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限定された幸福、について。


あぁ今週も早速、ミス。

数ヶ月に一度の病院の予約、そのために今日は休みをとっていて、でも行ってみると来週の間違いだった。

あれ…来週はなんだっけ、むしろ今日は何か他の…と一瞬混乱する。
予定を写し間違えるなんて。
変更して今日診てくれたので、まぁヨシなのだけど。


でも。
待ち時間って、悪くないなと思う。

もちろん、想定を超えて長く待つのは、嫌になっちゃうけれども…
予想される待ち時間は、本を一冊持って行けば、意外と集中できる非日常な時間。


今日も。
何気なく本棚から持ち出した1冊が、思わぬ豊かな気持ちをもたらしてくれた。

買ったままでそのうち読もうと思っていた、村上春樹さんの「村上雑文集」。
ご本人が、雑多なものを雑多なまま…福袋をあける気持ちで…とおっしゃるこの雑文集。


軽い気持ちで読み始めたひとつめ、「自己とは何か(あるいはおいしい牡蠣フライの食べ方)」。
もうこの話だけで福袋の元以上のものを手に入れた気持ちで、病院の待ち合いでひとり、感動の波にのまれていた。


あぁ、だから私は彼の書く物語がこんなに好きなのか、と納得するに充分だったし、物語の展開や内容そのものがいくら面白くても、もう一度読みたい、この作家さんが好きだ、とは至らないのはこういうことか、と腑におちる気がした。
(猫、なのですね、ここでも。)

物語とは風なのだ。揺らされるものがあって、初めて風は目に見えるものになる。


「本当の自分とは何か?」という問いかけに対して、牡蠣フライについて語ることで自分自身を語りたい、という春樹さん。

あ、ちなみに牡蠣フライは、彼が好きなものというだけで、対象は何でもいいらしい。


でも、確かに。
好きなものについて語る、って、つまりは自分自身について語る、ってことですよね。
それは、よくわかる。


実際、その「牡蠣フライの話」は、もはや超短編小説のようで、なるほどそういうことだ、と思う。

僕は今幸福であると感じる。………そんなものは限定された幸福にすぎないじゃないか、とあなたは言うかもしれない。しかし僕がこの前限定されていない幸福に出会ったのはいつだったろう?そしてそれは本当に限定されていなかっただろうか?


この言葉に、はっとする。

ささやかな、いっときの幸せを感じたとき。
でもこんなこと気休めみたいなもの、と自分で思ってしまうことがある。



それに対する答えのようなものを、今日、こんなところに見つけた。
…すごいなぁ。



そのあと。
公園に車を止めて、木漏れ日の下、スーパーで買ったホットドッグとパックのカフェラテをお昼に、本の続きを読みました。


今幸福であると感じる。

自信を持って言いましょう。




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