#自分
駒込ピポットを盗んだ
中学1年の冬だったか。僕が犯行を行ったのは。
あれは、理科の実験で「紫キャベツの煮汁」を作った日。理科室の窓からは、校庭に積もった雪が見える。朝礼台やサッカーゴールが、埋もれていた。昨夜の大雪の所為か。敷き詰められた雪に、太陽光が反射し、教室を熱くした。矛盾した気温に「身勝手な」と思った。
鍋の中でキャベツが煮込まれており、紫色の汁が出来上がっている。ビーカーに移した紫の液体。僕たちは、駒込ピ
比較が始まるから、本当は誰かのエッセイなんて読みたくない
誰かと自分を『比較』しては、テンションが下がり、下を向いて歩く日々を送っている。
ことエッセイで言えば、人気の記事を読み『どうやったら俺のも読んでもらえるのか?』『このテーマで俺ならどう書く?』『俺にこの描写、このまとめ方ができるのか?』などと、考えてしまう。
そして、読み終えた直後、自分の可能性に賭け、いざ筆をとると、あまりに無惨な表現に、吐き気を催す。
何も出ない。
気を抜いていると、
服を脱いで洗濯をしたから
SNSに股間を晒そうとした事がある。
違う。趣味で、ではない。
隠す事より、全て見てもらう方が、楽だと思ったからだ。僕があまりにも真剣な顔付きで相談するものだから、嫁は『流石にキモい』と言っていた。
エッセイを書いていると『自分をどこまで曝け出せるか』という ”ハイ” の状態になる事がある。奥底にいる自分を曝け出すと、生活をしていく上で『不必要になった自分』が、生き帰るような気がしてくる。それ