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心の壁を越えるために

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岡山県にある長島愛生園をフィールドに,ハンセン病問題について,その歴史的過程(排除・排斥・隔離の歴史)と実態(なぜ差別されたのか)の解明などを通して,我々が将来に向けて何を学ぶべ… もっと読む
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記事一覧

光田健輔論(47) 変革か呪縛か(2)

なぜ「第2世代」の犀川一夫氏らは光田健輔ら「第1世代」が推進した絶対隔離政策を批判するこ…

藤田孝志
8日前
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光田健輔論(46) 変革か呪縛か(1)

戦前の「光田イズム」は、戦後のハンセン病医療を担った光田らの次世代の医者や厚生省官僚にど…

藤田孝志
10日前
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光田健輔論(45) 不治か完治か(5)

1941(昭和16)年、アメリカで「プロミン」が開発された。当初は結核の治療薬として作ら…

藤田孝志
3週間前
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光田健輔論(44) 不治か完治か(4)

大谷藤郎氏は、京都大学医学部で小笠原登氏に師事し、旧厚生省官僚としてハンセン病問題に関わ…

藤田孝志
3週間前
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光田健輔論(43) 不治か完治か(3)

ここ数年、入所者への「解剖承諾書」が問題となっている。入所の条件であったという証言も、意…

藤田孝志
3週間前

光田健輔論(42) 不治か完治か(2)

私の疑問もまた、なぜ世界の潮流に反して日本独自の「絶対隔離政策」に固執したのかであり、そ…

藤田孝志
1か月前
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光田健輔論(41) 不治か完治か(1)

人はなぜ「病気」を恐れるのか。釈迦も人生の苦痛を「四苦」(生老病死)と教えているように古今東西の宗教や哲学では「病」を問題としてきた。 「病気」を恐れる理由は、「死」と結びついている、あるいは身体の損傷(変形、機能不全など)と結びついているからである。また、「病気」に「治療法(薬)」があるかどうか、完治か不治かである。そして、「病気」が「感染」するかどうか、その強度が深く関係している。これが「病気」に対する判断基準である。 最近の「病気」では、エイズやコロナをみればわかる

光田健輔論(40) 牢獄か楽園か(4)

「戦争は最大の人権侵害である」とはよく聞く言葉であり、真実である。戦争の悲惨さは数多語ら…

藤田孝志
1か月前
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光田健輔論(39) 牢獄か楽園か(3)

光田健輔は『愛生園日記』に、「戦争末期の激しい空襲と戦いながら、食べられもしないイモヅル…

藤田孝志
1か月前
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光田健輔論(38) 牢獄か楽園か(2)

戦争の拡大と長期化がハンセン病療養所に隔離された患者の生活をどれほど悲惨な状況に追い込ん…

藤田孝志
2か月前
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光田健輔論(36) 善意と悪意(6)

『ハンセン病市民学会年報 2005』に、泉潤氏による『ハンセン病報道は真実を伝え得たか』(末…

藤田孝志
2か月前
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光田健輔論(35) 善意と悪意(5)

『ハンセン病 絶対隔離政策と日本社会』(無らい県運動研究会)所収の徳田靖之「救らい思想と…

藤田孝志
2か月前

光田健輔論(34) 善意と悪意(4)

だが、キリスト者や真宗大谷派の信徒がハンセン病患者に注ぐ「献身」も「慰安教化」も、純粋な…

藤田孝志
2か月前
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光田健輔論(33) 善意と悪意(3)

森本幹郎氏は『足跡は消えても-ハンセン病史上のキリスト者たち』の「自序」において、「らい予防法」廃止前後に声明を発表した「日本らい学会」、日本キリスト者医科連盟、真宗大谷派の各発表から引用して、次のように述べている。まず、森本氏の各発表の引用を抜粋しておく。 各発表には問題点も多々あるが、ここで全文を掲載して批判することは目的ではないので別項にて行いたいが、森本氏の引用に関してだけでも大きな問題が内在していることは一読で明白だろう。 「日本らい学会」の見解については、「救