面接を前に②
カンタベリーに残りたいという思いもあまりなかったように思う。住み慣れた街。住み慣れた部屋。イギリスでの奉仕のルーティンにも慣れて、イベントの主催や学生との交わりも、新鮮さを感じなくなっていた。もう、潮時かなとポジティブに思っていた。しかも私は、1つの場所にあまり長い間滞在することがない。これまで10年間海外に住んできたが、中国、フィリピン、コスタリカ、そして今はイギリスとあまり一つの国に長く滞在したことがなかった。(中国には長く住んでいたが、大学院と仕事と周りの環境は変化していた。)
イギリスのクリスチャンコミュニティ
そんなこともあって、カンタベリーに残りたいという気持ちはさほど強くなかった。しかし、イギリスに残りたいという気持ちは強かった。それは、クリスチャンとして生きやすいからであった。教会に属して、クリスチャンのコミュニティに属するとたくさんの人との出会いがあり、一緒に祈り、食事をして、「帰る場所」があるように思えた。そう、私の居場所があった。
もちろん、日本に居場所がないわけではない。ただ、私の住む地方ではあまり多くのアクティビティがなかった、というか私が参加できていなかっただけかもしれないが、いまはイギリスでクリスチャンの伝道団体で奉仕しているので、フェローシップ(集い)の機会は多くあるのである。
ということで、そんなクリスチャンのコミュニティが私にとっては心地よくて、せめてクリスチャンとして聖書による土台を作り、独り立ちして歩いていけるようになるまではここイギリスで成長したいと思っていたのである。(クリスチャンは常にクリスチャン同士で集うことが大事なので、「独り立ち」という言葉は相応しくないかもしれない。)聖書を土台として、自信を持って歩んでいくために、イギリスにもう少しいたいと思ったのである。
Reach Programへの申し込み
そんなことだったのだが、99歳のNaotakaさんとお会いして、20冊以上の本を頂いて帰ってくる途中、綺麗なDane John gardenという公園を通りながら、こんなに多くの本をどうやって読み終わるのだろうと思いながら、「もしかしたら、神様は私にカンタベリーにもう少し居てほしいのかな。」と思い出した。国連JPOを受けようと決めていた私は、その申請を見送った。そしてこのReach Programに申し込んだのである。Supervisiorの推薦あってのものだった。
教会でのインターンシップと面接を終えた私に、「えみ、今年Reachに申し込んでみる?」と聞いてきた私のSupervisor。「え、今度はReach?ここに残るってこと?」と私は少し困惑したが、どうやら私のSupervisorはここカンタベリーで助っ人が必要らしい。ということで、私も応募した。推薦人は、私のメンターで同じくFriends InternationalのブランチリーダーのKayと、私の同僚(スタッフ)のMatt、そして教会の牧師、Ozである。
Team LeaderであるBaibaに推薦され、申請書に書く推薦者は3名の一緒に奉仕し、信仰面においてサポートしてくださった方々。だから私は、このReach としてカンタベリーに残ることはほぼ確定しているだろうと思っていた。断られる理由は何もないと。でも、心の中では不安もあった。自分自身、確信がなかったし、一体これが神様の御心かどうか、わからなかった。私は、神様は私に国連で働いてほしいのだ、と思っていた。
惑わし、迷い、勇気、確信
5月1日、私はJemiを訪ねた。インド人で家族でイギリスにきて困難の中神様だけを頼りに暮らしていた。彼女の家族の家で私は10日間ほど夏にホームステイした。それからというもの、彼らは私たちを家族のように慕ってくれている。
「5月2日に面接があるんだ。その前に一緒に祈ってほしい。」
私はJemiを訪ねた。
「えみ、私の名前、そしてあなたの名前は聖書の中で一番祝福された女の子/女性の名前なのよ。」
私はクリスチャン家庭で育ったわけではないので、クリスチャンの名前ではないと思っていた。私の名前の由来は、英雄のように未来を生きる。
「聖書を読んでみなさい。」
というJemiに促され、日本語でヨブ記を読んでみる。
ヨブ記
ヨブは、全てを持っていた。しかし、神様は試みを許され、サタンはヨブの子ども十人全て殺し、彼の持っていた財産を全て奪い、彼から健康をも取り去った。灰の上を這いずり回っていた彼にもはや残ったものは何もなかった。彼の妻も友人も、あなたの信じている神とは何だ。あなたをこんなにも絶望に追い込んで。と神様を罵るように、ヨブに仕向けた。ヨブの妻は、神様を呪って、死になさい、と言った。しかし、ヨブは一度たりとも神様を罵ったり、呪ったりしなかった。神様は全てをくださった。私が頂いたものは全て神様からのものだ。神様は、取り去りもするのだ、と言った。
神様は、ヨブの人生を悲しみだけで終わらせなかった。神様は、ヨブを祝福した。それも、失う前の2倍にも。
そして、ヨブはまた子どもをもうけた。
「エミマは聖書の中で、一番祝福を受けた娘なんだよ、とJemiは教えてくれた。」
私の信仰の友、インド人のJemiの名前は、Jemimah、そう、日本語ではエミマなのである。そのことに気づいた時、「私たちは同じ名前じゃないか!」と思わず叫んだ。
神様は、私たちを祝福するために私たちを造られた。それは、イエス様を信じる私たちすべてが死から解放され、恵まれ、そして周りに光を灯す存在になるためである。
私たちは皆、世の光、地の塩なのである。そして神様は祝福を約束された。その最大の祝福が、永遠の命なのである。
Jemiと祈るとき、涙が溢れた。彼女の信仰に、信仰の強さに涙した。私は祝福を受けてもいい存在なのか、私はわからなかった。いや、カンタベリーに昨年夏に来てから、これでもかというほど祝福され、こんなにも祝福を受けていいのか、仏教徒でいうと、もらいすぎるのはよくない、という癖がまだ残っていて、もらい過ぎるのが怖かったのである。
でも、私の名前は、Jemiは祝福を一番受けた女性であった。私たちは、祝福を受けていいのだ。クリスチャンは、神様からの祝福を受けるものなのである。そして、私たちは誰かの祝福となるのである。
大事なことに気づいた。
Jemiは言った。
「信仰の友を持ちなさい。常にそのような人たちに囲まれていなさい。」
「私たちは一人でサタンに立ち向かうことはできない。サタンは、私たちの身体から健康を奪い、何もかもネガティブにして、信仰さえ失わせていく。」だから、イエス様を常に見上げなさい。サタンからの声がしてきた時、『あの人はあなたのことが嫌いで、悪い企みをしている』とかそんなネガティブな声が聞こえてきたら、イエス様の御名によってそれらすべてをシャットダウンしなさい。それは、サタンによる誘惑だから。サタンは常に私たちクリスチャン、特にミッショナリーや聖職者を攻撃しようとする。」
「Friends Internationalの中にも、あなたが神様の働きをするのことを拒む人がいるかもしれない。でも、神様の計画は誰も止めることができない。だから、明日面接をする時、イエス様が隣に座っていると思い、話しなさい。いや、イエス様は必ずあなたのそばにいてくれるから。自信を持って、自信を持って、イエス様のために話しなさい。」
この励ましを聞かせてくれたのは、Jemiではなく、神様だったように思う。いや、そうとしか思えない。
その夜 SACRED SPACE (event/a short service with music) at Canterbury Cathedral in the Crypt)に参加した後、私のSupervisorは「えみが万が一Reachになれなかったときは、Baptist Churchでインターンシップできるかどうか聞いてみたけれど、牧師先生は今年はビザを出すのが難しいそう。」と教えてくれた。
私は、自信を持って、「大丈夫です」と言った。
私がカンタベリーに残る理由は、ただ残りたいからじゃない。
私がReachをする理由は、、、
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