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【ダンジョン飯】カブルーとミスルンをキリスト教で考察

⚠️注意⚠️
この記事は漫画「ダンジョン飯」最終巻までと、「冒険者バイブル」のネタバレを含みます



🍄 まえがき         (飛ばしてOK)


私は4月初めに漫画「ダンジョン飯」を一気読みし、見事迷宮の魔力に囚われた者です。気持ち的には地下6階ほどまで沼っているかと。

特に興味深かったのはカブルーとミスルン隊長の関係でした。たった7日間と数日の関わりでありながら、互いに欠かせない存在となっている。

ですが、本編は主人公のライオス一行を中心に展開されます。カブルー一行は端折られまくり。
私はこの傑作を読み終えたのち、ひとつの疑問が芽生えました。
「どうして彼らは物語の終わりで互いの理解者にまで至れたのか?」

当記事ではそんな個人的な疑問を消化するため、
2人の動向をキリスト教的要素と絡めて考察してみます。

しかし、私はただのオタクであり素人。下手な考察も数撃ちゃ当たる精神の人間です。考察ではなく雑感と捉えてもらった方がいいかもしれません。「そうだったら面白いね!」くらい気軽に構えてくださると幸いです。




🍄 なぜキリスト教なのか?(飛ばしてOK)


はじめに、数ある宗教のなかでキリスト教を選んだ理由を述べておきます。

2人が共に過ごした場所は迷宮です。2人の食べ物、見た物、遭遇した魔物は、全て迷宮主の思想が具現化したもの。
この地での経験を宗教と紐づけるなら迷宮の由来から考えるのが筋でしょう。

迷宮に隠されていたのは「黄金郷」でした。
黄金郷の元ネタは16世紀にスペイン人の間で広まった伝説の国の別称です。そして黄金郷の住人の文化は西欧がモデルと推察されます。さらに、迷宮の主シスルはアザミの花の英名。 エトセトラエトセトラ…

つまり宗教のなかで、キリスト教は候補に真っ先に挙がります。



次に、2人の動向を宗教的モチーフと紐付けてみます。

①落下する。7日間一緒
 →?。天地創造
②歩き茸を食べる
 →キノコ:禁断の果実
③バロメッツ(見た目 羊)のスープを食べる
 →羊:神の子羊
④グリフィンの卵のキッシュを食べる
 →グリフィンの卵:キリストの卵
⑤扉の先へ行けない
 →?

後ほど詳しく見ていくけれど、この時点でキリスト教臭が香ばしいな?
なんか上手くいきそう。(適当)

「こういうのは思い切りが大事だ」という誰かの教えがあった気がします。なので、勢いのままキリスト教で進めてみましょう(雑)



🍄 テーマは過去からの救済


他の攻略者同様、カブルーとミスルンには大望があります。

カブルーは「迷宮と魔物の謎と解き明かし消滅させる」
ミスルンは「悪魔に復讐する」というもの。

冒険者バイブル / 九井諒子

2人の大望のゴール「悪魔を倒す」はライオスが決めましたが、カブルーに「迷宮と魔物の謎」を明かしたのはミスルンです。94話でミスルンの悪魔に囚われた心を解したのはカブルーです。

彼らの大望は過去の大きな未練に由来しますが、相互に過去から救いあっていました。それはリシオンの「理解者ぶるな」という言葉が的外れになるほどまで。
2人のテーマは「救済」ではないでしょうか。




🍄 楽園を出てきた者同士


ではなぜ、救済のテーマが2人であったのか?2人である必要はどこにあったのか?という疑問が湧いてきます。

結論からいうと、2人とも楽園を出てきたもの同士だからです。聖書でいう失楽園を経た者。楽園を失った人間には救いが必要なので、救済がテーマになり得ますね。

ところで、2人は物語でどんな役割を担っていたか。
それは「悪魔にとっての最大の敵」でした。
逆説的に、彼らは悪魔に囚われる"欲"から最も遠い存在でなければならない。
まやかしの楽園なんて要るかーーー!と放り出す存在です。すなわち楽園と縁遠い人間。

彼らはそんな性質を持っています。
では各人順番に。


◉なぜカブルーなのか?

1️⃣ ウタヤの生き残りだったから
ミスルンはウタヤの一件で復帰を志していて、カブルーがウタヤの遺児と知った時には反応を示していました。カブルーは「私が行けば悪魔を倒せた」ので、救えたかもしれない人間だった。

そのために、ミスルンは落下中に拘束が解けかけても 彼を離さなかったのでは?彼を見捨てられなかった。 (+ライオスの存在に勘付いた)

徐々に接触面積が狭まる。最後はカブルーの脚だけ見える。
ダンジョン飯55話 / 九井 諒子


2️⃣ 命を賭してでも謎を暴こうとしたのはカブルーだけだったから

長命種が「古代魔術や迷宮を秘匿する」行為は、いわば他人種へ向けた「禁断の果実の見えない楽園づくり」です。 楽園はあたたかく、いつでも甘いケーキが食べられる所かもしれません。
しかし時折、どこからか禁断の果実が災いの種を落としていく。
そうなると他人種は逃げ惑う他なかった。
だって果実の在処も知らないのだから。

「そんなのは嫌だ」と突き返したのがカブルーです。
死んででも果実を根っこから絶やしたい。

彼はそれまで安全圏で人間劇場を鑑賞していましたが、この瞬間、楽園から逃げ出した罪人となります。

まやかしの楽園なんて要るかーーー!と放り出したのです。

心中を覚悟したカブルー。 ダンジョン飯 55話/ 九井 諒子

これを仕出かす動機と勇気とプライドがあるの、多分作中で彼だけで。
彼だけに必然性があった。だから彼じゃなきゃなりませんでした。

彼はこう語っています。

「寒くてひもじくてたまらない
それでもいつでもケーキを食べられるあの部屋に戻りたいとは決して思わない」

ダンジョン飯 61話 / 九井諒子

カブルーは一度死にました。ミスルンも手にかけた。
そしてこれから楽園の外で、ミスルンと共に生き直します。

◉なぜミスルンなのか?


迷宮という名の楽園の主だったから、
が答えになります。

外の人間が忌避する迷宮も、迷宮主からすると豊かな楽園です。
若ミス談でも「迷宮での生活は幸せなものだった」と説かれています。by編集者カブルー

しかし、悪魔は悪魔。
悪魔はミスルンを容易く捕食して幻想を終わらせました。
ミスルンにとっての禁断の果実は「現実」だった。自分が不義の子で、カナリア隊に入れられ、食べ残された、欲されなかったという現実です。

ミスルンはカブルーの反対で楽園にいたかったのに追い出された人間。

彼はマルシルにこう語りかけています。
まさにまやかしの楽園なんて要るかーーー!と放り出す言葉です。

「確かに楽園は(中略)が同時に人はその欲望を失うことになる
それがどんなに空虚なことかお前にはわからないか」

ダンジョン飯 74話 / ミスルンの台詞 / 九井諒子


どうやら2人とも失楽園している様子。
以上より、失楽園した彼らこそ「悪魔にとって最大の敵」になれるから、彼らが組む必然があったと考えます。




🍄 天地創造ほどの出逢い


こうして落下心中(失楽園)した彼らが行きついた先は 7日間の共同生活だったわけですが。

聖書で7日間といえば「天地創造」です。
それは言わずと知れた神が世界を人間を創るまでの物語。
迷える人間に「我々がどうして生まれたのか」答えを示したものでした。


ところで 2人の7日間の行いは下記。

  1. 歩き茸を食べる

  2. 迷宮の謎種明かし(ミス→カブ)

  3. バロメッツのスープを食べる

  4. 過去の再編成 (ミス←カブ)

  5. グリフィンの卵のキッシュを食べる

  6. 扉が開かない

  7. 行先を決める(ミス⇔カブ)

これらは天地創造というメタファーにピッタリなんです。

1.歩き茸を食べる:禁断の果実

彼らは失楽園の後、はじめに禁断の果実を食べます。
聖書とは順番が前後しますが、失楽園をしたからには禁断の果実を食べてないと矛盾が生じるので。

茸は禁断の果実に例えられた時節もあり、ベニテングタケが代表例でした。

一方、2人が食べた茸は大歩き茸の菌糸から増殖したもの。
大歩き茸の特徴は

・胞子で意識の混濁を引き起こす
・毒々しい紅色

でしたね。実はベニテングタケによく似ているのです。ベニテングタケもその名の通り紅色で幻覚作用があります。
しかし1つ似ても似つかない点が…。

・天井に届くほど巨大化している

と思いますが、なんと巨大なベニテングタケを「知恵の樹」に例えた壁画もあるのです…。

  • 知恵の樹に実る禁断の果実

  • 大歩き茸の菌糸から増殖する歩き茸

上記の対応関係が成り立ちますね。

樹ほど育った歩き茸。ダンジョン飯 54話 / 九井 諒子


2.迷宮の謎種明かし   (ミス→カブ)

アダムとイヴは知恵の樹の実を食べたことで、神と等しき善悪の知識を得ました。よって茸を食べたあと、ミスルンはカブルーに「迷宮の謎」を明かします。
カブルーは落下して一度死に、生まれ変わり、真理を知るのです。


3.バロメッツのスープを食べる

羊はしばしばキリストに重ねられ、神の子羊として信仰の対象になっています。人間の罪は神の子羊の血を浴びることで赦されました。

ところで2人の罪とは何でしょう。
えっと、つい先日茸もとい知恵の木の実を食べましたね。(=原罪)

それ以前にカブルーはミスルンと落下心中しています。(=自害と殺人)
※キリスト教で自害は罪

迷宮主ミスルンは入隊しない人生を欲しました。
これは「自分の人生を捨てる」も同義です。そして隊長ミスルンは大望の深層に「完食されたかった」後悔を抱えています。
昔も今も希死念慮に囚われているのがミスルン。
昔は生きているのに死んでいて、今は死ぬために生きています。(=自害)

なので、2人は赦されて生きていくために神の子羊を食べました。

ダンジョン飯 62話 / 九井諒子


4.過去の再編成      (ミス←カブ)

カブルーはこの先も迷宮の被害者が増えないようにするべく、ミスルンの過去を編集します。
これにより、只々罪の傷跡だった過去が「他者を救う」物語に。

綺麗な過去の宝石。冒険者バイブル P77 / 九井諒子


5.グリフィンの卵のキッシュを食べる

こちらは「人生の再出発」の意と解釈しています。

グリフィンはダンテの神曲にてキリストの象徴です。
しかし2人が食べたのは卵。卵といえばイースターエッグ。

イースターはキリストが亡くなってから3日後に復活したことをお祝いする行事です。キッシュはちょうど落下心中3日後でした。

……………………。ほんと?!

ほんとでした。
卵は「生命・復活」の象徴です。
神が産んだ卵=人の子なので、「人生の再出発」と解釈できます。


6.扉が開かない

ライオス一行が悪魔に開けてもらった巨大な扉ですが、2人はこれを開けられませんでした。
2人は一番の招かれざる客だからです。

扉はグリフィンがいた降雪地域の先にあります。

聖書にてグリフィンはエデンの園の番人です。   ※諸説あり
では扉の先あったのは?
それはシスルの家です。翼獅子が囚われた家。
迷宮主とそれを目指す者にとっては楽園に他ならない地。

それゆえ、楽園からとうに出た2人では門を開けられません。

扉の前。ダンジョン飯 62話 / 九井諒子

※ 2人が扉をくぐれたのはライオス一行が悪魔に開けてもらったから


7.行先を決める         (ミス⇔カブ)


2人の変化の兆しです。

6日目、
ミスルンは「どうしたい?」とカブルーに選択を委ねます。そしてカブルーはライオスに嫌な予感を覚え、自分の意思で動くことを決意しました。

落下心中前はどうだったか。
ミスルンは島主の家で「カブルーに企みがある」こと前提で駆け引きし、カブルーの企てが失敗した後はエルフのルールで片を付けようとしていました。一方のカブルーは自死を選び、短命種の未来をライオスへ託していました。

変わったね……………………!!!
ミスルンはカブルーを信頼し、無力感から心中までしたカブルーが自信を取り戻している!

(まぁカブルーはライオス止めなきゃ世界滅ぶ!無理!くらいの緊迫感で動いてそう)


8.7日間のまとめ

・カブルー、無力感と最後の意地で落下心中
・カブルー、禁断の果実を食べて真理を知る
・罪が赦される羊のスープを食べる
・ミスルン、傷だらけの過去が他者を救う物語になる
・人生の再出発のキッシュを食べる
・もう楽園自体に用はない
・ミスルン、他者に選択を委ねる
・カブルー、行き先を自ら決める

「天地創造」神話の効用は「我々が何故ここに生きているのか」を示してくれることにあります。
2人はまさに存在意義を再定義する旅路を辿りました。
天地創造にピッタリだ。

我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか / ポール・ゴーギャン


神は6日間で世界を創り、最後の1日はお休みしています。
2人は実際7日間を共に過ごすけれど、62話の副題は「6日間」。彼らには世界の危機が迫るなかで休む暇などありませんね。

「殺したほうがいい」と勧めていたのに笑顔の隊長。
ダンジョン飯 62話 / 九井諒子






🍄 カブルーへの救済

先述した通り2人の主題は「過去からの救済」だと考えています(勝手に)。ライオスパーティーが「死を受け入れる」なら、裏パーティーの2人は「再生≒救済」がテーマでしょう。


カブルーがミスルンから施された救いは「迷宮と魔物の種明かし」「信頼」でした。


カブルーの過去の未練は「故郷でみんな死んでしまった」ことです。
幼かった彼は何もできなかった。だから大人になった今迷宮を攻略したい。
しかし55話では無力感に支配され「短命種には土台無理な話だったんだ」と自棄に陥りました。

そんな彼にミスルンは真実を教え、彼が得られずにいた長命種からの信頼を与えます。  

👉カブルーを取り巻く長命種 
・例の伝手…カブルーを一蹴する
・養母ミルシリル…迷宮攻略を止める
・西のエルフ…若い種族を危険から守るという建前を使う
※カブルーパーティーは除く

参考 8巻9巻

ミスルンは彼に何の興味も含みもなかった。
彼を正当に評価し信じて、彼に選択を委ねたのです。

結果、彼は自分を取り戻すことができました






🍄 ミスルンへの救済


ミスルンがカブルーから施された救いは「自分への愛」です。
この結論へ至るためには、過去の彼が悪魔に望んだ内容と、未練を併せて考えなければなりません。


◉ミスルンは孤独な野菜屑

はじめに、望んだ内容から振り返ります。
ミスルンの願いには前述の「カナリア隊に入隊しない人生」も含まれていたのでしょうが、より正確性を求めるならば「自分に仇なす者がひとりもいない世界」となります。(九井諒子 冒険者バイブル P99 参照)

つまり裏返すと現実世界では彼へ仇なす者がいた

真偽は不明ですが、彼が周囲から敵意を感じて疑心暗鬼に陥っていた様子はミルシリルのモノローグからも読み取れます。

ミスルンの築いた迷宮は
「劣等感に嫉妬 嘘と怒りでできていた」

冒険者バイブル P89 / 九井諒子

劣等感と嫉妬は深層心理で自身が他人より「下」だと認めなければ湧き上がりません。嘘は自身を取り繕うことです。怒りは自分の理想が実現しない時に生じるもの。

以上より「本来の彼は自己肯定感が低いがために、常に嘘の自分を演じ、本当の感情を押し殺して生きている。」ということが推察できます。
要するに嘘の鎧を纏い周囲の敵意から身を守っている状態です。

しかし、その行いは彼の地位を守りこそすれ、決して等身大の彼の尊重はできません。

過去の彼は自分を愛していない人間だったのです。


ここから、悪魔に喰べ残された後まで時間を進めましょう。
次に紐解くのは彼の未練です。
こちらは作中で「完食されたかった」だと明確に触れられてましたね。
完食されるために生きることは自殺願望と同義です。
不幸にも、彼は今も自分を愛していません。

最後に彼の人生を思い返してみます。

👉人生ハイライト
・不義の子である
・カナリア隊に入れられる
---迷宮主後---
・悪魔に食べ残される

参考 14巻冒険者バイブル /  九井諒子 

他にもハイライトはあると思いますが、判明してる点のみでも割合い不遇です。

総じて、彼は周囲からも自分からも選ばれない人生を送ってきました。
彼の人生は「孤独な野菜屑」の人生です。
だから現実からいなくなることをずっと望んでいるのです。



ところでキリスト教には重要な第二の戒めというものが存在します。

第二の戒めはこれです。『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。』これらよりも重要な命令は、ほかにありません。

新約聖書 マルコの福音書12章31節

これは「自分を愛せなければ隣人を愛することもできない。」とも示している、実に真理をついた一節です。

すなわち、キリスト教的視点で考察すると
彼は「自分への愛」に目覚め、隣人を愛せるようになれなければ「孤独な野菜屑」から救われません。

だから「自分への愛」こそが、カブルーから施された救いでした。


◉愛を知り救われていく


ミスルンは物語の終わりで「誰かを完食させることには力を貸すことができる」自分を見つけます。
これは立派な「自分への愛」と「隣人への愛」の発露ですよね。

では どのような過程でその結論に至ったのでしょうか。
2人の道中をミスルンの愛という観点から再考してみます。

落下後、カブルーはキリスト教の3つの愛、アガペー・エロス・フィリアをミスルンに与えているように思うのです。私は正気です。多分。




〜道中振り返り〜


1️⃣ 虚偽の愛に縋る

ダンジョン飯 62話 / 九井諒子

まず、ミスルンは悪魔と共に現実から逃げます。山羊はキリスト教で悪魔の代名詞。享楽の象徴。つまり彼は虚偽の愛に縋りました。
そういえば想い人もサキュバスだったような…。

ちなみに5巻31話にてカブルーは蘇生に山羊の血を使われています。これもミスルンとの不思議な縁のうちのひとつ。


2️⃣ 歩き茸(=禁断の果実)で現実を受け入れる
ミスルンにとっての禁断の果実は「現実」でしたね。歩き茸を食べたことで、彼は孤独な過去と迷宮の謎をカブルーに打ち明けます。
それは同時に、彼が自身の過去と対峙した証左なのです。


3️⃣ バロメッツ(=神の子羊)でアガペーを得る

ダンジョン飯 62話 / 九井諒子

こちらのバロメッツのスープは贖罪でありアガペーの暗喩ともとれます。
アガペーはキリストから与えられる愛で、「神が人に向けるような、見返りを求めぬ愛。永続的で最上位の愛」です。

カブルーは何でも食べるミスルンに「何かうまい物を食わせたい」から、「母親がよく作ってくれた」神の子羊のスープを与えました。これは無償の愛ですよね。

4️⃣ 傷だらけの過去が他者を救う物語になる
詳しくは上で述べましたが、こちらでカブルーが隣人愛を提示しています。

5️⃣ミスルンはカブルーに選択を委ねる
詳しくは上で述べましたが、摂取した「無償の愛」の効果かもしれません。

6️⃣ カブルーに気絶させられる

ダンジョン飯 75話 / 九井諒子

このシーンはエロスの象徴だと思いました。
ちょっと待ってください。正気です。大丈夫。性愛の方面ではなく「自己中心的に求める愛」を指しています。

ミスルンはこの時悪魔を追いたかった。
しかしカブルーは彼の存命を求め、気絶させてでも阻止しています。どう見ても不平等な駆け引きに他なりません。

76話でのカブルーとライオスの対等な約束と対比的に描かれてるんでしょうか。

ただ事実なのは、カブルーの行動が自分勝手な愛に起因していることです。

余談ですが 家の魔物・大蜘蛛について。
これはゴエティア第1の悪魔「バエル」由来だと(勝手に)考えています。
であれば「ミスルンは大蜘蛛の腑から出で来、悪魔を追う。それをカブルーが阻止する。」という描写が、物語の結末の暗示になります。


7️⃣ カブルーの手を取る

名シーンだ…。ダンジョン飯 94話 / 九井諒子

ここで示されるのは対等な友愛。すなわちフィリアになります。

悪魔消滅後、死人も同然と化したミスルン。
カブルーはそんな彼と同じ目線になるように屈み、自らの等身大の欲求を語りかけます。そして立ち上がり、手を差し伸べる。

そういやこんなシーン前にもありましたね。

VS大歩き茸。ダンジョン飯 54話 / 九井諒子

このとき差し伸べた手が時を経て返ってきたようです。感慨深い。

94話でカブルーはミスルンに等身大の自分を晒しました。取り繕わず必死に。
そして、それまでも愛を示してきた。
ミスルンは3つの愛を与えたカブルーの手だからこそ掴んだのです。

愛に気づけた彼は「生きる価値のある自分」、つまり「愛される価値のある自分」に希望を抱きつつあります。人生の再生です。もう虚偽の愛に縋ることはないでしょう。


🥦 野菜屑にも使い道が…

いくらでも使い道があるからただ捨ててしまうのはやめなさい

ダンジョン飯 94話 / センシの台詞 / 九井諒子

最後、センシの金言によってミスルンは完全に「自分への愛」を獲得しました。





◉まとめ

以上より、ミスルンがカブルーから施された救いは「自分への愛」だと解釈します。彼は「自分への愛」に目覚め、隣人を愛せるようになった。

もう「孤独な野菜屑」ではない。

元迷宮主交流会にて、ミスルンはマルシルへこう告げています。

私が幸運だったのは その穴を埋めてくれる者達がいたことだ

冒険者バイブル P216 / 九井諒子

これは愛のはなしをしているのです。




🍄 おわりに


この記事を書いた理由はそう。思い出しました。
「どうして物語の終わりに 彼らは互いの理解者に至れたのか?」
という疑問に私なりの答えを見つけるためでした。

結論は「2人は互いを信頼しあい、絆を育み、人生の再起を共にしたから」じゃないでしょうか。今はそう考えています。

天地創造にふさわしい7日間を本当に過ごしてしまうんだもの。そりゃあ馴れ馴れしくもなる。理解者ぶりたくもなる。

2人の後日譚も読みたいような、読みたくないような。
いや、読みたいな………………………。
悪魔に欲が察知される前に、記事はここでお開きとします。
ダンジョン飯。ああ、ダンジョン飯。





いや〜長かった。長い。
でもやっと考えを整理できたよ。良かった。
フラットな視点での解釈を心掛けましたが、不快感を覚える内容もあったかもしれません。イイね!と思えたとこだけ読んで摘んでお持ち帰りください。
ここまでお読みいただきありがとうございます。

最後に九井諒子先生。
素敵な物語をありがとうございました。


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