています。

先日の「内なる平和への誘い – プラムヴィレッジと円覚寺との対話」の企画で、プラムヴィレッジのブラザー・ファップ・ユン師が法話の中で、あえて僧院とせずに「ヴィレッジ」と名づけた意味について話してくださいました。

ビレッジというのは、子どもたちがそのまわりを走り回れるようなところなのだと仰っていました。

そしてそこでは深い絆をもって活動しているということでした。

かつては、日本のお寺も子どもたちが走り回れるようなところだったと思います。

今もそのようなお寺もあるとは思いますが、まず修行の道場は、中に誰も入れません。

一般のお寺でも、檀信徒やお寺の用のあるものでないと入れないところもあります。

その点ではプラムヴィレッジは、多くの方に開かれたところだと分かります。

「僧侶、尼僧、一般の在家修行者たちのために開かれた仏教共同体」と言われるとおりであります。

先日の円覚寺での催しの折にも、初めてプラムヴィレッジの行事に参加した私の知人は、プラムヴィレッジの方々が、ゆったりと穏やかに歌を歌っている、その中に入っていっただけで、なにか涙がこぼれてきたと言っていました。

今回は五戒についていろいろ学び直すことができました。

五戒というのは、

第一殺生戒 命あるものをむやみに殺さない
第二偸盗戒 人のものを盗み取ることをしない
第三淫欲戒 道に逆らった愛欲を犯さない
第四妄語戒 嘘偽りを口にしない
第五飲酒戒 酒に溺れて生業(なりわい)を怠ることをしない

の五つなのです。

これをプラムヴィレッジでは、五つのマインドフルネストレーニングとして説いています。

この内容については以前にも紹介していますが、すばらしいものです。

不殺生は、「いのちを敬う」です。

その内容の一部を紹介しますと、
「いのちを破壊することから生まれる苦しみに気づき、相互存在を洞察する眼と慈悲とを養い、人間、動物、植物、鉱物のいのちを守る方法を学ぶことを誓います。」

ということです

それから、不偸盗は「真の幸福」です。

これは「搾取、社会的不正義、略奪、抑圧による苦しみに気づき、自分の心、発言、行動をもって寛容さを実行することを誓います。」

ということです。

それから不邪淫は、「真実の愛」です。

「性的な過ちによる苦しみに気づき、責任感を育て、個人、カップル、家族、社会の安全と誠実さを守る方法を学ぶことを誓います。」
ということです。

そして不妄語は、「愛をこめて話し、深く聴く」です。

「気づきのない話し方と、人の話を聴けないことが生む苦しみに気づき、愛をこめて話し、慈悲をもって聴く力を育てます。」
ということです。

最後に不飲酒は、「心と体の健康と癒し」です。

「気づきのない消費によって生じる苦しみに気づき、マインドフルに食べ、飲み、消費することを通して、自分と家族と社会に心身両面の健やかさを育てていくことを誓います。」
ということなのです。

五戒をはじめは、プラムヴィレッジでも五つのプリセプトと訳していたそうなのです。

しかしながら、どうしても「プリセプト」という英語を使うと、戒めであり、罰則があって、自分たちを拘束するものという印象が強いそうなのです。

モーセの十戒というのも、神が与えた十箇条の掟であります。

しかし、仏教で説く戒には、罰則がありませんし、縛り付けるものではありません。

むしろ、縛り付けられたものから解放される為の訓練であります。

そこで私は、「よい習慣」と言うようにしています。

よい習慣を身に付けることによって幸せに生きられるとお話しています。

ティク・ナット・ハン師は、戒をトレーニングと訳されたのでした。

円覚寺では、布薩の会を復活させて毎月二回戒を読み合わせてお互いに反省する機会を設けています。

これは決して戒に背いたものを罰する為ではありません。

むしろ戒を守れていないことに気がついて、心に恥ずかしい思いを抱くことが大切なのです。

この恥ずかしい思い、申し訳ない気持ちを慚愧といいます。

この慚愧の心こそが修行の原動力となるのです。

その布薩の会は、かつて在家の方もお寺に行っていたという歴史がありますので、今年に入ってから一般の方々もまじえて行うようにしています。

布薩についてプラムヴィレッジの方にうかがってみると、やはり五戒を受けた者は、必ず二週間に一度戒を読み直して、自ら反省するそうなのです。

そして三ヶ月読み直すことを忘れているとまた五戒を受け直さないといけないようになっているとのことでした。

プラムヴィレッジのリトリートに参加して、五つのマインドフルネストレーニングについてプレゼンテーションを学んで、よく理解して受戒をすることができるそうなのです。

そのプレゼンテーションは五人の在家の実践者が行うとのことでした。

僧ではなく在家の方が行うことによってより具体的に語ることができるというのです。

またプラムヴィレッジでは五つのマインドフルネストレーニングのすべてではなく、ひとつだけでも受戒できるというのです。

ひとつだけ無理だと感じたら、四つを受けることも出来るとのことで、その四つを意識して暮らしていると、自然と残りの一つも実践出来るようになってくるのだと仰っていました。

また、タイに生まれ育ったシスター・リン・ニェム師が仰っていたことが印象に残りました。

それはタイの国は仏教国なので、布薩は当たり前に行われているとのことでした。

しかし、それはその布薩の日にお寺に行って、お坊さんがパーリ語で五戒を読み上げるのを聞いて、そしてその日だけ五戒を守ればいいという風に受けとめられているそうなのです。

その日だけお酒をやめてあとは飲んでもいいように受けとめている人も多いのだということでした。

しかしティク・ナット・ハン師の説かれた五つのマインドフルネストレーニングは、単に禁止事項ではなく、このように生きたいという願いが現れているものです。

「不殺生」にしても、殺さないということだけでなく、「有害な行為は、差別や二元的思考から生まれ、怒り、怖れ、貪り、不寛容から生じることを見抜きます。」という気づきが説かれています。

そして更に「私は寛容さと差別のない心を育て、自分の見方に執着せず、自分の心と世界にある暴力、狂信、教条主義を変えていきます。」という積極的な方向へと誘うものなのです。

シスター・リン・ニェム師は、このティク・ナット・ハン師の教えに深く感動して、出家の道を歩まれるようになったというお話でありました。

戒によって心がめざめて良い方向へ生きることができるのであります。

戒はまさに一生かけてのトレーニングなのだと仰っていました。
プラムヴィレッジの方々の五戒についての教え、マインドフルネストレーニングを学んでこちらも一層理解が深まりました。
 
 
臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺

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