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晴れも曇りも、と思えること。


こんな夜に、今日何杯目かのコーヒーを飲みながら、書き始める。


コーヒーを入れたボトルを車のドリンクホルダーに置き忘れたことに気付き、冷たくなったそのコーヒーにミルクを足して飲んでいる、というわけ…。


もうすでに、今日は家に帰ってから、コーヒーをいれて飲んだ。
今日発売したばかりの新しいコーヒー。

いちばんの味の基準は、自分の手で、いつもの方法でドリップしたコーヒーなので、こうやってまず家で静かにじっくり向き合ってみる。
仲よくなる、というイメージ…。


今日、このブラジルのコーヒーを見ている女性がいたので、ぜひ試飲どうぞ、と差し出したら、ぱぁっと素敵な笑顔になった。

実は来週ブラジルに帰るんです、ちょうどブラジルのコーヒー飲みたいな、と懐かしく思っていたところなんです…と、なんとも偶然のうれしい出会い。


そんなことを思い出しながら、ひとくち、ひとくち、味わう。
絶対これが合うはず、と、最近はまっている「トレイルミックス」といういろんなナッツやドライフルーツがミックスされたものを、ポリ、ポリ、とつまみながら。
(やっぱり合う、明日みんなにおすすめしよ。)




今日は、昨日の大雨とうってかわって、始まりにふさわしい晴れの日だった。

凍っていた車の窓も朝日があっというまに溶かし、予想どおり、桜はあちこちで遠目にも咲いているのがわかるくらいになっていた。


ふと見上げた夕暮れの空は、ほっとやさしい色。


次に、お祭りの太鼓の練習を終えた次男と歩いて帰るときは、もう真っ暗だった。
西の空の今にも落ちそうな低いところに、オレンジ色の細いボートのような月があって、思わず2人でわぉ、と驚いた。


やっぱり晴れた日はいいな、と思ったけれど、夜に読んだこの言葉にちょっと救われる気がしたのも、私の本心で。

 私は曇りの日を優しい気持ちで迎えるほうだ。霞んだ光、ぼんやりと見える物たち、ずっしりと重く広がる香り。曇った日は、すべてが静かに自分の存在を顕わす。私の中にある言語や非言語すら静かだ。その世界があまりにも穏やかで満ち足りているので、ずっとそこにいたいと思うほどだ。
 まぶしいほどに輝く陽ざしはぬくもりを与えるが、同時に対象を色褪せさせる。強すぎる光の中では、露出オーバーになった写真の中の被写体がそうであるように、私が背景の中に薄まったり、本来とは異なる姿になってしまう。
 だから、本当の気持ちや誓いは曇りの日に伝えたほうがいいと思う。陽ざしは愛おしいけれど、雲と雨は信頼できる。

ハン・ジョンウォン「詩と散策」灰色の力


春もいいけど、冬も好き。
晴れもいいけど、曇りも好き。

そう思えると、なんだか強い気持ちになれるな。



今日も、お疲れさまでした。
読んでいただいて、ありがとうございます。




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