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おもちゃ箱 下段

12月25日の朝、大人達の話を盗み聞きしてからサンタクロースが来なくなってしまった。


幼稚園生の私にとってクリスマスパーティは、
朝礼で念仏を唱えてくれる園長先生が、
剃髪した頭を帽子で隠して髭を付け、
赤い服を着て長靴型のお菓子を配ってくれる、
うるさくて意味不明なイベントだった。

「あれなに〜?」「サンタさんだよ」

違う。園長だよ。

なんか、そのノリに合わせないと大人が白けるみたいな空気がめちゃくちゃ怖かった。

今より″特性″の強かった当時の私には、その異様さが受け入れられなかった。なんなら化かされてバカにされてる気分だった。


25日の朝、大人の話し声で目を覚ました。
「まだ信じてるの?」というおばあちゃんの声色は内緒話のトーンだった。

おばあちゃんは何かを隠している…!と思い耳を傾けると、サンタクロースの話をしていた。
サンタクロースとおばあちゃんには何か秘密があるんだ、と引っかかったまま眠るフリをした。

枕元には「漫画でわかる慣用句・ことわざ」
みたいな本が置かれていて、おもしろかったから飽きるまで読んだ。
おばあちゃんはパパのママだったころは教育熱心で、よく怒ってランドセルを捨てていたらしい。



小学生の時ママに
「ねえサンタさんいると思う?」
って聞かれた時、弟は「いない!」
と言っていた。かなしいね、いつから?

私はサンタクロースの秘密を暴きたかったので「いるけど日本には来ないんじゃないの?」
と叔母からもらった図鑑の、
なんとかランドのサンタクロースがサーフィンしている画像を指し示すと
「かわいげないガキ!」と言われた。
……おとなげないメス!!(T . T)

″親とかがコソコソなんかくれること″が
″サンタクロース″と呼ばれているのか…!!
という確信を持ったのは
デカい紙袋を抱えた父親と玄関で鉢合わせ
「ああ〜〜〜!!ごめん、実はうちにプレゼントを届けていたサンタさんは俺だったんだ。でも俺はどこかにサンタクロースが存在してるんじゃないかと思ってる……。弟には内緒な!」
と言われた時だった。
父はこういう芝居がかった話し方をする。
言語獲得のプロセスが、たぶん映画字幕だったからだと思う。

じゃあサンタさん本当に日本に来ないんじゃん!!と思った。

サンタさんを10年やっていた父親はすごい。
私も枕元にプレゼント置きたい!と思って
(プレゼントは枕元に置くものだと思っていた)
父の枕元にバレンタインのチョコレートや趣味で作ったプチトマトとかを置いていたことがあるけど、あれは供物みたいでよくなかった。


⭐︎
みなさん、ぬいぐるみは好きですか?
みなさんの持っているぬいぐるみの話
知りたいです!!


私はぬいぐるみ大好きです!
ぬいぐるみを前にした人間がもっと好きです!

ヒトが生まれて初めて知る″やわらかさ″は
母親の筈ですが、
初めて「お気に入り」になる″やわらかさ″は
ぬいぐるみ(等の布製玩具)かブランケットだと勝手に思っています。

私はブランケットについているサテンのタグがお気に入りで、眠れない夜はサテンのタグを触ると、すぐ朝を迎える子供でした。



初めてお気に入りになったぬいぐるみは、ピンクのエナメルバッグに入ったチワワのぬいぐるみだった。
名前はキャンディ。お出かけの時もBBQの時も寝る前にドラえもんを読む時も一緒だった。

ジャスコで迷子になった時にキャンディはいなくなってしまったので、以来フードコートもぬいぐるみも苦手になってしまった。


わたしが可愛がったせいでいなくなったんだから、もうどんなふわふわも愛したらだめだ、と思った。それ以来なるべくぬいぐるみを避けた。
弟が沢山ぬいぐるみを持っていて羨ましかったけど、触れなかった。


成人してから、ぬいぐるみにハマっている。
小さいタイプが好きだ。
それからぬいぐるみそのものより、縫い目や布地の光沢から見える作り手のことを愛しているんだと気がついた。

この世にこんなに可愛いものを生み出せるなんて、なにかをとっても愛する気持ちがなきゃ、できっこないでしょ、と全ての″かわいい″に思っている。

かわいいを作る人、どうもありがとう。



祖父の話がしたい。
私の中でおもちゃと祖父は不可分だからだ。

祖父はレゴブロックやシルバニアファミリーなど
大人になって思い返してもやや高価なホビーを
楽しそうに買い与えてくれた。
本当に楽しそうに。

なんならランドセルを買い与えてくれる時より
玩具を買い与えてくれる時の方が生き生きしていた。 



祖父はおもちゃが大好きだった。
祖父の部屋には他のどこでも見たことない、
真っ黒なオバケの頭が紐で繋がったけん玉や、
黄色い飛行機のプラモデル、ボトルシップ、グラビア雑誌、星新一の小説などがあった。

幼稚園のお迎えに来てくれた祖父は必ずサークルKサンクスに立ち寄り「100円まで好きなの買っていいぞ」と、孫2人のお菓子と赤いマルボロを購入する。

そのあと我が家でウイスキーを飲みながらドラクエをやったり、孫に妖怪の話をしてビビらせたり、塩を舐めとったマックのポテトをハルに与えたりしていた。

せっかく買ってくれた玩具で一緒に遊んだりはしなかった。おそらく購入と開封を何よりも楽しんでいた。


思うに、祖父は昭和を生きたオタクだった。


本当は、おもちゃ屋さんになりたかったらしい。
きょうだいはおらず、甘やかされて育ったと聞いたが、彼なりに地獄を抱えているように見えた。
彼の息子は孤独だったが父を愛していた、らしい。

最期は膵臓がんに罹って還暦を迎える前に死んだ。
血を吐いた祖父と一緒に救急車に乗った日から、たぶん半年もたなかった。
私の目を見て「見ないでくれ」と言っていたのを今も覚えている。
言う通りにしたかは、覚えていない。

祖父はくたばる前もポップだった。
入院先の病室で「ふくろうがいる、そこだよ、触ってご覧」などと言って私の母を困惑させていたらしいが、正直それは一緒に見たかったし、触りたかった。ロマンチストな祖父はせん妄まで素敵だ。

私たち家族が新潟に帰省している時に亡くなったので、かなりバタバタしていた。
私は小学1年生で、8月3日だった。棺にお花を入れることがどうしてもできなかった。初めての葬式だった。


昔から自分の欲しい物が見つからなかった。
というより唯一性みたいなものに固執して、
失った時に立ち直れない子供だった。
自分と大切が昔に流されていく感覚がして新しいものが怖かった。
まいにち日記を書いて、シールを集めて、友だちと遊ぶ、それがあれば満足だった。

クリスマスや誕生日プレゼントを貰わない代わりに「なんでも好きなものを買ってもらえる」権利みたいなものが溜まっていった。
それくらい欲しいものが決められなかった。

数年分、溜まりに溜まった見えないチケットは、ハルが死んだあとペットロスになった母と、線香を仏様のご飯だと信じて毎日バカみたいに焚きまくる私を立ち直らせるため、暗く煙い我が家に仔犬を迎えるための費用に溶けて霧散した。

当時、不満だった。
どうしてハルを忘れ去るようなことを?
喪失の痛みに新しい命を当てがうなんて命に失礼だ。
心が痛いなら絆創膏でも貼っておけばいい。
悲しめば、苦しめば、それで済むのに。
わたしは愛さない。
ハルを愛していたから、新しいイヌは愛さない。

新しいイヌは、父からロシア語で獅子という意味の名前を賜っていた。
イヌに、獅子は、重荷だろう。
ライオン、ネコ科だし。

私といえばハルと新しいイヌ、カイとリク(別記事参照)の比較表を作って眺めていた。それをやっている時の心臓の挙動を今でも思い出せる。

新しいイヌがきてからも、たくさん泣いた。
プレゼントと銘打って命が来る違和感や罪悪感にも泣いた。
この子もいつか、死んじゃうんだから、お別れしなきゃいけないのに、好きになりたくない。


結局もう、めちゃくちゃ愛した。
死ぬまで一緒にいられないなら死にたかった。
結婚してください、ってはじめて思った。
もう誘拐とか、したかった。
今年の春、桜の開花の直前に、余命宣告ぴったりに肉体を捨てて、私の脳の中に残留してくれた。

天国のネタバレみたいな子だった。
人生で最も素敵なプレゼントのひとつは
彼女との体験だったと思う。
最高のプレゼントって言い切らないのは人生に希望があるからで、生きてていいってはじめて思わせてくれたのは彼女だったから。

秋の夜、あやまって彼女の足を踏んでしまって、爪の間から血が出た。泣きながら抱えて走った。
夏の夕方、泣いていたらスリッパをくれた。私が泣くと、笑うまで顔を舐めてくれる。いつも。
冬の朝、雪を投げて遊んだ。揺れ動くものが好きだった。元気な子だった。

すべての季節に彼女がいる。

メリークリスマス。かわいい皆様。

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