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変態するインタビュー〜読書するわたしについて〜

このインタビューは、野生の批評家である脱輪さんをインタビュアーに、わたし、えなりをインタビュイーにして行った“書き言葉のインタビュー”です。

まず脱輪さんが質問を書き、わたしが返答するという流れを3ターン繰り返して作成しました。また、後述の通り質問・回答ともに互いが自由に編集できるとのルールのもと書いたものです。このnoteでは、脱輪さんから最初にいただいていた質問を見出しとし、2回目以降に追記したやり取りはその見出しの下に、どちらの追記かわかるような形で記載しました。

わたしたちにとってもはじめての試みでしたが、やってみると対話でのインタビューはもちろん、通常の書面インタビューとも異なる新しい感覚を得られるとても楽しい営みでした。

自由にどんどん書き足せるという性質上、恐ろしく長くなりましたが(笑)、興味のあるところだけでも、ぜひこの営みの結果を読んでいただけるとうれしいです!

☆はじめに/脱輪

本を読む時のわたしになにが起こっているのかに興味があります。

それぞれがベストな状態で本を読むことは、なんらかの方法や実践的な工夫=“メソッド”を身につけることに加え、自分にとって最も心地のいい「本を読む時のわたし」の状態を作り出すための心身の調律法=“コンディショニング”をよく心得ていて、初めて可能になるように思われるからです。

ところが、一般的な読書術の本では前者について扱われることが多く、後者の視点の重要性が見落とされがちになってしまっているような気がします。
わたしはこの点を心ひそかにずっと不満に感じてきました。

そこで今回のインタビューでは、「読書術=メソッド+コンディショニング」という仮定のもとに、特に後者の方に焦点を当てた質問項目を作成してみました。

インタビューはメッセージのやり取りを介して書面の形式で行われますが、その際、わたしたちはある実験的な試みにチャレンジしてみようと思います。

「質問者・回答者ともに、質問・回答いずれもの項目について、自由に内容の追加・修正を行ってよい(ただし、項目ごと削除はNG)」
「数回ラリーを重ね、双方がOKを出した時点でインタビュー終了とする」
という特別ルールを設けてみたのです。

これにより、質問者・回答者ともに、互いが一問一答の不自由な形式から逃れ、話し言葉のようになめらかな流れのなかでより発展的な“会話”を行うことが可能になるはずです。

同時に、その時その場所に限定された通常のインタビューにおいては生まれ得ない、なにかしらおもしろい未知の可能性が飛び出してくることを期待してもいます。

年間130冊以上、ジャンル不問で多種多様な本を読破するフリーライター“読書モンスター”えなりさんの読書術=メソッド+コンディショニングの秘密が明かされることは、きっとわたしたちに豊かな気付きをもたらしてくれるはずです。

願わくば、メッセージをやり取りするなかで自由に変態(トランスフォーム)していくこのインタビューを通して、「本を読む時のわたしになにが起こっているのか?」という神秘のメカニズムに少しでも近づけますように·····

ってなわけで、ここからはいつものように気軽な調子で、大切な友人に質問をぶつけていこうと思います。
えなりさーん!

☆インタビュー

「はじめに」を読んでどう思った?

えなり:本の序文っぽいし、すごい脱輪さんみのある文章だなって(当たり前)

そんなお巫山戯けはさておき、書面でやりとりしてかつラリーで変化していくインタビュー、チャレンジングで楽しすぎるし、圧倒的に書き言葉のコミュニケーションが好きで得意な自分にとってもすごくいいなと思いました。

書面でインタビューすることは普通にあると思うんですけど、ラリーできるってところが良くて、インタビュイーもインタビュアーも何回も何回も心置きなく熟考して練りまくれるから、会話形式とはまた違ったものができそうだなって楽しみにしてます。良くも悪くも思想が凝縮されそう。

読書術=メソッド+コンディショニングという考え方について

えなり:まずこの話を2月頃に脱輪さんから聞いた時、コンディショニングについて考えたことなんてなかったので、ちょっと驚きました。言われると確かにそうなのに、読むのが当たり前すぎて、メソッドばかりに目がいきすぎて、わたし自身すっかり抜け落ちていた視点だなあと。

ところで先日、『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』という本が出版されました。

わたしも早速読んでみたのですが、すごくいい本であったとともに、観点としてはわりとこのインタビューでいうコンディショニングに近しい話をしているように感じました。ハウツー本ではないので、コンディションを整えるためのテクニックはあまり書かれていないのですが、「コンディションが整わない」という状況に焦点が当たっていて、それがなぜかを紐解いている本だなと。そして、他にはコンディションに焦点は当てた本はほぼないように思います。わたしが知らないだけかもだけど。

でもこの本が、売り切れの本屋さんが出て、大重版が決まってと爆売れしているのを見ていると、意外とコンディショニングの話って需要あるのでは?と感じました。

なので、それこそ働きながらずっと読書してきたわたしが言語化できる限りにコンディショニングについてお伝えできればと思います。

脱輪:なるほど。あの本、かなり話題になってますもんね!もしかしたらコンディショニング、今キテるのかも·····🤔

実はこれ、たまたまなんですけど『本を読むときに何が起きているのか ことばとビジュアルの間、目と頭の間』という僕の最初の問いかけそのものズバリなタイトルの本がありまして(笑)

ただ、実際に読んでみると内容はもう少し抽象的・哲学的というか、実践的な方向では全然なかったので、われわれのやっていることにも意義が認められそうですε-(´∀`;)ホッ

えなり:ですよね!周りの読書好きな人たちもかなりの人が読んでいました。時代に乗れたかもしれません……✌🏻

そしてその本、本屋さんで見たことあります。面白そうだなと思いつつ、すでに大量にカゴに入れていたのでやめた気が(笑)意義がありそうでよかった。やっていきましょう〜〜

あなたが実践しているメソッドは?

えなり:まず本は紙で買うこと(笑)

電子書籍は紙の本に比べて理解しにくいという研究結果が出ているんですが、これは本当にそうなんですよ。ほんっっとに紙に比べて頭に入ってこない。

リンクの記事にも書かれているように小説、特に娯楽小説とかは電子書籍で読めるけど、小説でもドストエフスキーとかはわたしには多分しんどいですね。専門書や難解めの古典なんてものの見事に挫折する。

お前が馬鹿なだけだろって話だし、確かに元の理解力が高ければ電子書籍の影響で理解力が下がった状態でもプロ倫とか読めるかもしれないけど、わたしにはむりでした。絶対紙が必要。

次に、たくさん本を買うこと。

まあわたしは欲しい本を買っていたら結果的に増えているだけでたくさん買おうと思っているわけではないのですが、ともかく、家に積読がたくさんあれば、ひとつの本を読み終わっても「何も読むものがない」という状態にならないので、次から次に本を読むことになりやすく、結果的にたくさん本が読めていると思います。あと良くも悪くも、本を読めという圧力になります。

圧力といえば、ここ半年ほど本について語るポッドキャストをしており、そこで紹介する本を読まなくてはというやつもあります。なので、本について発信する機会をつくる、しかも期限付きでというのはいいかもしれないですね。ポッドキャストではなくとも、読書会に参加するとか友人と特定の本について話す予定を立てるとかはいいと思います。

あと実践していることといえば、Notionでのメモですね。
これは読書をするための、というよりした後のためのケア的なものなのですが、気になった箇所を音声入力で文章まるっとメモしているので、ササっと読んだ本について復習したい時とか、出先で「たしかこれあの本に載ってたな」ってなった時に便利。

あとnoteとかで引用したい時にもただコピペすればいいし。ついでに言うとページ数も記載しているので、原典にあたって調べ物をしたい時にもすごく楽。あとジャンルも登録してるから、友達に「こんな感じのおすすめ本何かない?」って聞かれた時にも掘り返しやすい、などなどメリットはたくさんあります。

Notionと読書の話はちょうど2年くらい前にnoteにも詳しく書いてるのでよかったら。漫画以外の書籍は目的に関わりなくほぼすべて紙で買うようになったことのほかは、ここから大きく変わっていないと思います。

脱輪:すごい!たしかに、インプットとアウトプット、両方の機会を増やしていくのは大事かもしれませんねー。そうしていくと、なぜかその二つが連動してくる。読むことと書くこと、聞くことと話すこととの間に自然な交流が生まれはじめるというか。

しかし、えなさんほど連動してるのはすごいです(。・о・。)ワオ(笑)

えなり:そうですね、読んで話したり書いたりして、それによってさらに本を深く理解できたり新しいほんにに出会えたりみたいな循環が回っていくので楽しいです。アウトプットしようとすると理解度も上がりますしね。書いていると特に、ふわっとしていた定義とか本の意味が自分のなかでクッキリしてくるとともに、凝固していく感じがあります。

とはいえ読むが圧倒的なウェイトを占めてるので、きちんと連動できているのかわかりませんが、そうだとしたら発信する機会をくれている方々のおかげです🙏🏻

メソッドの実践にあたって活用しているメディアは?(スマホ、ICレコーダー、机、椅子、栞、書見台など)

えなり:Notionでの入力に使うのでスマホはいつ何時も読書とセットですね。

特に読書の定位置とかはなくて、いつでもどこでも隙があれば本を開くって感じなので、あとは栞を使ってるくらいな気がします。ブックカバーは取り外しがめんどくさいので使ってません。

集中して本が読める時ってどんな時?

えなり:いろいろあれど、結局はその本が自分にとって面白いかどうかにかかっている気がするのですが、それでは答えになりませんね。

気分を害する音がない時、でしょうか。

というか本は基本的に無音で他人のいない環境で読みたいし、そうじゃないとなかなか集中できないタイプなので、その環境は必要かもしれません。家族ならまあ許せるけど。なので読書カフェとかも、ブースが区切られてて半個室ぽいところは好きだけど、オープンスペースなところあんまり得意じゃないです。

脱輪:たしかに、音=聴取環境の問題は重要ですね。昔なにかで読んだんですが、騒音はもちろんのこと、完全な無音の中に置かれても人は集中を妨げられるそうで、一番いいのはかすかに生活音が聞こえていたり低く音楽が流れていたり、意味性が過剰でない音が適度に耳を覆っている状態なんだそうな。

なんとなくわかる気しません?

えなり:意味性が過剰でない音、すごくわかります……

だからわたし音楽も歌詞がある日本語と英語の曲は昔からあんまりで、ここ最近はそこにフランス語とドイツ語が追加されました(笑)集中できてると平気な時もあるんですが、一度そちらに意識がいくと少しでも知ってる言語の場合は歌詞を聴こうとして戻って来れなくなる。聴くとしてももっぱらクラシックとか歌詞のない音楽専門です。

脱輪:ですね!
それこそJ-POPなど、「歌詞が聞き取れるから意味が入ってきちゃう」系の音楽は読書には不向きかと。

それでいくと、一度、ネットでおすすめされていた雨音やニューヨークのカフェの音を再現した読書用アプリを試してみたことがあるんですが、僕にはヒットしませんでした。どうしても「おのれがスマホで流してる」わざとらしさが目立ってしまうんですよね·····

というわけで、読書に適した音楽を長年探し求めた結果辿り着いたのが、英テクノの大御所Underworld。こいつをイヤホンで流しておくといい導入になる。そこから本の中身にチューニングが合ってきた段階で、イヤホンを外す。

ひょっとするとえなさんには不要かもしれませんが、ぜひ一度お試しあれ(笑)

えなり:脱輪さんがせっかく勧めてくれたので試してみます〜〜!

(数時間後)試してきました!これ先ほど言った英語の歌に当てはまっているけど、基本的に歌詞がリフレインでそれこそ意味性がそこまでないような感じだからか、集中しやすかったです。これは確かによさそう。いつもミュージカルの曲とか聴くからダメなんですね……(笑)。

ちなみにほんとにリフレインだよね?って調べてみたらこれ9分の曲なんですね。上の動画だと読書にちょうどいい部分を中心に抜き出されてそうでいいですね。

反対に、集中できない時って?

えなり:仕事とかタスクに追われてる時ですね!!!!

これがまさにわたしが労働を憎んでる理由なんですけど、時間のゆとりができても、明日のタスク重いなとか予定いっぱいだなって時とか、全然集中できない。明日起きたらあれやってこれやって、とかずっと考えてしまって集中できない。それで結局今しなくてもいいのに仕事してその日の本読む時間減ったりとか。

労働なんざ罰だしただのスピンオフのくせに本編の邪魔してくんなゴミカスって思ってます。

というか今書いていて思いましたが、労働が悪いというか、「明日やるべきことがたくさんある」という状態において、やりたいことに集中できないような心理を人間が持ってることが悪い。いやこんなこと思ってるのわたしだけかもですけど。わたしだけでも人類全体でもいいから、神に設計し直してほしい。

あとはさっきと反対に静かじゃない環境ですね。早く脳にチップ埋め込んで、任意でいらない音シャットアウトできるようになればいいのに。

脱輪:爆笑しました😂(笑)えなさんらしさが溢れてますね!👏👏👏

「読書と思索から成る精神生活がわれわれの人生の本編だとすれば、労働は単なるスピンオフ」のくせになんかデカいツラしてて、隙あらば本編に食い込もうとしてくるのヤンチャ過ぎるし、われわれ読書人(どくしょんちゅ)からすればまるで犯してもない罪に対して「罰を受けてる」みたいな気分になってしまう、という点はまったく同意です。

「こっちはただ静かに本を読んでたいだけなのに、なんでそれしきのことが許されないんだ!」と(笑)

しゃかいはきびしーですね·····🥺Ʊ゚ʑ̸̀ ƕ

こちらについてはまた、別件の音声インタビューの方で詳しくお伺いしたいです。

えなり:ありがとうございます🫰🏻
デカいツラ!ほんとそうですよ(笑)もう少し慎ましく生きられないんですかね、労働くんは(ちゃんかも。でもフランス語ではくんだからくんでいいや)。

あまりに忌々しすぎて一生労働くんの悪口言えそうなのでぜひ聞いてください🥺

今までで一番集中できた特別な読書の思い出ってある?

えなり:これなんでしょうね。集中というか没頭したのは綾辻行人さんの『十角館の殺人』かなあと思ってます。

2016年くらいに読んで、本格ミステリ一発目がこれだったのですが、人がガンガン死んでいって、でも全然犯人の見当つかなくて面白くて、めちゃくちゃ夢中になって読んだ気がします。この頃、これを皮切りにすごいたくさん叙述トリックとかどんでん返し系のミステリを読み漁ってて楽しかったですね。一番夢中で読んでた気がする。

コンディショニングの調整にあたってしていることは?(食べ物、飲み物、アルコール、睡眠、おまじない、気持ちの整え方など)

えなり:何よりも大事なのが、仕事のタスクを捌く。仕事に追われていると本が読めないから、本を読むために仕事をするって感じですね。

でもこれってわたしは考えるべきこととか自分を追い詰めることが基本的に仕事しかないからなので、恋人のこととか明日の夕飯とか、仕事以外のものが当てはまる人もいると思います。

とにかくそういう脳のリソースを食ってるものをとにかく解決して潰していく。たとえばご飯の献立なら、わたしならもう毎回AIに考えてもらうと思います。

そうやってできるだけ考えることや脳を占拠してることを減らして脳のリソースを確保して、その空いたリソースで読書するって感じですかね。

とか言いつつ、基本的に週5×8時間想定で組んでて毎月固定でさせてもらってる仕事もわりとあるから、大型連休前とか平日遊びたい時とかはバタバタして読書どころじゃなくなったりするんですけど。それがさっき書いた集中できない時って感じです。

よく考えたら大型連休に関しては、「10連休してたくさん本を読むために、その前に仕事を詰め込んで余裕をなくして2〜3日普段より本が読めなくなる」という本末転倒ぽい状態になってますね。でもバカンスは大事なので、これからもGWや年末年始は10日くらい休みたいです。

ほかには8時間くらい睡眠をとることと、その時にちゃんと自分の意思で読もうと決めた本を読む(人に勧められたからとかって理由だけで読まない)ことくらいしかしてないように思います。

なにかひとつテーマを決めて、おすすめの本を3冊教えて!

えなり:

<テーマ:フランス>

①水林章日本語に生まれること、フランス語を生きること: 来たるべき市民の社会とその言語をめぐって(春秋社)

著者の水林さんは日本語ネイティブで日本に暮らしながらフランス語で執筆活動をされており、フランスで賞も受賞されている方で、この本はフランス語の世界にどっぷり浸かった水林さんから見た日本、フランスについて書かれていて非常に興味深かったです。

個人的に彼の問題意識とか思想にも共感するところがあり、なおさら面白く読みました。言語が思考を規定する的な話とか、社会という有機体に関心のある人におすすめです。

②渡邉雅子『「論理的思考」の社会的構築』(岩波書店)

「この文章は論理的だ」と判断する基準は全世界共通の普遍的なものかと思いきや、それは文化によって規定されている。では、その論理的だという感覚はどのように作られるのかについてフランスを題材に論じている本。

過程も面白いし、フランスの論述形式「ディセルタシオン」、国語教育や歴史教育について知ることができて、フランス理解が進む一冊です。わたしも渡仏する前に再読したい。

ちなみに、論理的思考のタイプにはどのようなものがあって、それがどのように作られるかを論じた『「論理的思考」の文化的基盤』という続編もあり、こちらではフランス、アメリカ、イラン、日本が取り上げられています。フランス一国や構築の詳細な過程というより色々なタイプを知りたい人はこちらもいいかも。

③ローラン・ビネ『言語の七番目の機能』(東京創元社)

フランスがテーマなんだから、フランス人の書いたものも紹介しなくては!ということで選んだのがこちら。

ローラン・ビネはめちゃくちゃ面白い。彼の作品はいつもフィクションとノンフィクションが融合しているというか、その間の領域にあって、フィクションとノンフィクションの境目ってなんだっけみたいなことをいつも考えてしまうんですよね。しかも考えられるだけじゃなくて面白いし。

邦訳されている作品は3冊あってどれも面白いけど、フランス現代思想の登場人物が山ほど出てきて、記号学の勉強にもなってとても良かったからこれにしました。作中で出てくる論述バトル、わたしも観戦したい。

脱輪:どれもおもしろそー!
最後のローラン・ビネはえなさんに薦められて僕もハマって、つい先日『言語の七番目の機能』を読み終えたところです。あのバトル、出たいですねー。負けたらアレをアレされちゃうのがやだけど(笑)

えなり:ローラン・ビネ本当にいいですよね〜〜すばらしい。『言語の七番目の機能』は絶対に脱輪さん好きだろうなと思ったのでよかったです。

出たいのもとてもわかる。ただアレをアレされるのが怖くて出る勇気がないですね(笑)脱輪さんはめちゃくちゃ強そうでぜひ見たいので、出る時は教えてください。

さて、こっからはちょっとディープなとこいっちゃおうかなー。Are you ready?

えなり:Oui, bien sûr !!

本を読んでいる時、頭の中で声が聞こえる?
ってのも、本を読んでいる時、文章を頭の中で音読して自分に読み聞かせるような感じで内容を理解してる人と、読み聞かせを行わずそのままの形で(この“そのまま”がなんなのか曲者·····)理解してる人の二種類存在してる気がするからなんだけど。
もしかしたらいわゆる速読ができる人は後者で、読み上げるプロセスが省かれてるから早く読めるのかなー、とか。ちなみに僕はバリバリ前者。どう思う?

えなり:脱輪さん前者なのちょっと意外!わたしは基本的に脳でも黙読ですね。声に出そうと思えば出せるけど、わりとそのまま理解してるのかなと。そのままというか、本に書かれた文字を記号として処理している感覚です。

ちなみに読むのはそれなりに早いです。理解しやすい小説とかだと頑張れば1時間100ページくらい。普通に読んだら60〜80くらいですかね。専門書は少ないと10ページとかだったりするけど。

脱輪:やっぱ“そのまま理解してる”タイプの人もいるんですね!「本に書かれた文字を記号として処理」か·····ガチ脳内音読勢としては、わかるようなわからないような(笑)

やはり読むのが早い人はそのまま理解勢である可能性が高そうですねー。
もっといっぱいデータを集めたいところᝰ✍🏻

えなり:Googleフォームとか使ってアンケートしたいですね。近々やりましょう〜〜✌🏻

脱輪:おー、ぜひぜひ!👍

本を読んでいる時、頭の中で具体的な映像を思い浮かべる?
ってのも、例えば小説を読んでて主人公が住んでる街についての描写が出てきた時、僕はそれを頭の中で映像化しようとするんだけど、正確にトレースして思い描くことができなくて、いつもむず痒い気持ちにさせられるから。
これも上の“脳内音読”と同じ文字情報の変換による方法のひとつだと思うんだけど(前者は文字→音声、後者は文字→映像)、さっき「“そのまま”が曲者」って書いたのは、意外と僕らは「活字をそのままの形で理解する」ってことをやってないんじゃないか?そのままの形では理解できず変換の過程を経るためにある種の不全感(自分がその本を味わい切れていないような·····)が残るんじゃないか?って疑問があるからで、もしそのことが読書の質と量、記憶の定着度や理解度の深さと関係しているとすれば·····って感じなんだけど、どう思う?

えなり:これビジュアルシンカーと言語思考者の話みたいですね!
参考:https://youtu.be/5NJ_tKtvjCs?si=rrW5ZUhFunBrG1O5

すごく面白かったしこの質問とも直接的じゃなくとも関連してそうだから脱輪さんにぜひ聴いてみてほしいです。

脱輪:おっ、ありがとうございます!聴いてみま〜す(いったん離席)

えなり:で、このテーマもすごい面白い(語彙が貧弱)。わたしはさっき言ったように基本文字を記号として処理していて、あまり映像を浮かべることはないんですよね。

小説とかだと登場人物の顔の雰囲気とかは思い浮かべるし、ほかの本でも場面を写真的な感じ(絵コンテみたいな感じかも)で思い浮かべることはありますが、それが動くことはないし、常に絵コンテがあるわけではなく、場面が切り替わったり変化があれば絵コンテがでてくる感じなので、基本的には文字で処理してる……気がする。出てくるビジュアルのイメージとしては紙芝居が近いのかな。

でも本を味わいきれていない不全感の話はわかりますね。たくさん本読んできたけど、100理解できたって思った本なんてひとつもない気がする。わたしはそれは他者を理解できないみたいな話が根にあるのかなとか漠然と思っていたけど、認知経路的な側面で見るのも面白そうですね。

理解度でいうと、変換することでこぼれ落ちるものがあるから理解度が下がるって可能性はありますが、そもそも一定の理解的な何かを脳がしていないと変換すらできないはずなので、変換は理解度に関係ないんじゃないでしょうか。

そもそもの理解力または何らかの脳の力の差で出てくる映像や絵に違いが生じることはありそうですが、それはあくまで結果であって原因ではない、ような気がします。

あと今思い出したのですが、人間が文字を読むスキルを獲得したことで右脳と左脳をつなぐ脳梁が太くなったり、顔認識能力が下がったという話が以前読んだ本に書いてありました。

顔認識能力が下がったのは、これまで顔認識を行っていたところで言語処理を行うようになり悪影響が及んだからだろうと書かれていたのですが、それがイメージ変換と関連していそうな気がしました。

脱輪:聴いてきました!(ガタッ)

ゆる言語学ラジオ、実は初めて聴いた(見た)んですが、めちゃくちゃおもしろいですね!腑に落ちるところがたくさんありました。

この動画の中で語られているビジュアルシンカー(視覚思考者)/言語思考者の二項区分に無理やり当てはめて言うなら、僕はゴリゴリの言語思考者で間違いないと思います。というのは、動画の堀元さんと同じように僕も「言語化で苦労した経験がな」く、「三回道を曲がったら即迷子になってしまうぐらい空間把握能力が低い」からです(笑)

ただ、なんか両者のいいとこ取りのかっこつけみたいで恐縮なのですが、自分がものごとを考える時になにが起こってるかなーってのを素直にトレースしてみると、やはり絵というかビジュアルイメージのようなものを思考単位として使ってるように思うんですね。

えなさんの「紙芝居」「絵コンテ」という発想は秀逸で、共感者が多そう!脳科学はサッパリなのですが、人間の顔認識能力が下がったせいで言語処理能力が発達してきたという仮説もおもしろいですね。

えなり:よかった!面白がってもらえると思いました。わたしも「脱輪さんは言語だろうな」と思ってたんですが、先ほどの映像化の話が気になってあれ?と思っていたらまさかのいいとこ取り(笑)。

逆インタビューになっちゃうけど、ビジュアルを思考単位としつつ言語思考ってどういうことですか?ビジュアルが浮かぶと同時に言語での説明もあるみたいなイメージでしょうか?とても気になる。

脱輪:う〜ん。上手く説明できないんですけど、ベースは言語思考なんだけども、そもそも言語=言葉自体が、僕には冷たく無機質なものではなく、ビジュアルを含む体感的であたたかなものとして認識されている、という感じでしょうか·····どうしてもオカルト的になっちゃうなあ(笑)

えなり:あたたかなもの……🤔それこそわたしは記号的≒無機質に処理しているので、対極に位置していそうですね。だから全然想像できないのかもしれません。

本を読んでいる時、イメージが立ち上がる?
ってのも、僕は文章を読んでいる時(特に自分の思う“いい文章”を読んでいる時)、上に挙げた具体的な映像とはまた違った曖昧なイメージのようなものが頭の中に(身体の中に?)立ち昇ってくるから。
それは五官あるいは第六感すべてに関わる横断的なもので、音や色、匂いだったり、触感、肌触りのようなものだったり、それらが混じりあったなんとも言えない感覚だったりする。聞いたことのない音楽がはっきり聞こえてくることもある。
これはたぶん「光が色として見える」「風景が音楽として聞こえる」といったいわゆる“共感覚”の疑似体験みたいなもので、幸福な読書体験においてしばしば起きてることなんじゃないかと思うんだけど、どう思う?

えなり:曖昧なイメージ、すごく申し訳ないけどまったくないです。

なんか全体を通して、脱輪さんの方が感覚が鋭敏というか、外界の知覚方法が多様である気がしますね。この差はどこから生まれるんだろう。脳の動きとしては、それこそさっきの映像が浮かぶとかと関係しているのでしょうか。

脱輪:たぶん、そもそも僕にとって言葉は言葉としてのみ感じられているわけではないというか、五官すべての感覚(ということはもちろん、視覚を含む)でたしかにその実在を味わえる非常に肉感的でセクシーなものだからなんだと思います。

まさに共感覚的・オカルト的なものとして言葉は在り、これはわれわれのテーマである「言葉を追いかけつつ文章を読んでいる時、わたしの中でなにが起こっているのか?」という謎と深く関わる問題なんじゃないかと。

僕が普段映画批評なるものを書いており、日頃から映像を言葉に移し替える作業に慣れ親しんでいることの原因とも結果とも取れそうな話ですが。

えなり:えええどういうこと〜〜〜??とリアルに感じました。
逆にわたしは言葉を五感のうちどの感覚で捉えているんだ?と不思議になってきました。でもやっぱり本の場合は脳内イメージを含めた視覚と時々脳内聴覚ですかね……

ちなみに脱輪さんのそれは昔からですか?あと、言語の実在を嗅覚や味覚、触覚で味わうということについて詳しく聞きたいです。わたしの言語知覚はおそらく視覚と聴覚のみなので、未知すぎて気になる。

脱輪:そうですね。昔から無意識的にそうだったのが、大人になるにつれ徐々に意識化されていくことでその傾向に拍車がかかり、ついに言語化できるまでに前景化した、というのが近いかも🙄

でもこれって、単に意識の領域にまで浮上しているかどうかの違いもある気がしていて、おそらくはみなさん、多かれ少なかれ、無意識的には五官で言葉に“触れている”感覚があるんじゃないでしょうか·····

えなり:なるほど。意識することでよりその傾向が強くなることは多々あるのでそれはわかる気がします。

最後のはゴリゴリ言語思考者の脱輪さんぽい解釈だなと思いました。意識できていない知覚、ということですね。面白い。わたしも改めて、本を読んでいる時の自分を観察してみようと思います。何か発見があれば共有させてください!

本屋さんでお目当ての本が光って見えることある?
ってのは、本好きの間でまことしやかに囁かれてる都市伝説みたいなもので、いわく、「とびきりの本は探し当てるんじゃない。向こうからやって来るんだ!」と(笑)
でもこれ、ほんとの話で、僕にも書棚に並んだ本の中で一冊だけがピカー!って光り輝いて見えることがある。もっと調子のいい時には、なんというかその、いい匂いがしてくる。なんだかとてもいい匂いがするなあ·····と思ってふらふら寄っていったら、そこに極上の本が待ち受けてるってわけ。
もはや完全にオカルト的なゾーンに突入してきちゃったけど、どう思う?

えなり:これも全然ないから逆にうらやましい。光もそうだけど、匂いってどういうことですか!?(笑)「この世に不思議なことなど何もないのだよ」という京極堂こと中禅寺さんに解明してもらいたくなりました。

普段なら気に留めなさそうな本に不思議と目が行く、目につく?ことはあるけど、光とか匂いとかエフェクトはゼロです……

脱輪:匂いはですねえ、ほんとにその、かぐわし〜い匂いがしてくるわけですよ(笑)他のなににも似てないんだけど、いつもきまって一緒の匂い。

逆に、光って見える本の光り方は何パターンかあって、けっこう違う気がしますね。その一点にだけスポットライトが当たって白抜きになってる場合もあれば、もうほんとにビカーッ!💡☆。.:*・゜とか、✨きらきらきらきら·····✨みたいな、黄色や金色の光の時もある。

言われてみればたしかに「エフェクト」ですねえ(笑)

えなり:なんだそれすごく面白い……既存の匂いじゃないってところがまた何が起きてるのか気になりますね。光はパターンによって、この光の時はこんな感じの本が見つかるとかはあるんですか?それともランダム?

脱輪:僕もそれ気になってるんです!(笑)

光り方はだいたい3パターンぐらいなんですが、なにかしらの規則性がありそうな気はするんです。ただ、光って見える時はその体験自体に目がくらんでるというか、とんでもねえ激ヤバ本に巡り会えた幸福で脳が痺れていて、なにも考えられなくなっちゃってるんですよね·····(笑)

またいつかの機会に冷静に規則性を見極めたいところですが、そういえば最近アレ、起きてないなあ·····。自分は今30代なんですけど、20代の頃にはしょっちゅう起きてたんですが。なんだか唐突にさみしくなってきたぞ😢

えなり:本当にテンション上がると思考停止しますよね(笑)脱輪さんはもうめちゃくちゃ膨大な蔵書を持ってるし脳が痺れてて覚えていないものもあるかもしれませんが、その光とともに買った本を洗い出してみて、分類していくと規則性はもしかしから見つかるかもとは思ったんですがどうなんでしょう🤔そしてまた本が光ること祈っています……光ったら教えてください!

ふう。クールダウン·····
最後に、最近ハマっている本について教えて!

えなり:シオランの『生誕の災厄』ですね!!言わずと知れたネガティブキング。暗すぎてほんといい。毎日寝る前に数ページしか読まないから進みは遅いけど、逆にわりと長い期間シオランと向き合ってます。飽き性のわたしにしては珍しい。お気に入りの言葉はこちらです。

みずから欲するときに自殺できると確信できなくなったとき、はじめて人は未来を恐怖するに至る。(p105)

めちゃくちゃわかる。

あと最近いろんな本を読んで、ずっと資本主義って疲れるわ、いやだよねって考えてました。でもいやだよねだけじゃ、ただの愚痴で何の生産性もないから近々代替案を学んだり、考えたりするべく、マルクスを勉強したいです。(ずっとマルクスやりたいって言ってる気がするのにできないのはなぜでしょうか。)

脱輪:シオラン、ルーマニアが生んだ特異な思想家ですね。昔は知る人ぞ知るカルトな存在で、まさかこんなにメジャーになるとは思いもしませんでしたが、木澤佐登志さんをはじめとする加速主義・暗黒啓蒙・資本主義リアリズムなどの思想を日本に紹介する識者らの活躍、それからTwitter(旧X)のbotやいわゆる(哲学)界隈の形成による情報の高速化・低年齢化が認知度拡大に貢献しつつ、昨今のdepression(鬱)な時代傾向とマッチしたという感じでしょうか。

初めてシオランbotを見た時「そうか、シオランって早すぎたTwitterだったんだ!」と妙に合点がいったんですが、同じ鬱系ツイッタラーのパイオニアとして他に、無数の名義を使い分けたポルトガルの“不在の詩人”フェルナンド・ペソア、それから拳銃自殺したダダのイケメン詩人ジャック・リゴーの名が挙げられると思います。

というわけで、マルクスもいいですが、僕からはマーク・フィッシャーの『資本主義リアリズム』とリゴーの『自殺総代理店』をおすすめしておきたいです。

えなり:シオランの本、最近新装版も出ましたしね。今や陰鬱系のバイブル感あります。

ていうか、ジャック・リゴー恥ずかしながらはじめて知りました。そして『自殺総代理店』って書名からしてわたしが絶対好きなやつ。周到に用意された自殺ってなんですか……いいな。その文章が入っている遺稿集があったので即ポチりました。また家に本が増えます。責任取ってください(笑)。

脱輪:あらら、責任取ってリゴーについて語り合いましょう!ヾ(●´∇`●)ノ
ちなみに、僕が持っている『自殺総代理店』は旧版の薄い本で、えなさんが購入されたのは新版の増補版のようなので、ぜひとも異同を確認したいところです。

えなり:ぜひお願いします!一つ前の返信より一夜明け、1時間ほど前に届いたので(Amazonありがたい)早速読みますが、今回のものは遺稿をすべて集めたガリマール社から出てる本をもとにほぼすべてが訳出されているとのことです。あとは生前のリゴーを知る人の証言が収録されています。もう読むのが本当に楽しみです〜〜〜〜!

ところで、Twitter(旧X)は間違いと皮肉的ギャグのどちらですか?

脱輪:すいません、なんかむっちゃ尖った主張を持ったやつみたいになっちゃいましたが、単なるミスです(笑)

とはいえ精神分析的には「書き間違いの中に無意識の願望が露出してしまった」=「脱輪はXを認めておらず、いつまでもTwitterにこだわりたいと思っている」ということになり、これはそーとー程度に思い当たる節がありおもしろいので、あえてそのまま残しておこうと思います(笑)

えなり:わたしもX認めていない勢です(笑)最後までこだわりましょうね✌🏻

おつかれさまでした!
インタビューを終えて、一言。

えなり:濃かった!!(笑)
特にイメージとかの話は面白かったので、より深掘りして調べたいです!脳科学とかですよねきっと。あと、本を読むと言っても人によって色々違うのだなとわかってそれも興味深かったです。そして自分がわりと読書のためにいろいろしてるなと学びました(笑)ありがとうございました!

脱輪:ほんと、濃すぎるぐらい濃かったですね!(笑)
貴重な機会をありがとうございました〜🐻🙌

制作過程について

みなさん、読んでいただきありがとうございます〜!

上記は完成版ですが、上の記事がどのようにできていったのかの制作過程を下記のNotionにて公開しています。

Notionでは、ラリーを重ねるうちにどうなったのかをわかりやすくするために、下記の色分けを行っています。

脱輪さん第1信:黒
えなり第1信:赤
脱輪さん第2信:青
えなり第2信:ピンク
脱輪さん第3信:緑
えなり第3信:紫

こちらではリアルタイムで感想等をやり取りしていた「お手紙コーナー」も公開しているので、よかったらこちらもご覧ください〜!

登場した書籍

三宅香帆『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(集英社)

ピーター・メンデルサンド『本を読むときに何が起きているのか ことばとビジュアルの間、目と頭の間』(フィルムアート社)

綾辻行人『十角館の殺人』(講談社)

水林章『日本語に生まれること、フランス語を生きること: 来たるべき市民の社会とその言語をめぐって』(春秋社)

渡邉雅子『「論理的思考」の社会的構築』(岩波書店)

ローラン・ビネ『言語の七番目の機能』(東京創元社)

E・M・シオラン『生誕の災厄』(紀伊国屋書店)

マーク・フィッシャー『資本主義リアリズム』(堀之内出版)

ジャック・リゴー『自殺総代理店』(エディション・イレーヌ)

ジャック・リゴー『ジャック・リゴー遺稿集』(エディション・イレーヌ)


12月からフランスに行きます!せっかくフランスに行くのでできればPCの前にはあまり座らずフランスを楽しみたいので、0.1円でもサポートいただけるとうれしいです!少しでも文章を面白いと思っていただけたらぜひ🙏🏻