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奥歯に空芯菜が挟まったまま伝える妻への愛


右奥歯、奥から2列目の隙間に空芯菜が挟まった。
いつもより強めに歯を磨いても、奇跡的に嫁が持ってきていたデンタルフロスを使っても、なぜか取れない。

口の中を最新のiPhoneで照らし、鏡で確認すると、そこにあるのが見えている。なのに、なぜか取れない。Apple社も、まさか最新のiPhoneが、奥歯を照らす為に使用されているとは、夢にも思ってない事だろう。

凄まじい顔で、空芯菜と向き合っている『鏡の中の僕』と目が合った。もうジャックニコルソンにしか見えない。

『でも奥歯と奥歯の間にピッタリと挟まる空芯菜の方が、ジャックニコルソンか』などフザけた思考が脳裏に浮かんでいる。

無様である。

なぜこうなった。



今思うと、台湾の『香り』が全ての始まりである。

台湾で、数日生活をすると、鼻を捨てたくなる。

街の至る所から、複雑な香りがするのだ。香水、排気ガス、様々な香辛料、五香粉、胡椒、台湾醬など、嗅ぎ慣れない香りがする。特に恐ろしい香りを放っているのが『臭豆腐』である。

『臭豆腐』の香りを知らない人に伝えると、ほぼよだれである。

僕は大抵、口を開けて寝ている。朝起きて絶望するのは、グレーの枕カバーに広がる小さな湖と、そのつんざくような酸っぱい香りである。

台湾の夜市で『今宵は何を食そうかな』と気を抜いていると、不意に『朝方の枕』と同じ香りがやってくる。その所為で、一瞬全ての食欲から解放される事も、しばしばある。

それらが入り乱れ、街の至る所から、僕の鼻にアプローチを掛けてくるのである。


まぁでも実際、これらは問題はないのだ。
香りの震源地から、数kmも離れれば、香りはなくなるからである。

問題は、別の匂いだ。
問題は『八角はっかく』なのである。

八角とは、魯肉飯ルーローハン胡椒餅こしょうもちに使用される、甘い香りのスパイスの事である。

この八角は、日本人の4人に1人は苦手とされているらしい。
最初に言っておく。僕は八角が好きである。僕は3/4側の人間である。

肉のや魚の臭さを『甘さで打ち消す』為に使用するらしいのだが、この何とも雑な発想すら、好きで好きで仕方がない。

しかし、それほど好きな八角なのだが、数日嗅ぎ続けると、なぜか鼻に蓄積する。蓄積が進むと、様々な香りを『邪悪な香り』に変えてしまうの代物なのである(個人の意見が、ふんだんに盛り込まれた感想です)。

そして、台湾に来て2日目、八角が、すでに限界値まで溜まっている。



僕は猫空まおこんに来ている。
台北市内が見下ろせる、山である。

八角が溜まった鼻を携帯した状態で、台北の夜市に行くと、八角と臭豆腐の地獄の舞踏会が始まり、マジで鼻がもげるので『一度綺麗な空気を吸い込み、真っ新な鼻で夜市を楽しみたい』と言う欲望から、山、すなわち猫空に来た、と言う次第である。

しかし、ここで予想打にしていなかった事実が発覚した。(八角だけに発覚した(黙れ))

八角の蓄積が進むと、どうやら『お茶』の匂いすらキツくなるようなのだ。

この猫空は、茶畑が広がっており『お茶』が有名である。その茶葉を使用した『茶葉料理』なるものが、よく食べられている。なので街の至るところから『茶』が香ってくるのだ。


名誉の為に言っておくが、僕は『茶』が大好きである。喫茶店に行っても珈琲が飲めないので、大体『茶』である。珈琲狂いが蔓延はびこる現代で、け者にされているが、それでも『茶』を愛し続ける覚悟くらい出来ている。

さらに、僕は無類の『臭飯食くさめしぐい人間』である。

日本で一番臭いとされるブルーチーズのケーキを、誕生日に好んで食べたり、大量の納豆を食パンと共にトーストし、共に寮で暮らす人間から村八分むらはちぶに合ったり、くさやでも躊躇なく行けたりする。

それに加えて、旅先で『謎の料理が食べたい』と言う病気もわずらっている。

それでも、『茶』の匂いすら受け付けなくなるのが『八角の呪い』なのである。


さて、困った。飯屋に入ったは良いものの、全メニューに茶葉が入っている。店内も臭い。

何か食べれるものはないのかと、メニューの写真をめくってみる。すると、そこには、救世主『空芯菜』様の姿があられた。

これは間違いない。『空芯菜のニンニク炒め』だ。

奇跡的な美味そうさ(?)である。こんなにもシンプルで、かつ味の想像がつく料理は、他に無い。『料理は足し算』と言われる昨今、これは時代に真っ向から喧嘩を売った『引き算の料理』である。まさに、古代から現代へ、脈々みゃくみゃくと受け継がれてきた、究極のレシピなのだ。空芯菜のニンニク炒め、い奴である。

到着した空芯菜は、真っ白の皿に盛り付けられ、ニンニクと胡麻油で照らされている。その姿は、もはや花嫁である。

ああ、食べる前から美味しい。絶対あの味である。

そして、歯に挟まった、と言う次第である。



何が恐ろしいかって、この後のスケジュールの意味が、全部変わってしまう事である。

明日は、嫁の誕生日である。

今回の台湾旅は、夫婦共々、誕生日が11月の為、開催された旅なのだ。それもあって、誕生日前夜に、キザに夜景の見える猫空に来たのに、奥歯に空芯菜である。

これで、
空芯菜が挟まった状態で、誕生日を祝い、
空芯菜が挟まったまま、猫空の空から100万ドルの夜景を見下ろし、
そして愛を語り合い、
空芯菜が挟まったまま、嫁は32歳を迎えてしまう、
と言う事が決定したのだ。

全部台無しである。

この先、人生80年。『32歳の誕生日は、奥歯に空芯菜が挟まっていた』と言われ続ける事になる。

もうやってられない。



クソ、なぜ奥歯なのだ。
前歯ならケアも簡単だったはずだ。

そもそも、奥から2列めにデンタルフロスなど入る訳がないのだ。取っ手がついているタイプのデンタルフロスならまだしも、持ってきているのは、糸を伸ばして使うタイプのやつだ。

何度も奥歯に両指を突っ込んで、えづいた。そして、歯の隙間に、急に『グッ』と入り、歯茎が血だらけになった。

やったのだが、全く取れない。
どうしたら良いのだ。



結局、僕は空芯菜が挟まったまま日本に帰国した。
空芯菜が挟まってから、約48時間が経過したところである。

僕は、人知れず空芯菜の密輸に成功した。

空港には麻薬犬がいる。
こちらの匂いを嗅いでいる。

『32歳の誕生日は、奥歯に空芯菜が挟まっていた』

あの言葉がよぎる。

いっその事、密輸犯として取り締まってもらえないだろうか。



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