無職日記9日目.

無職日記9日目.日本時間今朝の3時から、appleの新製品発表会があった.廉価型のiphoneとして有名なiphone seの新型が出ると聞いていて、買う予定でいた.理由はやや込み入っている.今使っているスマホはあまりにも快適すぎる.娯楽や動画などで時間を自ら溶かすようにずっと触ってしまう.それゆえ、音楽とネット検索だけに特化したスマホを1台購入して、今使い込んでいるスマホ離れを少しずつしようと考えていたのだ.

だが、新型のiphone SEは思ったより高かった.安くても本体価格6万円弱.上記だけの理由のためにそれほどのお金を使うことも、何より技術革新は別に欲していなかった.どうしようかと思いながら、他のスマホや中古価格を調べているうちに、どんどん新たなスマホを買うことがどうでも良くなってきた.結局は自分がスマホを触るのをやめようとしない限り、触ってしまうだろう.強制的にしないといけないことや止むに止まれぬ事情を抱えていない、絶賛無職の俺にはそれができてしまうのだ.もしそれをやめたいのならば、今持っているものを大切に、かつ、自分でうまく調整できるようになった方が得策なのではないかと思う.

科学技術は世界を変えたが、全て良いように変えたわけではないだろう.俺の生活を変えたいとしても、それは科学技術によって平易に変えられる訳ではない.新しいスマホを探すよりも、することはあるだろう.てことで、スマホに触っていない時間に応じて、魚を育てることができるアプリを入れてみた.良い.

今日は朝から、映画『ラジオ・コバニ』をみた.ロジェヴァの街・コバニでラジオを始めたディロバン・キコに密着したドキュメンタリーだ.当然彼女の生活やことばが多数取り上げられている.「戦争に勝者や敗者はなく、どちらも敗者だ」と彼女は語る.メディアとして、ジャーナリストとして、悲しみに打ちひしがれ続ける一人として、そして一人の若者としての彼女をカメラは捉えようとしている.

それと同時に、コバニの街の様子、クルド人たちの生活も描かれている.ドキュメンタリーの冒頭で、彼らは瓦礫や土砂の中に埋もれているISやクルド人の死体を掘り起こし、回収し、弔うことを始める.コバニではそれほどの人が戦闘や爆撃の中で、命を落としたということ、人が殺されている現実が描き出される.またカメラはISとの戦闘シーンや、捕らえたISの兵士に対して質問を行う場面にも迫っている.コバニでは戦争が起きている.人を殺さないと、自分達が殺されるという状況が、生活の前提にある.コバニがどういう街なのかが描かれている.

結局は戦う気があるかどうかなのだ.
どんな言葉も、どのような「私」も、それによって意味が異なるだろう.彼女らの顔に、深く滔々としたような悲しさはあっても、甘ったれたような寂しさはなかった.

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