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2024名古屋グランパスの躍進を祈念して「75.8km」を走ってみた - ある新米サポーターのクラブへの想い -

2024シーズンの名古屋グランパスの躍進を祈念してのランニングを勝手に企画し、勝手に3日間で75.8km走り切ることができました。1日目と2日目にSNSでリアクションしてくださった皆さん、そっと見守ってくれた皆さん、ありがとうございました😌

ランニングを復活させて7ヶ月目の、週末ランナーに過ぎない私が、3日間走り切ることができたのは皆さんのおかげです🙇

今回は、昨年末に行ってしまった自己承認欲求から生まれた行動ではないつもりです。私のグランパスへの想いが生み出した行動であると思っています。

もちろん「それを自己承認欲求と言うんだよ」と言われれば返す言葉はありません。

それでも、少しでも私のグランパスへの想いがどなたかに伝わり、1mmでもチームのチカラになるのでしたら、私が勝手に自分に託したこの一ヶ月に渡る「元クラブスタッフとしてのSNS発信」という役目を終えることができるのだと思います。

企画の発端となったある考え

つい一ヶ月半前は距離を置こうと考えていたグランパス。しかし私のくだらない自己承認欲求をきっかけに始まったグラサポの皆さんとの交流。そしてその皆さんのおかげで取り戻せたグランパスへの想い

決して少なくはない時間をグランパスへと身を捧げてきたつもりの私は、2/23のJリーグ開幕まで、自分なりに何ができるか探究し、行動しようと、1/19に決めました

ときにはnoteを書いたり、グッズを買ったり、埋もれてしまっていると感じたグランパスに関するポストをリポストしたり、日々のグラサポの皆さんとのXでのやり取りから考えや感覚を研ぎ澄ませていただいたり、それをまたポストしたり…。

その中で、なかなか胸にこたえる言葉も頂きました。「元スタッフだか何だか知らないけど」「出しゃばってんじゃねえよ」。勝手に行っているSNSから出た錆とは言え、それはなかなか辛い言葉でした。

実は、前述の通り1/19にXの本格的な再開を始めてから2日後、グラぽさんからDMを頂きました。「もっと気楽にしてみてはどうですか?」と。

私がXを再開してからのたったの2日間におけるポストの頻度に、グラぽさんは私の力の入り具合を見て取られ、そのように指摘してくださったのでした。グラぽさんは、グラサポの皆さんから私へ様々なコメントが出てくることを予期されていて、私に忠告してくださったのだと思います。

しかし私は、グラぽさんのありがたいアドバイスを心に受け止めながらも、それまでの頻度はそのままに、開幕まではどんな言葉を投げかけられようとも、出来る限りグランパスへの想いを届けようと決めました。

私には辛くなった時に、頼る歌の一節があります。

“ 攻めていこーぜ!守りはごめんだ
叱られるのなんてほんの一瞬のことだよ

攻めていこーぜ!敵を味方に
つけちゃうくらいのイキオイで ”

斉藤和義“攻めていこーぜ!”

この歌を私に教えてくれた方は、同時にこんな言葉も私に授けてくれました。

人や環境のせいにせず、
矢印を自分へ向けろ

企画を思いついた経緯

開幕まで1週間に近くなったタイミングで、漠然ともっと何かできないかと思った時に思い出したのが、2021年にラグさんが行った「グランパス勝利祈念ウォーク」でした。

当時、このラグさんのnote に私は非常に心を揺さぶられ、またその輪が他のグラサポの皆さんへと波及し、何名かの方々が同様の祈念ウォークに実際に行動を移されているのを、ずっと見ていました。

そしてその皆さんの想いが、その年のルヴァンカップ優勝に繋がったと思っています。

2021シーズンは本当に苦しかった。それは当時の稲垣祥キャプテンがルヴァンカップ MVPを受賞した際、言葉にしてくれました。

“ 絶望のような時間を過ごして来て、苦しい中で全員が闘い抜いて、そしてファミリーの皆さんも、本当に最後まで熱い応援を頂いて、チカラを押していただいて、本当にチカラになりました。ありがとうございました。”

2021 JリーグYBCルヴァンカップ 表彰式

同時に、ファミリーの皆さんの想いが選手たちに届いたことも、その言葉で感じることができました。

想いが、チカラになる。

私が何度も信じて来た言葉が、またしても私の心に刻み込まれた瞬間でした。

そうなのです。「想いはチカラになる」んです。なので、私のちっぽけな想いが少しでもチカラになって欲しいと、祈念ウォークならぬ、祈念ランニングをしようと決心したのでした。

企画のプランニング

ラグさんは、“自分でもよくわからないノリで” 祈念ウォークをスタートされたとnoteで語っておられました。

私も同じような思いつきですが、そのオマージュに留まっては先駆者であるラグさんに失礼です。なので、あれこれ考えてみました。

先ず思いついたのが自宅から豊田スタジアムまで走ることでした。googleマップで調べると「28km」と表示され、なかなかの距離だなと感じました。同時に、その距離は私の走力にとって「なかなか」なだけで、グランパスへのインパクトは少なく、チームのためにならないなと感じました。

次に、これを試合当日に実行したらどうか、と思いつきました。しかし、これこそ自己承認欲求の権化だろうと直ぐに却下しました。

その時、距離を「758」にすれば良いのではと思い立ました。正に “自分でもよくわからないノリ” 万歳🙌 そこからはスムーズにプランニングできたように思います。

-自宅と豊田スタジアムの往復「56km」
→残り22Km
→googleマップで自宅から22kmの場所を探す
→適当な場所が無い
→却下

-自宅より北上させた時に国境の犬山城まで26kmであることを知る
→豊田スタジアムまでの「28km」と、犬山城までの「26km」と合わせて「54km」
→残り24km

→自宅から南下すると名古屋港まで10km
→往復で「20km」
→「28km」+「26km」+「20km」で「74km」
→微調整の範囲に収まるな

→決定

続いて、順番。

-豊田スタジアムをゴールとする
→先ず手始めに名古屋港の往復かな?
→2日目の犬山城への「26km」が重くのしかかりそう…
→1日目-犬山城、2日目-名古屋港往復、3日目-豊田スタジアムが良いかな

→決定

一人広告代理店は思い通りに進められるので、スムーズに企画をに組み立てることができました。

残る課題は私の体力。しかし先週の3連休において、2日連続15km走れたので(#1#2)、3日間走り切る手応えを感じることができていました。

加えて辛ければやめれば良いし、という私の生粋の怠け心から、この企画をステルスで行うことも決めました。そう思うと、私のグランパスへの想いとは裏腹に、心が軽くなりました。

企画1日目 - テレビ塔〜犬山城

迎えた初日の2/17土曜日。無事に6時に起床できた私は、7時半に自宅を出発しました。土曜日の栄、平日の喧騒から逃れたその街の静けさのおかげで順調なスタートを切れました。

そして、数日前のXのハッシュタグ祭りに参加して作った自分自身のプレイリストが役に役立ちました。

※好きな曲が重なった方は、心でいいね!をしていただけると私が喜びます🙇

自分のテンションが上がる曲を列挙させたので当たり前なのですが、次から次へと気分の高まる曲が続き、気付けば名古屋空港の看板が、気付けば小牧山城の姿が目に入り、自分の想像より遥かに良いコンディションで犬山城に到着しました。

こちらのポストに日頃やり取りさせていただいているグラサポの仲間から温かいリアクションを頂きました。私のテンションがプレイリスト以上に昂ったことは、記すまでもありません。

企画2日目 - テレビ塔⇔名古屋港

迎えた2日目も早めに起床したのですが、前日浦和レッズが発信されたシンポジウムの全文文字起こしがずっと頭に残っており、色々思いや考えを頭に巡らせていました。

何とか言語化できたのが9時半。Xにポストをし、10時過ぎに自宅を出発しました。

自宅から南下して、JR中央西線の高架にぶつかりその線路沿いを金山へ走っていた時、高架下に素敵な飲食店が並んでいることを知りました。

見つけては写真を撮り調べ、見つけては写真を撮り調べ、前日とは打って変わり、スロースタートとなりました。

ただ、この企画にスピードは関係ないので、お昼前に名古屋港に着けば良いやと思い、名古屋港まで残り4kmとなった白鳥庭園からはほぼ真っ直ぐの道を気楽に走っていました。

そして名古屋港へと向かう最後の交差点を左折した刹那、突然「名古屋港ポートビル」が目に入りました。

上記のポストのテキストの通り、あの時の感情は忘れたくないものでした。今回の企画の趣旨とは関係なしに、走って良かったと感じた瞬間でした。

そこからゴールはすぐでした。しかし、先ほどの感動を大切にしながら港に着いた私に、更なる感動が訪れたのでした。

名古屋港のシンボル「名港トリトン」が目の前に広がりました。

太陽がキラキラ反射するその海面に、実家の街の光景が重なりました。

もうこの光景だけで、走った意味はあるのではないか。テンションの昂り切った私は、観光客の皆さんがごった返す名古屋港をランウェアのまま、一人楽しんでいました。

気付けば汗で濡れたウェアが身体を冷やし、追い打ちをかけるように雨が降って来ました。そうです、私は天気予報を確認しないまま、本企画を実行していたのでした。

一気にテンションは駄々下がり、何とかグランパスのパートナー「ポッカサッポロ」様の缶コーヒーに助けていただき、復路のランニングへと出発しました。

昨日と往路の時点で「26.31km」+「11.07km」。3日目の走行距離にバッファを残すために、復路は距離をショートカットしました。

しかし途中にずっと行きたいと考えていた名古屋国際会議場にも立ち寄れ、15時に自宅へ到着できました。

小雨が降り続ける復路のランニングでしたが、自宅に着いた瞬間に、太陽の光が降り注いで来た時は、苦笑いするしかありませんでした…😅

企画3日目 - テレビ塔〜豊田スタジアム

先ほど到着したばかりなので…。
ただ何より、こうしてポチポチとスマホをタップできていることにホッとしています😌企画がお蔵入りにならなくて本当に良かったです!

企画を終えてみて

以下の文章は今日走る前に、自宅で打ち込んだ内容を、Run後に加筆したものとなります。

2010シーズンの名古屋グランパスの今のところ唯一のリーグタイトル、しかし当時のキャプテンである楢﨑正剛選手は、シーズン前から優勝の手応えを手にしていたわけではありませんでした。

“シーズン前は、どうなるか分からんなと思ったが、開幕して3ゲームほどこなしたら、チームに手ごたえを感じた”

『月刊グラン』2010年11月号「我らが「誇り」赤鯱の守護神」

2010シーズンのJ1制覇の始まりは、当時の久米一正GMの「ストイコビッチは3年目」という言葉だったのです。

そして時は経ち2024年。
その当時のストイコビッチ監督と同じ3年目を迎えた長谷川健太監督は、明確にリーグタイトル獲得を明言されました。そして、新しくキャプテンに就任したランゲラック選手も、アカデミー出身の若い選手たちも。(中京テレビ『長谷川健太グランパス 3年目の真価』より)

そんなチームの想いに呼応せずに、私たちはファン・サポーター、そしてファミリーを名乗っていいのでしょうか。

私はリーグタイトルを、2024シーズンの名古屋グランパスの躍進を、心で祈りながら「75.8km」を走りました。

しかし、今日走っていて、至極個人的な副次的な産物もありました。

今日の走行コースは、私がグランパスのスタッフとして毎朝乗車していた鶴舞線と豊田線の線路筋であり、また何百回と同僚の車に乗せてもらったクラブハウスから豊田スタジアムへのルートだったのです。

走っている最中、図らずも8年半のクラブスタッフ生活が思い出され、途中何度か涙ぐんでしまいました。退職は自分で決めたこととは言え、思い残すことが全く無かったとは言い切れませんでした。しかし今日このルートを走りながら8年半を振り返ることが、私にとって鎮魂走のようなものになりました。

一ヶ月前に勝手に背負った元スタッフという看板を下ろし、サポーターの一人として、2/23に豊田スタジアムへ足を運べそうな気が今しています。

そんな私の鎮魂走、否「2024名古屋グランパス躍進祈念ランニング」が、少しでも皆さんと想いを分かち合うことに繋がり、それがチームのチカラになるのでしたら、この一ヶ月間で私に思い残すことはありません。

皆さま、このような私の二度目の自己承認欲求にお付き合いくださり、誠にありがとうございました。

想いは、チカラになる。

#さあ行こうぜ名古屋2024 🔴🟡

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