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戦前の日本では、今以上にクリスマスを楽しんでいた。クリスマスの本を読んで分かった意外な歴史

こちらは、「稀人ハンタースクール Advent Calendar 2023」に参加するために書いたエッセイです。カレンダーをクリックすると、「クリスマス」をテーマにした書き手のnoteを見ることができます。

やばい。どうしよう。なんもない。

まさかのアドベントカレンダーのトリを務めることになったにもかかわらず、記憶を遡っても遡ってもよさげなエピソードが出てこないことに、わたしは焦り散らかしていた。

まじで特筆すべきことがなにもない。強いて言うなら、忘れもしない2013年12月18日、クリスマスコンサートに出演予定だった当時の推しが別の仕事の都合で来なくて、見る人もいないし団扇を見せる人もいない虚無の約2時間を過ごしたことくらいだ。虚無すぎたせいか、内容も前後のこともほぼ覚えてないので「虚無」しか言えなくて数百字で終わってしまいそうだ。トリにふさわしくなさすぎる。

そうしてどうしようかなあと考えたり、人に相談したりするなかで、そういえばクリスマスって毎年それなりにケーキ食べたりしてるけど、いつから祝われてるのかとか、日本でどんな風に広まったのかとか意外と知らないなと気づいた。

そこで、いつも馬鹿みたいに本を買っているわたしらしく、全世界のサンタクロースにもたくさん使われていそうなAmazonで本をポチって、そこで知った発見をまとめてみることにした。内にないなら外からネタを調達するスタイル。物騒な話もあるけれど、クリスマスの歴史に想いを馳せる機会としてもらえるとうれしい。

今回読んだ本はこちら▼

クリスマスとキリスト教の中心地である西洋をベースにした全史的なものと、日本にフォーカスしたものを読みたかったので、この2冊を選んだ。

クリスマスってなんだろう?

現代のクリスマスは、よく考えてみると不思議なイベントだ。キリスト教徒が極めて少ない日本のような国で祝われているのもそうだし、イエス・キリストの誕生日だというのに(少なくとも日本においては)主役は完全にサンタクロースだし、そしてそのサンタクロースは聖書には出てこない。

そんなクリスマスが祝われはじめたのは、3世紀頃のローマだった。

クリスマスはイエス・キリストの誕生日だが、実は正確な誕生日(降誕日)はわかっていない。多分これからもわかることはないだろう。でも、当時の教会の人たちはキリストの降誕日をきちんと定めたかった。そこで、当時ローマで人気のあったミトラ教における太陽神の誕生日とされていた12月25日とすることとなったのだという。

ちなみにマリアがキリストの受胎を天使に知らされた受胎告知の日は3月25日だが、春分点に近く創造と再生のイメージに溢れるこの日をキリストの降誕日とする声もあったらしい。もしこの案が採用されていたら、クリスマスのイメージも大きく変わっていただろう。サンタが花とか持ってきそうだし、日本だとお花見と絡められそう、何となく。

また、ローマでは12月17日から23日にかけて、農神サトゥルヌスを祭る収穫祭、サトゥルナリア祭が行われていた。このお祭りムードは、1月にあるカレンズ(朔日)と呼ばれる官吏が役職に就く日まで続き、祝宴やパレード、宗教的儀式が執り行われる、人気の祭りだったという。

めちゃくちゃ余談なのだけれど、サトゥルヌスと聞くとゴヤの『我が子を喰らうサトゥルヌス』を真っ先に思い出してしまう私などは、このエピソードを読んで、祝祭の華やかさと私が持っていたサトゥルヌスとのイメージとのギャップに少々頭がついていかなかった。画像を貼ろうと思ったけど陰惨な絵すぎてクリスマスには似つかわしくないので、興味のある人は調べてください。

閑話休題。こうして、ローマに存在した複数の祝祭とキリスト教徒の伝統が重なってクリスマスは生まれた。そもそも最初から他の宗教や文化を取り入れながら生まれていることが、今、日本などの非キリスト教国家で愛される下地となっているのかなあと感じた。

サンタクロースはどこからやってきたのか?

サンタクロースの起源は、冒頭でも触れた通り聖書にはない。そのため、敬虔なキリスト教徒の家庭では、サンタクロースの存在が否定されていることもあるのだという。

現在のサンタクロースの起源ともいうべき存在が、聖ニコラウスだ。実在した人物である彼は、4世紀に小アジア(現在のトルコ)で大主教を務めていた。数々の伝説を持つ彼は、古くからヨーロッパにて聖人として信仰されており、12世紀には聖母マリアに次ぐ人気を誇ったそうだ。

しかし宗教改革により、イングランドやドイツ、ネーデルランドなどの地域では、カトリック的な存在として忌避されるようになった。一方民衆は古くから信じられていた野人(ワイルドマン)やキリスト教以前の神を利用して信仰を守り続けた。そして、クリスマスに贈り物を届けてくれる存在として、棍棒や鞭を手にした恐ろしい風貌のキャラクターを作り上げたらしい。

送り物を届けてくれる恐ろしい人って、いい人なのか怖い人なのかわからないし、なんだかちくはぐでおもしろい。なまはげみたいなものなのかなと思ったりした。プレゼントをくれるなまはげ。

そしてそんななまはげみたいなキャラクターが徐々に変化し、近代には聖ニコラウスと融合した。こうして、現代のサンタクロース像が形成されていったのだ。

ところでサンタクロースといえば、この「稀人ハンタースクール アドベントカレンダー」でも私を含め何人かが題材していたように、「いつまで信じるか」問題がある。

Carole S. Slotteback氏の研究によると、子どもがサンタクロースを信じなくなるまでには6つの過程があるらしい。詳細は書かれていなかったがせっかくなので本人の研究にあたってその話書きたい!と思ったけれど、それらしき本が80ドルくらいしたのでちょっとさすがにやめておいた。別の人の研究を見つけたので貼っておく。

時にクリスマスは禁止され、サンタは火炙りにされた

そんな世界中の子どもたちに夢を与えるサンタクロースだが、過去には火炙りにされたことがあるという。わたしが愛してやまない国、フランスでのことだ。

第二次世界大戦が終わるまで、フランスではキリストの降誕がクリスマスの中心となっていた。しかし、大戦でナチスに占領されて経済的に厳しい状況にあったフランスは戦後、アメリカのマーシャル・プラン(ヨーロッパ戦後復興計画)によって国を建て直していくこととなった。

これにより、アメリカの文化が流入してくる。そしてフランスのクリスマスでは脇役だった「Père Noël(クリスマスの父)」がサンタクロースと同一視され、存在感を増していっていた。こうしたアメリカ文化に対する対抗として、ブルゴーニュ地方の都市・ディジョンでサンタクロースの人形が火刑に処されたのだという。過激。フランスっぽい。すき。

これはカトリック文化圏での例だが、クリスマスが敵視されてきたのはどちらかというとプロテスタント文化圏だ。聖書の記述に忠実であることを重視するプロテスタントは、時にはクリスマスを禁止することもあった。

16世紀頃のイングランドでは、カトリック教徒は時には投獄されたり処刑されたりすることもあったという。そして投獄された者だけが、監獄内で自由にクリスマスを祝うことができるという逆説的な状況も発生した。

しかし、クリスマスを禁止したのはプロテスタントだけではない。イスラム圏であるサウジアラビアでは、イスラム教以外の宗教活動が法で禁じられており、欧米諸国の在サウジ大使館の職員ですら大っぴらにはクリスマスを祝えないという。

また、政治的な理由でクリスマスが禁止されることもある。その代表例がソヴィエトだ。「宗教は大衆のアヘンである」との言葉を残したカール・マルクスの思想をベースに構築された共産主義で国をまとめ上げていたボリシェヴィキ政権は、クリスマスを歓迎しなかった。

1927年にクリスマスツリーは禁止され、1936年にニューイヤーツリーとして生まれ変わった。時の為政者であったスターリンは、キリスト教の聖なるクリスマスを、世俗的な新年のお祝いとして作り変えたのだ。しかし、家庭では密かにごちそうやプレゼントとともにクリスマスが祝われていたという。

同時期、ナチスが政権を握っていたドイツではクリスマスすらもナチ化させられていた。

民衆が反発を起こさないよう少しずつクリスマスを改変し、キリスト降誕の要素を消し去り古代ゲルマン的な儀式を復活させていった。クリスマスキャロルからさえキリスト教色が排除され、『きよしこの夜』のキリストはヒトラーに置き換えられたという。クレイジーすぎてこわい。

ドイツといえば、キラキラしたクリスマスマーケットが有名な国だ。そうした他の国とは違う特別なクリスマスであることにある種の誇りを持っていたドイツ国民を、このクリスマスを利用しまとめ上げつつ、さらに愛国心を高めようとした。

不思議な日本のクリスマス

このように時に禁止され、政治利用されつつ続いてきたクリスマスだが、日本ではどうだったのだろう。

今回調べていて一番意外な発見が多かったのが、この日本のクリスマスだった。

日本でクリスマスが本格的に祝われはじめたのは、戦後のことだと思っていた。しかし、明治時代末期の1903年から新聞にはクリスマスに関する広告が出されており、1906年からはサンタクロースも登場しているのだという。もちろんキリスト教徒の日本人はもっと以前からクリスマスを祝っていたが、そうではないいわゆる平均的な日本人が本格的にクリスマスを楽しみ始めたのが1906年、日露戦争に勝利してからだというのもとても興味深かった。

とはいえ、琴や三味線の演奏をしたり軍歌を歌ったり、果ては落語や講談が催されたりと、現代のクリスマスイメージとはかけ離れている。「それってクリスマスを口実に騒いでるだけじゃん」と言いたくなるような光景だ。おそらく今だって、キリスト教徒が大多数の国ではない以上そうなのだけれど。

こうしてクリスマスが広まるなか、1926年12月25日に大正天皇が亡くなった。そして翌年から先代の天皇の忌日として、クリスマスは祭日になった。これは1947年まで続いた。

クリスマスが祭日。まったく知らなかったので、これもなかなかの驚きだった。戦後のあれこれで廃止されたのだろうけれど、「クリスマスだから祝日にした」という建て付けでそのまま続けてくれたらよかったのに、と個人的には思わないでもない。クリスマスは休みたい。

こうして祭日(つまり休み)となったことを後押しに、日本のクリスマスは盛り上がり続けた。満州事変が起きたあとも盛り上がりは収まらず、1931年からの3年ほどにピークを迎える。ピークがすぎてからも、祝うことがなくなったわけではなかった。二・二六事件の起きた1936年ですらもクリスマスは盛大に祝われていた。

百貨店はクリスマスセールを行い、子ども向けのクリスマスパーティーはもちろん、カフェーやダンスホールでもクリスマスの催しが行われた。大人たちのクリスマスは、乱痴気騒ぎすぎて読んでいてすごく楽しそうだった。「これまじで戦前??今よりはしゃいでそうだけど」というのが率直な感想だ。

しかし戦争の足音を背景に、1937年を機にクリスマスはなりを潜めていった。

そして戦後になり、徐々にクリスマスは復活していく。戦前と同じように、1948年から1957年頃まで乱痴気騒ぎが行われた。お酒を飲みすぎて終電を逃す人が山ほどいたらしい。そして高度経済成長期には今も行われているような家庭でのクリスマスが始まる。1980年代にはクリスマスは恋人たちのものとなっていき、現在に至る。

戦前のクリスマスがこんなにも華やかだったことと、戦前と戦後で似たようなことをしていたことを知れたのがとても大きな発見だった。戦後あらゆるものが断絶された感を持っていたけど、戦争で中断されはしたもののクリスマスは続いていたのだ。

さて、こうして宗教、世俗文化、政治、いろいろなものの影響を受け、時には禁止されながらも世界に広まってきたクリスマス。こうした紆余曲折を経ながらも、キリスト教への信仰の有無にかかわらず世界の多くの人に愛されている。学んでみると、想像以上に複雑で混沌としていたが、それもこの祝祭の魅力なのかもしれない。愛する人も嫌がる人も無視することが難しいクリスマスは、もはや人類の文化と言えるのかもしれないなと感じた。それではみなさん、メリークリスマス🎄

12月からフランスに行きます!せっかくフランスに行くのでできればPCの前にはあまり座らずフランスを楽しみたいので、0.1円でもサポートいただけるとうれしいです!少しでも文章を面白いと思っていただけたらぜひ🙏🏻