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   4-(3) 舌戦

時間がたつに連れ、日陰はどんどん短くなり、日ざしはジリジリ照りつけてくる。2人とも大汗ものだった。

おかあさんは体をこわばらせているので、サドルに乗るに乗れない。ひと足ふた足地面をけっただけで、自転車はすぐにかたむいてしまい、そのたび、おかあさんはひっしで自転車を起こすことになる。

「それじゃ、のぞみなし! おかあさん、こっちへ来て」

マリ子先生は気が短い。すぐに見切りをつけて、教え方を変えた。
朝礼台の上がり段のそばに、自転車を近づけて、おかあさんを最初からサドルにすわらせた。

「うしろを支えてあげるけん、ペダルをぐんとふんで! ふみ続けるんで」
「そげんこと言うても、こわいが・・」

おかあさんは、なかなかふみ出さない。

「スピードが出たら、ぜったい転ばんけん、だいじょぶじゃ、行くよっ」

マリ子はむりやり、ぐいっと押し出した。自転車はヨタヨタと進み出した。マリ子は力いっぱい押して押して走り、手を放した。

「きゃー、止めて、止めて、マリ子ったら」

お母さんの叫び声を残して、自転車はしばらくまっすぐに突っ走った。前方には、砂場、鉄ぼう、ブランコが並んで待ち受けている。

「左へ! 左へハンドルをまわしてっ」
マリ子は叫んだ。

でも、おかさんはこちこちのまま、まっすぐ砂場のかこいの中につっこんだ。

「きゃー」
おかあさんはいっしゅん、宙をとんで、自転車もろとも、ガラガラガッシャーンとくだけ落ちた。砂の上だっただけ、天の助けだった。

マリ子は吹っ飛んでいった。
「なんでハンドルまわさんのん!」

できの悪い生徒には、どなるしかない。

「そげんことできますかっ。わたしは初心者なんよ。生まれて初めて乗る人に、あげな乗り方させるやこ、めちゃくちゃや」

おかあさんはどなり返して、痛そうに足を押えた。

「あんたはね。自分ができるからいうて、だれでも同じようにできると思うたら、大まちがいなんよ」

手ごわい生徒だった。マリ子は先生の威厳いげんにかけて、つっぱらずにはいられない。

「うちは今日、先生じゃが。先生のやり方にゃ、従うてくれんと」

マリ子はわざとつんとして言い返した。お母さんはますます負けていない。

「わたしこそ、ほんまものの先生じゃけんね。教える時は、相手をよう  見て、相手の気持ちになって、相手に合わせにゃいけんの」

「ふうん、だ。おかあさんは、それほんまに守っとる?」
「あたりまえじゃ、じょうしき、ですが」

「そうじゃろか。おかあさんは、うちの気持ちやこ、めったに考えてくれとらんが」
「・・・何のことね?」

おかあさんはきょとんとした。まるで思い当たらないらしい。マリ子は仕方がない。本音の〈たとえば〉のひとつを、言ってやった。

「あの水着じゃって、うちの大きらいな色で、大きらいな形じゃが」

おかあさんは言い返そうとして、ぐっとつまった表情になった。マリ子は ちょっと気がとがめた。おかあさんの好意を根こそぎくだくのは、うしろ めたいことでもあったのだ。

しばらくは気まずい沈黙になった。でも、マリ子はすぐに気を取り戻した。
「やめじゃ、やめじゃ。はよ練習せにゃ、乗れるようになれんが」

さっさと行動に移した。自転車を砂場から引き出して、砂を手ではらった。

「マリ子は、そねぇにきらいじゃったの・・」

おかあさんはまだ水着のことを気にしている。よほどがっかりだったのだ。

「ええから、ええから、早う練習しよ。やっぱり先に、下り方を教えとか にゃ、な」

足をつければ、いつでも止められるのだから、マリ子はそのやり方をやってみせた。

「また押してあげるけん、やってみ」

マリ子がうながすと、おかあさんはきっぱり断った。

「ぜったい押さんでよ。自分でやるけん」

おかあさんは自転車にまたがると、ペダルをふんでは足をつけ、ふんでは足をつけ、くり返し始めた。

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