『思考の整理学』から(日本人の学びについて)

 タイプ6(と日本人)の話をかなりしてきました。今回は、けっこう有名な本から引用して話を進めてみます。
 引用する本は、思考の整理学(外山 滋比古)です。

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 この本は、一時期流行ったように記憶していますが、今でもそれなりに売れているようです。

 あとがきが1983年なので、そのころに書かれた文章が掲載された本です。
 この本の中の「グライダー」という文章は、日本人の勉強への取り組み方について書かれています。
 本が書かれてから、三十四年後の今の日本も、本質的に変わっていないという理解の元に以下引用していきます。

 勉強したい、と思う。すると、まず、学校へ行くことを考える。学校の生徒のことではない。いい年をした大人が、である。こどもの手が離れて主婦に時間ができた、もう一度勉強をやりなおしたい。ついては、大学の聴講生にしていただけないか、という相談をもって母校を訪れる。実際の行動には移さないまでも、そうしたいと思っている人はたくさんあるらしい。 家庭の主婦だけのことではない。新しいことをするのだったら、学校がいちばん。年齢、性別に関係なくそう考える。学ぶには、まず教えてくれる人が必要だ。これまでみんなそう思ってきた。学校は教える人と本を用意して待っている。そこへ行くのが正統的だ、となるのである。
 いまの社会は、つよい学校信仰ともいうべきものをもっている。
 学校の生徒は、先生と教科書にひっぱられて勉強する。自学自習ということばこそあるけれども、独力で知識を得るのではない。いわばグライダーのようなものだ。自力では飛ぶことができない。
 学校はグライダー人間の訓練所である。飛行機人間はつくらない。(略)学校では、ひっぱられるままに、どこへでもついて行く従順さが尊重される。勝手に飛び上がったりするのは規律違反。たちまちチェックされる。やがてそれぞれにグライダーらしくなって卒業する。
 優等生はグライダーとして優秀なのである。
 グライダーとしては一流である学生が、卒業間際になって論文を書くことになる。これはこれまでの勉強といささか勝手が違う。何でも自由に自分の好きなことを書いてみよ、というのが論文である。グライダーは途方にくれる。
 そういう学生が教師のところは“相談”にくる。(略)・・そんなことを言ってつっばねる教師がいようものなら、グライダー学生は、あの先生はろくに指導もしてくれない、と口をとがらしてその非を鳴らすのである。
 いわゆる成績のいい学生ほど、この論文にてこずるようだ。言われた通りのことをするのは得意だが、自分で考えてテーマをもてと言われるのは苦手である。
 一般に、学校教育を受けた期間が長ければ長いほど、自力飛翔の能力は低下する。グライダーでうまく飛べるのに、危ない飛行機になりたくないのは当たり前であろう。
 お互い似たようなグライダー人間になると、グライダーの欠点を忘れてしまう。知的、知的と言っていれば、翔んでいるように錯覚する。

 私が今まで書いてきた。判断が苦手で、考えることが苦手で、先生が必要な、そうしたエニアグラムのタイプ6文化な日本人像が書かれています。「規律違反」「チェック」というのは日本の減点主義そのものです。減点主義もタイプ6的なものです。これは、いつか説明します。

 ではなぜ、日本人がグライダー人間になってしまうのか?
 それは、そのほうが安心・安全・安定だからです。
 教わるほうからすれば、確実なものを教わりたい。正解が知りたい。自分で考えたくない。
 教えるほうからすれば、確定したものだけを教えたい。手順に沿って教えたい。アドリブで教えるのは苦手。生徒が勝手に飛んで行って、学び舎の秩序を崩して欲しくない。教える場の、安心・安全・安定を崩して欲しくない。
 タイプ6的な両者にとっては、安心・安全・安定という価値観が一致しているので、結果として、教師が生徒を引っ張るグライダーな学習方法に重きが置かれてしまうのです。
 日本は書道だって、武道だって、何か尋ねても「理屈を言わず、先生の言った通りにやりなさい」ですよね。疑問を挟むことはいけないことで、これは思考停止につながりますし、先生の言った通りにする学習方法はグライダー人間につながるものです。学校以外でもグライダー人間は作られるということです(何か尋ねられた指導者がどう苦しむかはこちらの、その2の、Jリーグ監督の話をお読みください)。
 この本の中で著者の外山氏は、グライダー人間と飛行機人間が同じ人間の中に存在すると書いていますが、私から言わせると、タイプ6の日本人の性格はグライダー的で、飛行機的な部分はかなり小さいです。

 さらに引用します。

 聞くところによると、植物は地上に見えている部分と地下に隠れた根とは形もほぼ同形でシンメトリーをなしているという。花が咲くのも地下の大きな組織があるからこそだ。 知識も人間という木の咲かせた花である。美しいからといって花だけを切ってきて、花瓶にさしておいても、すぐ散ってしまう。花が自分のものになったのではないことはこれひとつ見てもわかる。 明治以来、日本の知識人は欧米で咲いた花をせっせととり入れてきた。中には根まわしをして、根ごと移そうとした試みもないではなかったが、多くは花の咲いている枝を切ってもってきたにすぎない。これではこちらで同じ花を咲かせることは難しい。翻訳文化が不毛であると言われなくてはならなかったわけである。

 いくら翻訳しても文化が根づいていないので、次の花が咲かない。
著者の外山氏が、『英語青年』という、主に英語・英米文学の研究者向けの月刊誌の編集長を12年間務めていたことを考えると、この言葉には重みがあります。
 明治に始まって、いまだに日本は欧米を先生として学んでいるのかも知れません。
 明治以降、日本が欧米に影響を与えたものの数よりも、欧米の花を持ってきた数のほうが多そうです。
 タイプ6は、学んだり真似たり合わせたりするのが得意です。そのほうが安心・安全・安定を得られるからです。


 (切り花を持ってきたほうが便利だった時代には、)グライダー人間の方が重宝である。命じられるままについて行きさえすれば知識人になれた。
 指導者がいて、目標がはっきりしているところではグライダー能力が高く評価されるけれども、新しい文化の創造には飛行機能力が不可欠である。それを学校教育ではむしろ抑圧してきた。
 グライダー専業では安心していられないのは、コンピューターという飛び抜けて優秀なグライダー能力のもち主があらわれたからである。自分で翔べない人間はコンピューターに仕事をうばわれる。

 今、日本の教育でも創造性が言われ始めています。いままでのように、また、学習方法という花だけを持ってきて、その精神はもってこないのでしょうか?
 創造性に必要なのは、タイプ6が苦手とする「安心・安全・安定から踏み出すこと、はみ出すこと」なのですが、この精神はどうやって身につけさせるつもりなのでしょうか?
 これは難しい話です。

 『MITは「理系バカ」が役に立たないと知っている(日経ビジネスオンライン)』では
MIT(マサチューセッツ工科大学)の先生の以下の言葉を紹介しています。

 「私たちが学生に教えるべきは、知識そのものではなく、学び続ける姿勢です」

 まさに飛行機人間の精神を教えています。

 言い換えると、大学4年間で学ぶべきは、知識を暗記すること以上に、学ぶ姿勢であり、学び方——how to learnだというのです。

とも書かれています。
 日本より学ぶ姿勢のできているであろうアメリカのマサチューセッツ工科大学で4年間もかけて教える「学ぶ姿勢」「学び方」ってなんなんでしょうね。
 今の日本は、この精神をもってこれるかが問題で、私は悲観的でいます。

 今回は、恣意的(好き勝手に)に引用しているので、著者がグライダー人間を否定しているのは無いことだけは書いておきます。全文はリンクで飛んだ先の、アマゾンの「なか見!検索」から読むことができます。本の表紙の写真がありますので、それをクリックして読んでみてください。

2017年2月27日追記
上野千鶴子氏インタビュー(英文校正エナゴ)』より引用

 70年代は、今とは全く状況が違っていました。(略)日本の社会科学は長い間「輸入学問」で、「ヨコのものをタテにする代理店ビジネス」と呼ばれていました。ひたすらウェーバーやパーソンズなどの「大会社」と「代理店契約」を結んで、ウェーバリアンとかパーソニアンなどと呼ばれて、つまり外国語文献を読んで、解釈して、専門家でございますという顔をしていれば、それだけでおまんまが食べられました。

 「ヨコのものをタテ」・・・、横文字の英語を翻訳して縦文字の日本語にすれば、それで専門家でございますと、仕事になっていたってことですね。
 これも、自分で飛ぶことの無い、グライダーな行為なわけで、(ある特定分野の)学者もグライダー人間だったってことになります(70年代の昔の話だそうですが)。
 花だけもってきた学問は、外山さんの書いているように日本に根付いた学問にはならず・・・、新しい花を咲かせられず・・・(=自分で飛び立つことができず)。

 でも、それ言っちゃうと、エニアグラムも輸入ものですね。根付いているかな?新しい花は咲かせられているかな?

2017/05/15追記
 なにかの本の中で、書かれていたのですが、ワシントン大学のキース・ソーロー教授は、こう言っているそうです。

 どうやって知識を創造したらいいかを学生に教えられる学校はほとんどない

 アメリカでも「ほどんどない」知識の創造を教える学校。日本では、どれほどあるのでしょうか?
 この「どうやって知識を創造したらいいか」というのは、学校を出てからも、知識を創造できる飛行機人間を育てたいということでしょうね。

参考
なぜ、日本は減点主義で権威主義で性善説なのか?
タイプ6の話をハッシュタグでまとめています。こちらでまとめて表示されます。

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