AI時代における希少価値の変化と、そんな時代を生き残る心構え(メモとして)

『2023年、AIの影響で『絵に求められる事』が激変してきている話。』

2021年、2022年までは、流行りの絵柄を
上手に取り入れて、その上でより上手く
美しいビジュアルを作り上げようとする
エネルギーをものすごく感じました。

ですが2023年にはいって、
そういった分析的なアプローチよりも、
一見してどんな作品に
影響をもらったのかわかりにくいような

オリジナリティーに溢れた作品がぐんと
増えたように感じました。


(略)

作品を作る側のみならず、評価する側にも
変化が起きている。

(略)

これは単純な市場の論理ですが、沢山溢れて
いる物、希少性が無い物の価値は下がります。


(略)

AIが、上手い絵を無限に、大量に生み出せる
世の中になったという事実
を、この考え方に
当てはめるなら、

(略)

では、これからの時代の絵には何が
必要になってくるのかというと、
僕が思うにそれは『自分視点』です。

もっというと、『自分から染み出す何か』
をいかにして絵に込めるのか
。見ている人に
伝えられるのかが重要度を増してくると
思います。

(略)

これからはおそらく『自分視点』を
『どう伝えるか』
時代に突入していきます。

もうすでの最先端では、AI時代に合わせて物事の価値観も変わってきているようです。

そして希少価値の中身も変わってきているようです。

はてコメ からいくつか

写真のコンテストの似た話を思い出した。ブラインドで評価してたがかつては男性ばかりが受賞してた。最近は逆に女性の方が多くなった。カメラの機能が上がり相対的に技術指向の男性の評価は下がり、女性が上がった

逆にAIイラストもしだいに操作してる人間の着眼点や構成要素の組み合わせ力が問われることになりそう。昔「写真」の登場時も人間の描く絵画との役割の違いが論じられただろうが、アート的な写真はジャンル化したし

この話は、
「AIが、上手い絵を無限に、大量に生み出せる世の中になったという事実」
が広く共有されているからだとも思いました。

例えば、小説の文章や、音楽、映像において、AIが作成したものはまだそこまで認識されていないと思います。
となると、この分野ではあと数年は変化が無いものと想像されます。
でもそのうち、似たような小説や音楽が出てきていることに皆が気付き出し、そこから価値観の変化が起きてくるのではないでしょうか?

AIイラストの世界が私たちに理解し易い変化の最前線なのだとも思っています。


ここで、もうひとつ関連した話題を取り上げます。

『すがやみつる先生が生成AIを使ったことでAIを憂う人たちから大量の質問が殺到する→質問に丁寧に返答、ベテラン漫画家が話す「模倣について」の考え方がためになる』

漫画『ゲームセンターあらし』(1979年 - 1983年)(1982年アニメ化)を描いた すがや みつる氏(73歳)の発言です。
その中からいくつか取り上げます。

2011年 60歳で、早稲田大学 修士(実践人間科学)だそうです。勉強家ですね。

 マンガをビジネスにしている人、あるいは自作を大事にしている人たちから見たら、「おかしな奴」と思われるかもしれません。なぜ、こんな考え方をするかといえば、19年前に社会人で大学生になり、以後、大学院から大学教員という経路を経て、研究者として生活する一面も持ってきたからです。

 そんなことの延長で、私は今も学術系の仕事も続けており、現在もテキストマイニングソフトで著作権の切れた純文学作品などの解析をおこなっています(ほかに自著に対するレビューの分析なども(^_^;))。

 たとえばいまは著作権切れの文学作品を分析の対象にしていますが、できたら現役バリバリの作品(※ 漫画作品のことをいっているようです)を分析してみたいという誘惑にもかられています。

すみません。後期高齢者までは、まだ1年半ほどあります(^_^;)。絵柄が古臭いのは間違いありません。いまは古臭い絵柄のマンガをフルデジタルで描いています。
添付画像は4年前にiPadメインで描いた単行本で、プログラミング言語Pythonのマンガ版入門書です。ネームもプログラミングも70歳過ぎの私が担当しました。

 すでに書いたことですが、私が学んだ教育工学の分野では、絵を描く技能は、話す・歌う・踊る・自転車に乗るなどと同様に「運動スキル」であるとされています。

 その習熟課程のスタートは「模倣」で、その後「巧妙化→精密化→分節化→自然化」という段階を経ます。いろんな「技(わざ)」を身につける課程を考えれば、頷いていただけるのではないでしょうか。日本の「能」の世界で言われる「序破急」にも似ています。

参照:ブルームの目標分類学 (タキソノミー:Taxonomy
gsis.kumamoto-u.ac.jp/opencourses/pf…

 この技能を身につけていく課程で必要なことは「反復繰り返しの練習」です。当然、長い時間や年月が必要です。

 そのようにして身につけた技術によって描いた絵が、勝手に収集され、無断で使用されることが、フリーライド(タダ乗り)されたと感じ、激しい抵抗感を覚えているのではないでしょうか?

 それはすごく理解できます。自分でもやってきた自覚がありますので。

 ただし、学習されることに対する気持ちの部分と、収益が得られない経済面の部分については、切り離して議論した方がいいとも思います。

 というのも、どんなクリエイターであれ、先達が積みかさねてきた表現や技術が基礎になっている場合がほとんどだからです。この自覚を抜きに権利を主張すると、どうしても傲慢に受け取られてしまいます。

 このあたりも考えたうえで、AIに対する反対や抗議活動をしてください。そうすればAI推進派の人たちも、もっと耳を傾けてくれるように思いますし、どのような方向に進めたらいいのかといった対話も可能になるかと思います。

 私はマンガで生計を立てるようになって50年以上になりますが、半世紀もの長きに渡って生き延びてこられたのは、デジタル作画やネットワークなどの新しい技術にも抵抗を示さず、かえって積極的に採り入れてきたからだと信じています。

 それでも、年齢相応に視力や体力の衰えを感じていたこともあり、そろそろ退き時かなと思っていたのですが、ここにきて生成AIを体験したことで高揚感を覚え、新作の構想などにも取り組んでいるところです。

 違法な使い方はもちろん論外ですが、そうでなければAIは、新しい表現を拡張するツールになると考えています。

 20年ほど前には、デジ絵に対する拒否感を示す人もいましたが、いま、メディアの仕事をするうえにおいて、デジタルが使えなければ仕事になりません。生成AIについても、同じようなことになるのではないでしょうか。

 いまの生成AIには、これまでの常識では測れない(つまり法整備なども追いついていない)ところがあるかと思います。しかし、今後、法的な整備も進んでAIのある生活が当たり前になる可能性も高いかと思います。

 若いクリエイターの皆さんには、そんなAIを使いこなす側にまわってほしいと思っています。

 20世紀初頭には、自動車の登場で馬車の業者が姿を消しました。馬車の御者を保護するため自動車に速度制限を課す「赤旗法」を施行したイギリスでは、自動車工業でフランスやドイツにおくれをとることになりました。

 私は、AIによって自動車が登場した時代のような、大きなパラダイムシフトが起きると思っています。それに乗れるかどうかは、個人の判断です。

 私自身は、現在の画像系生成AIについては、「仕事には、とても使えない」と思い、そのアホさ加減を笑って楽しんでいますが、テキスト系の方では仕事にも使えそうで、ワクワクしながら使っています。

「コンピューターはインテリジェンスミラーだ」と言われることがあります。これは「知性を映す鏡」という意味ですが、生成AIにも、そんな一面があります。使い方によって知性ならぬ痴性を映したりもする危険な側面もありますが、できたら、それを知性を映す正しい方向にみちびき、使いこなせるようになりたいと思っています。

別のスレッドで返信したばかりですが、紙と鉛筆とペンで修練を積んできた私のような高齢マンガ家から見たら、パソコンと液タブでマンガやイラストを描く作業は、AIとのスピードと量の差異はあれ、同じことですよ。

 昭和前期に出たマンガの技法書には、「ペンを使うなんてけしからん(筆を使え)」という記述もありました。手塚治虫先生は「トーンを使うなんて手抜きだ」とおっしゃっていた時代もありました。青枠が印刷された市販マンガ原稿用紙の使用を「手抜きだ」と行ったマンガ家の先生もおりました。

 まず、自分の作風や表現が別のクリエイターに模倣され、その人の名前で発表されても目くじらを立てないのは、自分が同じことをしてきたからです。

 同時にこの考え方は、先達の作家や作品に対する敬意でもあります。作風が後輩に真似られても構わないのは、自分が先達から受けた恩を返す「恩送り」でもあります。

 別の方が、作風を模写した作品が発表されて訴えたらどうかと訊ねられた大友克洋さんが、「それなら自分は手塚治虫先生に(マンガ技術の)使用料を払わなければいけない」と答えた(大意)ことを書いていました。

 そういうことです。生き残っている人ほど、このようなことを自覚し、謙虚です。

 そのうえで、マンガやイラストに限らず、あらゆる技術・表現の分野で、AIの導入や自動化が進み、人間の仕事が取って替わられています。この流れは後戻りしません。

 新しい技術を採り入れるか、拒否するかは自由です。しかし、量で稼ぐような仕事は、AIを含む自動化勢に負けます。新しい技術を取り込んで、さらに新しい表現方法を探り採用するか、あるいは、機械に負けない表現・技術を身につけるかです。

 迫り来る新しい技術を前にして、現状維持を守ろうとしたら、時代に取り残されるのは必然です。できれば5年先、10年先、20年先まで、どのように生き残っていくか。若いマンガ家やイラストレーターさんは、そんなことを考えてください。

 このようなことを書くと、「若者の夢を壊すようなことをしないで」などとも言われるのですが、夢は現実の向こうにあります。

あ、絵柄や作風が真似られた作品が他者名義で販売されることについては、AIが作成したものであっても構いません。同じことは手描きの時代にもさんざん経験してきたことだからです。

 拙作『ゲームセンターあらし』も多数の先行作品を参考にして、それをアレンジすることで、新しいと思われるような表現を創り出しました。『あらし』がヒットすると、児童誌には「あらし風」の作品がドッとあふれました。

 マンガの世界では、ひとつ新しい表現が生まれたり発明されたりすると、その表現は、あっというまに多くのマンガ家に真似されて、それがひとつのスタイルになっていきます。私の作品の場合は、あまりにも既存の作品を参考にしたところが多く、「あらし風」と言われたりするのはおこがましく思っています。

 しかし、ときどきですが革命的な作品も登場します。劇画の世界でしたら宮谷一彦、青年コミックの世界では大友克洋や、少年マンガなら鳥山明といった方々の作品です。当然、多くの追随者を生み出しましたが、生き残っているのは、そこから脱却し、自分の表現を見つけていった人だけです

 とりあえずマンガの歴史をながめていただけば、マンガ表現の歴史はエピゴーネン(模倣、亜流)の歴史でもあることがわかるかと思います。

この まとめ では、

生成AIの無断学習を通じた「価値」へのフリーライドについてどう考えているか

という問題提起がありましたが、
すがや みつる氏関係無く、クリエイティブ界隈の「答え」として、
一番始めに紹介したようなものが出始めているようです。

つまり、
「オリジナリティーに溢れた作品がぐんと増え」
「これからはおそらく『自分視点』を『どう伝えるか』」
これらが、これからは重要になってくるのかもしれません。

今、AI時代に入り、希少価値に変化が起きているということです。

これは、さきほどの
「多くの追随者を生み出しましたが、生き残っているのは、そこから脱却し、自分の表現を見つけていった人だけです」
と似ている話でもあります。


AI時代における あなたの希少価値ってなんでしょうか?


蛇足というか、これを書いていて、あるAIに関連したヤフコメを思い出したので、載せておきます。

技術の進化で、人類はまず単純な肉体労働から解放されてきた。その過程で人々の身体能力は衰えているが、一方で一部の肉体エリート(アスリートなど)は過去の人類では不可能だった身体能力を身につけている。一般ピープルは余暇の楽しみや健康維持のためにスポーツを行う人もいる。
これからは単純な知識労働からの解放が始まる。大多数の人々はそれにより基本的な知的能力が退化していくだろう。一方で一部の知的エリートはより高い知的能力を身につけていくのかもしれない。知的作業は少数の職業エリート層、趣味的に知的作業を楽しむ層、そしてまったく遠ざかってしまう層に分かれていくのかも。



最後にクリエイティブつながりで、なんとなくAIとは関係の無い話を載せます。

『大沢在昌x今野敏
作家生活30周年スペシャル対談 完全版』

大沢:(略)それはなんか、そのときの顔つきとか、そういうもので、あ、こいつ闘ってるなって思うわけ。闘ってないやつっていうのは、変な話だけど目がどんどん死んでくんだよ。名前は挙げないけど、すごく一時ワッとなった人がある瞬間に目が死んで、で、次に何書きだしたっていったら、だれかのパクリみたいなものを書きだして、すごくがっかりしたりとか、あの人が何であんなものを書くのと。それはもしかして、こういうのを書けば売れるとか、そういう低次元の発想でだれかの真似をしているんだとしたら、もう、たとえ売れたとしても、終わったなって思っちゃうわけ、われわれは。

大沢:(略)俺、今でも憶えているのは眉村卓さんのこと。あの人はすごくいい人だからさ、初対面で、駆け出しの俺でもまともに相手にしてくれた。「あなたはまだ売り出したばかりだからわからないだろうけど、これからあなたが売れるようになると、いろんなところがあなたに原稿を頼みに来る。そうすると、原稿を書く優先順位というものがそのとき問題になってくる。ちょっとだけ先輩のぼくがあなたにアドバイスをさせてください」って言って。数寄屋橋の紙ナプキンに万年筆で「一、勉強」って書いて、「二、名前。三、義理。四、お金」って書いた。この順番に仕事を受けなさいと。一番はお金でもない、名前でもない、勉強になる仕事をやりなさい。二番は名前の売れる仕事、三番は義理のある仕事、お金は最後だって言う。すごく印象に残って、大事に持って帰った。
 それから十何年後に直木賞をもらって、偶然「数寄屋橋」で会ったときに、「眉村さんにあのときに書いていただいたことを、いまだに覚えてます」って言ったら、そしたら、「じゃ、次からは、一番は義理だね。今までいろいろ自分を支えてくれた人たちに恩返しをするんだよ」って言ってもらって……。そういう経験ができただけでもめちゃくちゃ幸運だと思うんだよね。

編集部:30年間の中で不安になったことはありましたか。
大沢:あったよ、もちろん。いちばん思ったのは、1989年に28冊目の作品になる『氷の森』をハードカバーで世に問うたとき。自分に書けるそのとき最良のものだという思いがあった。そのときの願いは、もらえなくていいから何かの文学賞の候補にならないかとか、あるいはアンケートなりコンテストで上位に入ることであったりとか、本が売れて重版することであったりとかあったんだけど。ことごとくその願いが外れたときに、俺が目指した最良のものというのは、この世の中には何の意味もないことなのかと。俺はそのとき33歳だったけど、残りの人生、まだそうとう長いわけだよね。50年近くあるとして、残り全部ずっと作家ではやっていけないかもしれないと思った。いちばん怖いのはそこだよね。

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