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紡げなかった人

「お前は嘘と作り話が上手だなあ。だからもの書きになんかになるんだ」

明け方のとある居酒屋。
ニヤニヤと笑み、ビー玉みたいな硬い瞳で私を見ながら彼は私にこう言った。

私は最後の希望と期待をかけて、真摯に彼と向き合ったつもりだった。

気づくと私は彼の胸ぐらを掴み、「ふざけんなよ!」と叫んでいた。
滲んだ視界を通して見えるのは、ニヤニヤとしたまま硬い瞳でこちらをただ見ているだけの…父の姿だった。

そうだ。
父はこういう人間だった。

そう。
誰も悪くない。


以下は、10年ほど前に書いた記事だ。
facebookを見ていたら過去のこの日として表示されたもの。
ふと、平然としていた日々から何かが噴出してくる感情を整理するためにも、ここに書き記しておこうと思う。

※  ※  ※

「この人は、何のために言葉を発しているのだろう」

と、心の底から疑問に思っていた。

話を聞いてない。
言った事を覚えてない。

そもそも頭に入らない。

そうであることに何も感じない。
言葉や行動に責任などまるでなく、むしろそれを得意げに笑う。

ならばそもそも「話す」必要などないではないか。

彼は、私が物心ついた時から言っている事が変わらない。

頑固なわけでも、ボケてるわけでもない。

単純に知識や感情のページを増やす事ができないのだ。

自分の中だけで培ったもので傷つき憤慨し、それを押し付けるのが優しさだと信じて疑わない人。

そして年齢の分だけ「分厚い辞書」を担いでいるつもりでいる。

昔はそれでも近づきたくて熱心に語りかけたものだけど、今はただ、動いている口を凝視する事にしている。

どうせ覚えてないし、何も響かないからね。

何を言ってもただ分厚いだけの真っ白な辞書を目の前にパラパラしてくるだけだから。

ああ。
だから私。

物書きになろうと思ったのだろうな。

寂しい辞書に書き込んであげようとは思わないけど。

言葉の大切さをせめて誰かと紡ぎたいのだ。

※  ※  ※

私は父と絶縁している。

すっかり弱った父を、一人娘の私が放り出していると父の親族はそれはそれは酷い娘だと憤慨しているだろう。

絶縁の理由なんかはとっくに忘れている。


それを話したところでわかるわけでもないので、私は何も言わないし、親族からのどんな言葉も甘んじて受け入れるつもりだ。

忘れることでしか処理ができない関係性だってある。

何を言われても構わない。
何も言わないことでしか父を父として思うことができない。

それでも親だからとか。
子としての責任があるとか。

親だからこそ最後まで親だと思いたい。

だから私は父から距離を置いた。
それでしか築けない親子関係もある。

何も忘れてなどいなかった。
あの日の明け方、私はそう決めたのだ。

あの時の
あの言葉も
あの笑みも
ビー玉みたいな瞳も

やっばり全部、私の作り話なのかな。
ねえお父さん。


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