見出し画像

赤ちゃんに教える言葉は赤ちゃん言葉が良いのか?大人の言葉が良いのか問題

赤ちゃん言葉というものがあります。車をブーブーとか、犬をわんわんとか。正確には知りませんが英語でもあるようですから、この考えは一般的なのでしょう。一方で、余計な道を進まず大人の言葉で教える方が良いという考え方もあると思います。さて実際のところはどうなんでしょうか?

大人の言葉

私は従来こちらで考えていました。
将来使うのはその言葉たちですから、赤ちゃん言葉なんて回り道に余計なメモリを使う必要はないと考えられます。せっかく覚えたのに転換するのは余計な作業なのではないか?という考えです。合理的に見えますが、人間はそんなに合理的なのか?という疑問もあります。
一方で概念習得という観点ではどうでしょうか。習得には不利な恐れがあります。なぜなら何かを習得するには反復が基本だからです。それは大人も子どもも変わらないと考えられます。言葉に発しにくいことは反復を妨げる恐れがありそうです。またたとえ概念としては習得していても、言葉にならずに外部の人間がわからないということも考えられます。

赤ちゃん言葉

これは発しやすさが何よりだと考えられます。結果概念習得も早い可能性があります。一方大人で使う言葉に関しては回り道になる恐れもあります。しかし、早く概念を習得して、後から言葉の修正の方が早いかもしれません。個人的には何かを習得するには思い出して間違えて修正することで覚えるという感覚があります。とにかく出して修正する方が実感としては早く進む気もしています。

問題

というわけで元は大人言葉で行こうと考えていたものの赤ちゃん言葉が良い気がしてきて悩み始めたわけです。もしかしたら世間では答えが出ていることかもしれません。しかし正しさやら一般論を求めているわけでもありません。そうではなく、私が彼にどう接するか?の問題なのです。そう、育て方ではなくて接し方の問題です。私は彼にどう接したいのだろうか?

選択

一人の人間として接したい。できる限りタテではなくヨコの関係でいたい。だからこそ言葉は同じものを使いたい。と思いました。

終わりに

結論が出てすっきりしました。もしかしたら効率は悪いかもしれません。何か弊害があるかもしれません。その時はごめんね、息子よ。
そんな息子は、今は「あー」と「うー」しか言いません。そこで私も彼に合わせて「あー」とか「うー」とか「r」「ü」「ä」「ö」とか意味のない音を浴びせています。赤ちゃん言葉以前のただの音しか発していない自己矛盾に気づきました。だって嬉しそうな顔をするから。
あ、そうか、こういうヨコのなり方もあったか。どうしよう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?