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確約はなく、約束もなく、曖昧であり、不安定であること。

今時の人が何を求めているかの正確なものは拾いきれていないが、年齢がある程度違っても、歳の差があったとしても何かしらの“安定”というのは欲しているんだろうなぁというのは感じる。

それが一人だろうと、相手がいようとも、それぞれの“安定”だ。

その“安定”の基準、レベルはもちろん人それぞれで、
収入だったり、ストレスないものだったり、まぁいろいろだろう。
色恋なら“その先”で、“進展”“想いの継続”だったりもする。
正確にそういうのを表現するのに“安定”という言葉が合っているかは謎だ。

“確約”でも“約束”でもなんでもいい「ほぼ確定要素」であり、
それが100%の信頼、確実性があるかどうかは何とも言えないところだけど。
内容による、そういうのは。

そういうことを考えてみると自分はそういうものを信じていないなと感じる。もちろん仕事なり、その手の類は終着点があり、そこに向けて人が絡むなら自分的“確定”に向かって進む。考えてないようで進む。

が、プライベート、私生活において、自分はそれを脳内から外している。

「世話好き」「仲いいよね」等いろいろ言われることがあるが、自分はほぼそんなもんは信じていないし、それは言い換えれば“終わり”を意識しているとも言えるが、“安定”であること、“確約”ではないことを求めていると言っても過言ではない。

何故なら“不安定”でいたいこと、“曖昧”であることがある種の“糧”で、ちょっとしたことで自分の心がざわめくことを期待している、動くことを期待している。年齢でその動くゆり幅は確実に減っているし、少なくなっているが物凄くどうでもいいことでたまに揺らぐ。

相変わらず「くっだらねーこと思うな」と毎回思うけど。

もう少し老成しとけばいいのにと思うけども、老成しきってしまったら確実に何かを捨てたことになるなと感じる。

あまり心の平穏はいらない。(昔からだけど)

なんとなくね、いい歳こいても揺らいでいたいと思う。
ある種それって“痛い人”なんだけども、それでいいかと思う。

他人に寄り添うということと自分というものは別視点だと感じるが、
まぁなんか個人的に“寄り添う”ということは自分の求めているものをはっきりさせておくことだろうなと思うし、だったら自分は“不安定”でいいと思うし、不安定でいたいと思う。

だって別に“不安定”であることを否定する必要はないし、
かといって“安定”を求めることも間違いでない。

楽にいられる状態、欲してる状態が「なんなのか?」だ。

それによって傷つこうがなにしようがいいだろう。
そういうものだ、何事も。
そしてやはり“無理”すること、流されることもだる
流されていいこともあるし、抵抗するのものアリだ。

しないで後悔するより、して後悔の方がいいだろうしね。

具体的には言わないけど、
最近ちょっと“揺らいだ”ので、まだ健在だなと思った話でしかない。

オチ:足しにならない駄文シリーズだった(笑)


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