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松浦理英子『ヒカリ文集』(毎日読書メモ(430))

松浦理英子の新刊『ヒカリ文集』(講談社)を読んだ。「群像」に2019年から2021年にかけて、5回に分けて発表された、文字通り、ヒカリという魅力的な女性についてみんなが文章を寄せた、文集の形式をとった小説。

学生演劇の劇団NTRが解散して長い月日がたった。主宰者だった脚本家破月悠高の謎の遭難死から2年がたち、妻久代が当時の劇団員たちに声をかけ、悠高が残した未完の戯曲を補完するように、戯曲の中に登場しないのにあきらかに主役であるヒカリについて、みんなで書いてみないか、と持ち掛ける。悠高が残した戯曲自体が、その何年か前にみんなで集まった際の会話を元に、脚色された会話劇だったのだが、その会話の中で甦るヒカリの姿を、演劇の現場を離れた3人の女と2人の男が振り返る。亡くなった悠高も含めた6人全員が、ヒカリと交際し、性愛をかわした過去を持っていた。
劇団の解散により、それぞれ、別の道を歩み始めた元の仲間たち。それぞれに強い愛着の念を抱いていたヒカリとも、劇的な別れがあった訳ではなく、交渉が途絶えてしまっただけなのに、誰もがヒカリのことが気になってたまらない。今ヒカリが現れたら、自分はどんな気持ちになるんだろう、と考えずにいられない。
悠高の戯曲の中で、聞き手役として、唯一ヒカリのことを知らず、他の登場人物たちからヒカリの話を聞く順平は、ヒカリはサークル・クラッシャーではなかったんですか、と問う。全員がそれを否定する。ヒカリの恋愛遍歴は、劇団の存亡とは直接かかわりはなかった。包み込むような優しさで相手と向き合い、彼女が自分を大切な存在と認めてくれることに、誰もが大きな満足感を抱く。そして彼女を本気で愛するが、彼女が自分のことを全身全霊で愛してくれている訳ではないことが、おそらく恋愛が始まる前からみんなわかっていて、一定の時間が過ぎると、関係は解消される。そこには深い絶望とやるせない諦めがある。
人間関係の不全を、それぞれの生育の履歴に見出そうとすることって結構あるが、他の人とのわかりあえなさやギャップを飛び越える力は、どうやって生まれるのだろうと考える。この小説の登場人物たちの中にも、親との関係に苦しんだ人もいれば、逆に家族仲良く育ってきて、幸せそうに見える人もいる。人を愛する力は生まれつきなのか後天的なものなのか、この小説からは答えは返ってこない。

手記のような文集の中で、印象的だった結びの言葉を2つ。

あたしは相変わらず自分に自信がないけど、ヒカリが「いとおしい。」と言い続けてくれた時期の安心感はよく覚えていて、気持ちが沈んで四方を靄に取り巻かれているように感じる時も、そう言ったヒカリの声音、手の温かさを甦らせれば、靄の向こうから陽が差して来る思いがする。あのことばが嘘でもほんとうでもどっちでもいいのだ。

pp.159-160

平凡とはいえそれなりに人生経験を積んだ三十代半ばの今、ヒカリさんとのつき合いを思い返すと、かつて僕がヒカリさんに言った「伝わらない本物の愛より、偽物であっても目に見える笑顔の方が人の役に立つ」ということばは間違いでなかったと感じる。ヒカリさんは優しくて恋しくてとてつもなく魅力的な偽物の恋人だった。

p.239

ヒカリの幸福は、人に優しく向き合うことなのか。
今もヒカリはそうして暮らしているのだろうか。
SNSにヒカリの痕跡を見つけた仲間たちは、ヒカリの幸福を願うというよりは、ヒカリは今もかわらず、人をいつくしみ、なのに愛を与えるということが出来ずに生きているのだろうか、と考える。

大きな心理劇であると当時に、この小説はハイブローな文学かぶれの若者たちが群れ集うサークル活動の様子も活写していて、そこにも強い郷愁を感じた。この小説の登場人物たちより、更に遠いところに来てしまったな、と思いながら。

#読書 #読書感想文 #松浦理英子 #ヒカリ文集 #学生演劇 #講談社 #群像

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