グリーン・ニューディールかグリーン・ウォッシュか

 日本では「脱炭素」化の象徴である「グリーン・ニューディール」政策が化石燃料延命の口実に当てられている。そのような主張が政治でまかり通る原因は、先の風力発電の記事で触れたように、11年前の福島第一原発事故以降、「脱原発」を訴えるのと同時に再エネを敵視する風潮があり、政治家は支持者にとって耳障りのいいことしか言わず、支持者もまた政治家から耳障りのいいことしか聞きたがらない、信じたいことしか信じようとしないので、民主主義が育たなかったこと。

 脱原発も大部分が社会の「空気」によるものでしかなく、いわば「社交辞令」の範疇であって、主義主張が一貫しているわけではない。その証拠に過去の選挙では何度も争点から外され、実態として候補者や党の公約であるようで公約ではない、じつに曖昧な位置づけになっている。そこに野党間の「共闘」というしがらみが合わさり、それぞれの支持母体との利害調整が複雑化して、誰も明確なビジョンが描けず、描こうとすらしないまま、今年も選挙を迎える。

 でも、自分は悲観しない。気候危機や生態系危機、パンデミックを生き抜く力にみなぎっている。

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