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かなわない、文章は人だから。



今日は休みだったので、ホームセンターに行く。
私の癒し。
さんざん迷ったあげく、小さな花の苗を4つ買った。

そして、本でも読もう、とその近くのカフェへ。

サンドイッチのトマトソースを派手に服にこぼしてしまって慌てるも、もうあきらめて、しばらく読書。
あーあ、失敗が多くて、嫌になっちゃう。
(あとに予定がなくてよかった。)

店の外に植えられたラベンダーが、時期にも関わらずなんだかかわいそうな姿になっていた。
これは誰が世話するんだろう、私がここで働いていたら喜んで毎年剪定するけどな、なんてことを考えながら、やっぱり集中できず店を出た。


帰って服の上下を脱いで洗濯し、そのまま本の続きを読む。


かわいい表紙。緑のまるは、草餅を食べたあと。


ちなみに今日読んでいたのは、くどうれいんさんの「コーヒーにミルクを入れるような愛」。

くどうさんの文章も、好きだなぁと思う。
文章を書くのがずっと好きだったとおっしゃっているけれど、改めて彼女の本を読みながら、書くのが好きなだけじゃあいい文章なんて書けっこない、と思う。

それは、技術とかそういうものでもなくて。
考え方だけでもなくて。
「日記」と「エッセイ」の違いとか、そういうのももちろんあるのかもしれないけれど、たぶんそれも関係ない。

いい文章だなぁ、すてきだなぁ、って思うのって、やっぱりその人の人柄とか経験によるものなんだと思う。


いくら心の内を書いても、その元となるその人の経験がなければ人物像が浮かんでこないし…。
どんな経験の、どんな内容を、どんな言葉でもって表現するか、に人柄が表れるんじゃないかと思う。
特に、人との関わりが書かれると、とても鮮やかにその人が表れるんじゃなかろうか。



だから私は、短くてシンプルで、なのに驚くほどその人が伝わってくるような、そんな文章に弱い。
憧れる。

でも、やっぱりそれは文章ではなくて人そのものだ、かなわない、と今日も思う。
(でも、書く。)


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